「世界を変える“大発見”はこうして生まれた カリコ×山中伸弥」2023-10-12

2023年10月12日 當山日出夫

ETV特集 世界を変える“大発見”はこうして生まれた カリコ×山中伸弥

最初の放送は、二〇二一年の七月。ちょうどそのころに、日本でもCOVID-19のワクチンの接種が始まった。私の場合だと、たしか、家から一番近いところとして、市役所の出張所まで、車で送って行ってもらったのを憶えている。最初のときは、翌日、かなり熱が出た。

カタリン・カリコは、今回(二〇二三)のノーベル賞の受賞者である。このことによる、再放送である。

いろいろと思うことはある。

何よりも、科学者の研究に対する情熱を感じる。基礎研究とされる分野のことであるが、それが、いずれ人間の幸福につながるものであることを信じて研究に打ち込んでいる。この姿勢は、すばらしいと思い、共感できるところもある。

だが、その研究の歩みは順調ではなかったらしい。東西冷戦の終結、アメリカでの研究生活、かなりの苦労があったという。それでもくじけることなく研究を継続してきた気概には、敬服するところがある。

この番組の趣旨とは離れるが、見ていて思ったことがある。mRNAワクチンについての基礎的な研究成果は、論文として発表され公開されていたことになる。では、なぜ日本で、ワクチンが作れなかったのか。このことについては、いろいろと議論のあることだろうと思うのだが、やはり気になる。

それから、ワクチンは、中国とロシアでも作ったことが、ニュースなどで報じられていたと記憶するが、いつの間にか、これらは立ち消えになってしまっている。はたして、有効なワクチンだったのか、このことも気になっている。

さらにどうでもいいことなのだが、カタリン・カリコは、ハンガリー出身である。ということは、その名前は、ハンガリー語なのだろう。とすると、姓名の順は、どのように記すのが、正しいことになるのだろうか。mRNAともワクチンとも関係ないことだが、これもちょっと気になったことである。

ともあれ、この番組は、科学に関心のある、若いひと……高校生とか大学生とか……に、是非とも見てもらいたいと思った。科学の研究にたずさわることの喜びを、これほど率直に語っているというのは、希なことかもしれない。

2023年10月8日記

雑談「昭和」への道「第七回 技術崇拝社会を曲げたもの」2023-10-12

2023年10月12日 當山日出夫

司馬遼太郎 雑談「昭和」への道 第七回 技術崇拝社会を曲げたもの

三八式歩兵銃で戦争しようとしたことが無謀であった、ということになる。

私の年代(一九五五年生)だと、テレビドラマの『戦友』を見て憶えている。中国戦線で戦った日本軍の物語である。そこで兵士たちが使っていたのが、三八式歩兵銃であったことになる。これは、一発撃つごとに槓桿を引いて弾丸を排出し次の弾丸を入れないといけない。同時に、同じくテレビドラマで『コンバット』も見ている。ヨーロッパで戦ったアメリカ軍の物語である。出てくるアメリカ軍の使っていた小銃は、連発である。さらには、サンダース軍曹(なつかしい名前であるが)は、軽機関銃を持っていた。子供心にも、これでは、アメリカ軍と戦って勝てるわけはないと思ったのを、なんとなく記憶している。

三八式歩兵銃は、明治村で展示されていたのを見た記憶がある。

といって、銃が旧式であるというだけで悪いということはないのかもしれない。問題はその性能である。カラシニコフは、いったい何十年使われつづけてきているだろうか。

兵器のことで言うならば、確かにゼロ戦は優秀であったかもしれないが、それを太平洋戦争の末期には、特攻用に使用せざるをえなかっというのは、悲劇的である。戦艦大和も、艦隊決戦の出番のないままに沖縄に向かい、沈んだ。

これに対して、日露戦争のときまでの日本軍、あるいは、指導者たちは、軍備についてのリアルな感覚があった。司馬遼太郎の語ることは、こういうことになるだろうか。

番組のタイトルである技術崇拝ということばはあまり適切ではないかと思う。より正確には、技術についてのリアルな感覚ということになるだろう。このあたりのことは、ノモンハンにおいて日本軍とソ連軍の戦車の違いを見れば歴然としている、ということになる。この回のなかでは、戦車のことは出てこなかったが。これまでの回で触れていたように憶えている。

それから、縦深陣地ということば出てきたのには、ちょっと驚いた。今でこそ、軍事的な一般書で、戦略縦深という用語が出てくる。一九八六年のときに、司馬遼太郎は、この概念をもちいていたことになる。

2023年10月7日記