100分de名著「“古今和歌集” (2)恋こそわが人生」 ― 2023-11-17
2023年11月17日 當山日出夫
100分de名著 “古今和歌集” (2)恋こそわが人生
一番重要な指摘は、『古今和歌集』で詠まれた「恋」と、現代の我々の「恋愛」とはイコールではない、ということである。無論、性愛感情の普遍性ということはある。だからこそ、古今東西の恋愛文学が今にいたるまで読み継がれていることになる。しかし、平安時代の王朝貴族にとっての「恋」は、その生活のなかでどういう意味を持っていたのか、考えてみる必要がある。番組ではそうは言っていなかったが、社会性、社交性、というようなものを考えるべきかもしれない。
それから、気になったことがある。番組では、『古今和歌集』の歌を書いたものとしてあつかっていた。これはこれで正しいと思う。文字、特に仮名の歴史をたどるならば、およそ九世紀の半ばぐらいには仮名の成立があっただろう。そして、一〇世紀の初め、九〇五年に『古今和歌集』が成立した。それは、すでに文字に書かれて残っていた……今のことばでいうならば、資料があったもの……を集めて編纂したのが『古今和歌集』ということになる。また、当時の貴族社会にあっては、歌を詠むということは、すなわち、歌を文字に書いて相手に送ることであった。
このあたりの議論は、かなり以前に、小池清治が書いていることになる。『日本語はいかにつくられたか』。
2023年11月15日記
100分de名著 “古今和歌集” (2)恋こそわが人生
一番重要な指摘は、『古今和歌集』で詠まれた「恋」と、現代の我々の「恋愛」とはイコールではない、ということである。無論、性愛感情の普遍性ということはある。だからこそ、古今東西の恋愛文学が今にいたるまで読み継がれていることになる。しかし、平安時代の王朝貴族にとっての「恋」は、その生活のなかでどういう意味を持っていたのか、考えてみる必要がある。番組ではそうは言っていなかったが、社会性、社交性、というようなものを考えるべきかもしれない。
それから、気になったことがある。番組では、『古今和歌集』の歌を書いたものとしてあつかっていた。これはこれで正しいと思う。文字、特に仮名の歴史をたどるならば、およそ九世紀の半ばぐらいには仮名の成立があっただろう。そして、一〇世紀の初め、九〇五年に『古今和歌集』が成立した。それは、すでに文字に書かれて残っていた……今のことばでいうならば、資料があったもの……を集めて編纂したのが『古今和歌集』ということになる。また、当時の貴族社会にあっては、歌を詠むということは、すなわち、歌を文字に書いて相手に送ることであった。
このあたりの議論は、かなり以前に、小池清治が書いていることになる。『日本語はいかにつくられたか』。
2023年11月15日記
英雄たちの選択「帰ってきた探偵 〜江戸川乱歩 ミステリー復活の闘い〜」 ― 2023-11-17
2023年11月17日 當山日出夫
英雄たちの選択 帰ってきた探偵 〜江戸川乱歩 ミステリー復活の闘い〜
この回はなかなかよくできていたと思う。すぐれた江戸川乱歩論であり、探偵小説論であり、読者論につながっていく内容であった。
まず番組のなかで指摘されていたのが、乱歩の時代の作品の読者は、どのような社会階層の人びとであったのか、ということ。大衆小説というが、その読者には、ある一程度以上のリテラシが求められる。具体的にいえば、ある程度以上の学歴が必要になる。では、乱歩を読んだ昭和戦前の読者は、どんな人びとであったのか。これは、アッパーミドルというべき人びとであったろう。
この番組では、一貫して「探偵小説」と言っていた。これは正しい。今日、場合によっては「推理小説」の用語が使われることもあるが、これは戦後になってからのことになるだろう。乱歩が書いたのは、探偵小説である。そして、この探偵小説というジャンルにおいて、何を書いていたのか。これは、狭義の推理小説ではとらえることができない幅広いものになる。「芋虫」は、今の時代、推理小説とは言えないだろう。
戦後、探偵小説復活の時代にあって、乱歩は、新たな作品を書かなかった。これは、探偵小説の読者として、どのような人びとを想定するかということとつながってくる。昭和の戦前から戦後へと時代の変化のなかにあって、読者の嗜好が移ろいやすいものであることを、乱歩は感じとっていたのだろう。
一方、少年探偵団のシリーズを書く。私も子どものころにいくつか読んだかと思う。それよりも記憶に残っているのは、テレビドラマの少年探偵団である。その主題歌は、私と同世代の人ならたぶん、憶えているはずである。ちなみに、浅田次郎は、エッセイ集のタイトルに使っている。「勇気凜凜ルリの色」。
乱歩が見出した作家として名前があがっていたのが、横溝正史、松本清張、山田風太郎、星新一、筒井康隆。それから、仁木悦子だった。仁木悦子は、今ではあまり読まれないかもしれないが、日本における探偵小説の歴史を語る上では、重要な作家である。
分かりやすい平易な文章、多様な価値観をふくんだエンタメ、これを失ってはならないと強く思う。
2023年11月16日記
英雄たちの選択 帰ってきた探偵 〜江戸川乱歩 ミステリー復活の闘い〜
この回はなかなかよくできていたと思う。すぐれた江戸川乱歩論であり、探偵小説論であり、読者論につながっていく内容であった。
まず番組のなかで指摘されていたのが、乱歩の時代の作品の読者は、どのような社会階層の人びとであったのか、ということ。大衆小説というが、その読者には、ある一程度以上のリテラシが求められる。具体的にいえば、ある程度以上の学歴が必要になる。では、乱歩を読んだ昭和戦前の読者は、どんな人びとであったのか。これは、アッパーミドルというべき人びとであったろう。
この番組では、一貫して「探偵小説」と言っていた。これは正しい。今日、場合によっては「推理小説」の用語が使われることもあるが、これは戦後になってからのことになるだろう。乱歩が書いたのは、探偵小説である。そして、この探偵小説というジャンルにおいて、何を書いていたのか。これは、狭義の推理小説ではとらえることができない幅広いものになる。「芋虫」は、今の時代、推理小説とは言えないだろう。
戦後、探偵小説復活の時代にあって、乱歩は、新たな作品を書かなかった。これは、探偵小説の読者として、どのような人びとを想定するかということとつながってくる。昭和の戦前から戦後へと時代の変化のなかにあって、読者の嗜好が移ろいやすいものであることを、乱歩は感じとっていたのだろう。
一方、少年探偵団のシリーズを書く。私も子どものころにいくつか読んだかと思う。それよりも記憶に残っているのは、テレビドラマの少年探偵団である。その主題歌は、私と同世代の人ならたぶん、憶えているはずである。ちなみに、浅田次郎は、エッセイ集のタイトルに使っている。「勇気凜凜ルリの色」。
乱歩が見出した作家として名前があがっていたのが、横溝正史、松本清張、山田風太郎、星新一、筒井康隆。それから、仁木悦子だった。仁木悦子は、今ではあまり読まれないかもしれないが、日本における探偵小説の歴史を語る上では、重要な作家である。
分かりやすい平易な文章、多様な価値観をふくんだエンタメ、これを失ってはならないと強く思う。
2023年11月16日記
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