映像の世紀バタフライエフェクト「地球破壊 人類百年の罪と罰」2023-11-10

2023年11月10日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 地球破壊 人類百年の罪と罰

見ていろいろと考えるところがあった。

地球環境問題というのは、今では非常に身近な問題になっている。脱炭素社会ということは、現代を生きる人間にとって避けることのできない課題である。

だが、ここにいたる過程は波乱があった。

いくつかのことには触れていなかった。

例えば、アメリカがパリ議定書に復帰したことはあったが、では、それを離脱したときのことについては、まったく触れていなかった。(これも、次の大統領選挙の結果によってはどうなるかわからない。)また、現代では、地球環境問題について、重要な役割となるのは、いわゆるグローバルサウス、それから、中国のことがあるだろうが、これについて触れることもなかった。

環境問題は、常に政治の問題でもあったことを認識することになる。

そうはいっても、過去の映像としては興味深いものがいくつかあった。

私の年代であれば、DDTのことはなんとなく記憶にある。光化学スモッグがニュースになったときのことは、憶えている。日本で環境庁が出来たときのことも憶えている。

コナン・ドイルの話している場面を見たのは初めてだったかもしれないシャーロック・ホームズのことが出てきていたが、そういわれてみれば、ホームズの時代のロンドンは、霧、というよりも煤煙の街であったことになる。この時代は夏目漱石が留学していた時代でもある、と思って見ていたら、漱石が引用してあった。

この回の意図とは関係ないことだが、レイチェル・カーソンについて、その当時の映像を使っているのだろう、「女史」とあった。このことばは今では使わない。

2023年11月8日記

100分de名著「古今和歌集」(1)2023-11-10

2023年11月10日 當山日出夫

100分de名著 “古今和歌集” (1)めぐる季節の中で

古今集の歌を始めて読んだのはいつのころになるだろうか。中学の時の教科書に載っていたように思える。高校のときにはそのいくつかを読んでいる。大学で国文科というところで勉強したから、古今集を読むことは必須のようなものだった。

番組を見て思うことがいくつかある。

画面に映っていたのは、元永本だった。確かに古今集のまとまったテキストで最古のものとなると元永本になる。東京国立博物館の所蔵であり、これが展示されているとき、目にしたことがある。また、e国宝のHPで、何度も見ている。(これは、以前、学生にインターネット上の文化財について教えるとき、かならず言及するようにしていた。)

現在の和歌研究の分野のことについては疎いのだが、今では元永本のテキストはどういう位置づけなのだろうか。私の学生のころは、一般に使われるテキストとしては、定家本を使っていた。

和歌は人びとの共通言語である、ということが言われていた。確かにそのとおりかもしれない。古く万葉の時代から、平安時代を経て、中世、近世と人びとは歌を詠んできた。近代になってからも、近代文学としての和歌がある。現在でも、多くの人によって詠まれ、また、読まれている。ただ、古典として、本のなかにあるだけのものではない。このことは確かである。

強いて天邪鬼に考えるのだが、少なくとも古今集の歌は、当時の平安貴族のものである。いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける……とはいいながら、貴族以外の一般の民衆(と言っていいだろうか)の歌は、古今集に含まれていない。

歌を共通言語として考えるのはいいとしても、それは、社会的階層としてはどのような人びとが担ってきたことになるのだろうか、というあたりが気になる。(このような問題意識の延長としては、日本語の歴史におけるリテラシーというようなことになる。)

このようなことを考えてはみるのだが、しかし、その一方で、千年以上も前の平安貴族の詠んだ歌を、二一世紀の我々が読んで、共感するところがあるのは何故なのか。これこそ、古典というものだといってしまえばそれまでなのだが、日本語、日本文学の歴史における、連続性ということを考えることになる。

2023年11月8日記