100分de名著「100分de宗教論」 ― 2024-01-09
2024年1月9日 當山日出夫
登場していたのは次のひとたち、取りあげた本である。
釈徹宗 『予言がはずれるとき』
最相葉月 『ニコライの日記』
中島岳志 『大義』『大義の末』
片山杜秀 『深い河』
年末年始にいくつかの番組を録画しておいて、後から見ていっている。なかには、正月の能登半島の地震の報道のため、中止になった番組もある。いずれどこかで放送になるだろうと思う。まだ全部を見たということではないが、ある意味で最も興味をひいた番組の一つである。
とりあげられた本は今でも入手可能なものもあれば、売っていないものもあるようだ。認知的不協和という用語、概念は、この番組を見て知った。
宗教ということについて論じるのは、難しいところがある。文献学のアプローチもあるし、特定の宗教の教義について論じることもできるし、また、ある宗教教団の歴史について論じることもできる。だが、正面から人間にとって宗教とは何であるかという問いかけは、困難な面があると感じている。
極論すればであるが、それは信じる人の自由であるということになりかねない。
だが、宗教が、現実の世界のなかで、国家や社会、民族や文化と深いかかわりのあることは確かである。現に、今日の世界で起こっている戦争、紛争の多くは、宗教がなにがしかの形で関係している。ロシアとウクライナの問題もそうであるし、パレスチナの問題もそうである。ロヒンギャの人びとのこともある。
個人の信仰の問題ではあるのだが、一方で、宗教とは人間とはどのような存在であるかという問いかけにもつながる。このあたりをどうバランスをとって考えるか難しいところがある。そこを、この番組の場合、非常にたくみなバランス感覚で構成してあったと感じる。
登場していた人たちについては、どの人もその著作を読んだことはある。宗教の専門家と言えるのは、釈徹宗ぐらいだろうか。中島岳志は、宗教関係の著作はあるが、どちらかといえば政治、歴史学者といった方がいいだろう。最相葉月は、ノンフィクション作家であるし、片山杜秀は政治思想史研究者といえるかと思う。しかし、どの人の仕事も、なにがしか宗教にかかわるものではある。
また、とりあげてあった本は、いわゆる狭義の宗教書ではない。特に『大義』(杉本五郎)は、一般には宗教書の範疇には入らないだろう。
このあたりの人選と本の選び方が、この番組の場合、非常にうまく作ってあったと感じる。
宗教の多元性ということが語られていたが、これは、論じ方によっては、汎神論となり、素朴なアニミズムとも、あるいは如来像思想とも、逆に、一神教とも、融合していくことになる。その是非は改めて論じる必要があるだろうが、少なくとも、世界で起こっている宗教による紛争、対立が、決して解決不可能な問題ではない、ということに希望を見出すことが可能かもしれない。とはいえ、異なる宗教の隣人とどう暮らすかという現実的な課題は残るにちがいないが。
2024年1月4日記
登場していたのは次のひとたち、取りあげた本である。
釈徹宗 『予言がはずれるとき』
最相葉月 『ニコライの日記』
中島岳志 『大義』『大義の末』
片山杜秀 『深い河』
年末年始にいくつかの番組を録画しておいて、後から見ていっている。なかには、正月の能登半島の地震の報道のため、中止になった番組もある。いずれどこかで放送になるだろうと思う。まだ全部を見たということではないが、ある意味で最も興味をひいた番組の一つである。
とりあげられた本は今でも入手可能なものもあれば、売っていないものもあるようだ。認知的不協和という用語、概念は、この番組を見て知った。
宗教ということについて論じるのは、難しいところがある。文献学のアプローチもあるし、特定の宗教の教義について論じることもできるし、また、ある宗教教団の歴史について論じることもできる。だが、正面から人間にとって宗教とは何であるかという問いかけは、困難な面があると感じている。
極論すればであるが、それは信じる人の自由であるということになりかねない。
だが、宗教が、現実の世界のなかで、国家や社会、民族や文化と深いかかわりのあることは確かである。現に、今日の世界で起こっている戦争、紛争の多くは、宗教がなにがしかの形で関係している。ロシアとウクライナの問題もそうであるし、パレスチナの問題もそうである。ロヒンギャの人びとのこともある。
個人の信仰の問題ではあるのだが、一方で、宗教とは人間とはどのような存在であるかという問いかけにもつながる。このあたりをどうバランスをとって考えるか難しいところがある。そこを、この番組の場合、非常にたくみなバランス感覚で構成してあったと感じる。
登場していた人たちについては、どの人もその著作を読んだことはある。宗教の専門家と言えるのは、釈徹宗ぐらいだろうか。中島岳志は、宗教関係の著作はあるが、どちらかといえば政治、歴史学者といった方がいいだろう。最相葉月は、ノンフィクション作家であるし、片山杜秀は政治思想史研究者といえるかと思う。しかし、どの人の仕事も、なにがしか宗教にかかわるものではある。
また、とりあげてあった本は、いわゆる狭義の宗教書ではない。特に『大義』(杉本五郎)は、一般には宗教書の範疇には入らないだろう。
このあたりの人選と本の選び方が、この番組の場合、非常にうまく作ってあったと感じる。
宗教の多元性ということが語られていたが、これは、論じ方によっては、汎神論となり、素朴なアニミズムとも、あるいは如来像思想とも、逆に、一神教とも、融合していくことになる。その是非は改めて論じる必要があるだろうが、少なくとも、世界で起こっている宗教による紛争、対立が、決して解決不可能な問題ではない、ということに希望を見出すことが可能かもしれない。とはいえ、異なる宗教の隣人とどう暮らすかという現実的な課題は残るにちがいないが。
2024年1月4日記
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