『どうする家康』「太閤、くたばる」2023-10-16

2023年10月16日 當山日出夫

『どうする家康』第39回「太閤、くたばる」

秀吉が最期を迎えることになった。

印象に残っているのは、秀吉と家康のシーンである。その最期が近いことを悟っている最晩年の秀吉、それに対する家康。はたして、秀吉は家康が豊臣のことを守ってくれると思っていたのだろうか。歴史の結果としては、家康は豊臣を滅ぼしてしまうことになる。年老いた秀吉にとって、世の中の安寧、秀頼のこと、これらが交錯しているように感じる。ただ、耄碌したというだけではなく、リアルに戦乱の世を生きのびてきたしたたかさも残している。一方、秀頼のことを思う気持ちもある。この錯綜した混乱状態を、巧みに描いていたと思う。

それから、秀吉が倒れたときのシーン。秀頼が羽根つきをしているとき、秀吉は倒れた。それを見る茶々の表情が良かった。秀吉のことを案じるというのではなく、冷酷な、そして、同時に妖艶な面持ちであった。茶々は、はたして秀吉のことをどう思っているのだろうか。慕っているような、諦めたような、また、恨んでいるような、複雑な心境をうかがわせる。このあたりの乱れた気持ちを表現していたと感じる。

文禄・慶長の役……私が中高生のころの教科書には、このように書いてあったかと記憶するが……での、朝鮮出兵が、明の国との戦争であった、少なくとも秀吉はそのように意図していたということである。このような視点で朝鮮出兵を描くようになったというのも、興味深いことではある。(その結果として、現代にいたるまで、朝鮮半島の人びとには恨みを買うことになってしまっているが。)

次週、秀吉亡きあとの家康を描くことになる。楽しみに見ることにしよう。

2023年10月15日記

「新 街道をゆく「近江散歩」「湖西のみち」」2023-10-16

2023年10月16日 當山日出夫

新 街道をゆく「近江散歩」「湖西のみち」

司馬遼太郎の「街道をゆく」のシリーズを読んでいる。今はちょっと中断しているが、全体の半分ぐらいは読んだだろうか。読み始めたきっかけは、NHKの「新街道をゆく」で「奈良散歩」を見てからだった。放送を見て、本を読んでおきたくなった。そして、適当に「街道をゆく」を買って読んでいっている。

「近江散歩」も「湖西のみち」も読んだ。

育ったのが、京都の宇治であるので、近江、滋賀県には馴染みがある。子供のころ、琵琶湖で泳いだこともあったかと記憶する。しかし、大きくなってから、特に観光などで行ったことはない。東海道線に乗ったり、名神高速を走ったりして、通り過ぎてしまうことが多い。せいぜい、信楽に行ったことがあるぐらいである。このときは、MIHOミュージアムに行った。

とはいっても、司馬遼太郎の歴史小説や「街道をゆく」を読んで、近江国が、日本の歴史において重要な位置をしめることは、理解しているつもりでいる。(番組では出てこなかったが)かつては、紫香楽宮がおかれたこともあった。また、穴太の石積みの技術のことも重要だろう。

ニュースなど見ていると、安土城のAR復元を企画しているそうである。まあ技術の進歩とはこういうものだとは思うが、私としては、余計なお世話であると感じるところもある。その遺跡のあとにたって、想像力をめぐらせる方が、よほど気持ちが豊かになると思ってしまうのであるが、どうであろうか。

琵琶湖のまわりの風景も変わったことになる。司馬遼太郎が幼いころに見た風景と、「街道をゆく」の旅をしたころ、そして現代とではかなり変わったところもある。琵琶湖の環境については、現代では、多くの人びとが考えるようになっている。これから、琵琶湖の姿もさらに変わってくことだろうと思う。

2023年10月13日記