100カメ「スーパーフォーミュラ」2023-10-26

2023年10月26日 當山日出夫

100カメ スーパーフォーミュラ

鈴鹿サーキットには、むか~し行ったことがあるような気がする。しかし、レースを見たという経験はない。

自家用車には毎日のように乗る生活なのだが、自動車レースがどんなに行われているかは知らないできた。

百分の一秒を争うレースであることが分かる。また、レースが、まさにチームプレーであることが分かったかと思う。それにしても、チームの人々は、まさにプロだと感じる。このような人々がチームを作って参戦しているのは、興味深い。

また、審判がいて、レースの映像を見て判定していることは知らなかった。かなり厳格なルールのもとで、レースは行われている。このような舞台裏が見られたというのも面白い。

2023年10月25日記

司馬遼太郎 雑談「昭和」への道「第九回 買い続けた西欧近代」2023-10-26

2023年10月26日 當山日出夫

司馬遼太郎 雑談「昭和」への道 第九回 買い続けた西欧近代

一九八六年の番組である。およそ四〇年近く前の放送になる。この当時、日本の技術は世界に誇るべきものであった。アメリカの飛行機に日本の技術が使われるということを、司馬遼太郎は誇らしげに語っている。

だが、今はどうだろうか。国産ジェット機は実現しなかった。半導体開発について、世界の最先端からは遅れている。COVID-19ワクチンの開発も出来なかった。(といって、日本の技術が地に落ちたということではないかもしれないだろうが。)

「近代の超克」のことが出てきた。このことばは知っているし、この座談会について書かれたものを読んだこともある。印象に残るのは、この座談会で、一種の開放感が感じられるということを、司馬遼太郎が語っていることである。おそらく、これは、この同じ時代を生きた人間だからこそ感じられることかと思う。

真珠湾攻撃、プリンス・オブ・ウェールズの撃沈、このことによって、日本の知識人が感じたのは、西欧の重圧から解放されたという感覚と言えるのだろう。このことを、現在の時点から批判的にとらえることはたやすい。だが、その同時代において、知識人をふくめ日本の人々がどう感じていたかは、別に考えられなければならないだろうと思う。

山片蟠桃、三浦梅園、富永仲基、荻生徂徠……今では、「思想大系」などでその著作の主なものは読める。(「思想大系」は全巻持っている。)これらの思想を、近代の合理主義ととらえるのは、現代の思想史研究からは、どうなのだろうかという気もする。が、明治になってこれらが否定され引き継がれなかったことは確かだろうと思う。まあ、私も、これらの人物の名前は、学校の歴史の教科書で覚えたということにはなるのだが。

戦時中の国会の答弁で、陸軍のエリート軍人が、アメリカには戦術がない、日本にはドイツから学んだ戦術がある。アメリカに勝てる。このように話していたというのは、驚くべきことである。(これも、今では、国会の議事録は簡単に検索できる時代になっている。)

2023年10月22日記