英雄たちの選択「剣豪・宮本武蔵 極める!フリーランスの道」 ― 2023-10-11
2023年10月11日 當山日出夫
英雄たちの選択 剣豪・宮本武蔵 極める!フリーランスの道
小学生のころ、子供向けの宮本武蔵の伝記を読んだと憶えている。このなかで武蔵は、関ヶ原の戦いに西軍として参戦し、敗北したと書いてあったはずである。吉川英治の『宮本武蔵』は、全部を読んだということではないが、高校生のころに手にしたことはあったかと憶えている。それから、子供のころにテレビで、『それからの武蔵』(だったと思うが)、ドラマを放送してたはずである。昔は、テレビでも時代劇がたくさん作られていた。
宮本武蔵についての新史料は、興味深い。
だが、それよりも私が面白いと思ったのは、宮本武蔵を「フリーランス」ということばでとらえていたことである。確かに、特定の主君に仕えず、牢人、あるいは、客分としてすごした人生は、今でいうフリーランスになる。
戦乱の時代にあって、むしろフリーランスとして生きていくことの方が、理にかなった考えと言えるのかもしれない。フリーランスの立場であったからこそ、世の中の流れを的確につかんで生きることができたのだろうかとも思う。
2023年10月6日記
英雄たちの選択 剣豪・宮本武蔵 極める!フリーランスの道
小学生のころ、子供向けの宮本武蔵の伝記を読んだと憶えている。このなかで武蔵は、関ヶ原の戦いに西軍として参戦し、敗北したと書いてあったはずである。吉川英治の『宮本武蔵』は、全部を読んだということではないが、高校生のころに手にしたことはあったかと憶えている。それから、子供のころにテレビで、『それからの武蔵』(だったと思うが)、ドラマを放送してたはずである。昔は、テレビでも時代劇がたくさん作られていた。
宮本武蔵についての新史料は、興味深い。
だが、それよりも私が面白いと思ったのは、宮本武蔵を「フリーランス」ということばでとらえていたことである。確かに、特定の主君に仕えず、牢人、あるいは、客分としてすごした人生は、今でいうフリーランスになる。
戦乱の時代にあって、むしろフリーランスとして生きていくことの方が、理にかなった考えと言えるのかもしれない。フリーランスの立場であったからこそ、世の中の流れを的確につかんで生きることができたのだろうかとも思う。
2023年10月6日記
ドキュメント72時間「島根・黄泉比良坂 あの世との境界で」 ― 2023-10-11
2023年10月11日 當山日出夫
ドキュメント72時間 島根・黄泉比良坂 あの世との境界で
黄泉比良坂「よもつひらさか」は、名前は知っている。『古事記』は学生のときに読んだ、というか、日本神話、民俗学の勉強としては読まねばならない書物であった。その後、『古事記』(真福寺本)を基本に、全文をPCに入力してみたこともある。ただ、入力しただけで、特に何もしなかった。が、『古事記』の本文……無論、漢字だけで書いてある……の漢字の用法に、自分なりの知見が得られたとは思っている。
島根県に、黄泉比良坂があることは知らなかった。
おそらくは、先に自然の岩への信仰があって、霊場のようになっていたのだろう。それが、後に、日本神話に出てくる「よもつひらさか」になぞらえられるようになって、今の状態になったと考える。
思うこととしては、人間にとって死者を思う場所というのは必要なのだな、ということである。今の時代、葬儀も墓も簡略化されるようになってきているのだが、しかし、人間の営みとして、死者のことも思うための特別ななにかが、あるべきなのだろうと感じる。
ところで、ポストがあるのは興味深い。まるで、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくるポストのようである。死者に出す手紙というのも、現代における死者を思う気持ちにどこかで応えるものがあるからだろう。
この回は、あまり人が出てこなかったと思う。登場人物の少ない回であったかとも思う。その分、一人一人のことばが伝わってきた。
2023年10月7日記
ドキュメント72時間 島根・黄泉比良坂 あの世との境界で
黄泉比良坂「よもつひらさか」は、名前は知っている。『古事記』は学生のときに読んだ、というか、日本神話、民俗学の勉強としては読まねばならない書物であった。その後、『古事記』(真福寺本)を基本に、全文をPCに入力してみたこともある。ただ、入力しただけで、特に何もしなかった。が、『古事記』の本文……無論、漢字だけで書いてある……の漢字の用法に、自分なりの知見が得られたとは思っている。
島根県に、黄泉比良坂があることは知らなかった。
おそらくは、先に自然の岩への信仰があって、霊場のようになっていたのだろう。それが、後に、日本神話に出てくる「よもつひらさか」になぞらえられるようになって、今の状態になったと考える。
思うこととしては、人間にとって死者を思う場所というのは必要なのだな、ということである。今の時代、葬儀も墓も簡略化されるようになってきているのだが、しかし、人間の営みとして、死者のことも思うための特別ななにかが、あるべきなのだろうと感じる。
ところで、ポストがあるのは興味深い。まるで、『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくるポストのようである。死者に出す手紙というのも、現代における死者を思う気持ちにどこかで応えるものがあるからだろう。
この回は、あまり人が出てこなかったと思う。登場人物の少ない回であったかとも思う。その分、一人一人のことばが伝わってきた。
2023年10月7日記
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