「エレファント・マザー 〜タイを象の楽園に〜」 ― 2024-01-19
2024年1月19日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー レファント・マザー 〜タイを象の楽園に〜
タイという国でゾウがいるということは漠然とした知識としては持っていたが、その実態がどのようなものであるかは知らなかった。労働力として使われているというぐらいの認識であったタイには、ゾウを飼育してショーを見せる施設が、商業的に数多くあるということを知った。
動物愛護の観点からは、ショーをするために過酷な調教を受けなければならないという状況は、忌避されることになる。
一番いいのは、ゾウが自然のなかで自由に暮らす環境を整えることであるにちがいない。だが、タイでも、森林火災など問題があるらしい。番組では語っていなかったが、ゾウが自然に生息できる環境は、どれほど残されているのだろうか。
番組であつかっていた施設は、ゾウに芸をさせたりすることなく、自由に暮らせる環境を作る方針である。これはゾウにとっても、いいことであるにちがいない。
思うこととしては、日本では、多くの水族館でイルカなどのショーが行われている。そして、イルカの捕獲については、世界的に批判が向けられていることは確かである。日本では虐待をともなう調教は行われていないと思うが、動物園、水族館のあり方として、動物に芸をさせるということ自体、そろそろ見なおすべきときに来ているのではないか。時代の価値観が大きく変わってきていることに、自覚的になるべきである。
2024年1月13日記
BS世界のドキュメンタリー レファント・マザー 〜タイを象の楽園に〜
タイという国でゾウがいるということは漠然とした知識としては持っていたが、その実態がどのようなものであるかは知らなかった。労働力として使われているというぐらいの認識であったタイには、ゾウを飼育してショーを見せる施設が、商業的に数多くあるということを知った。
動物愛護の観点からは、ショーをするために過酷な調教を受けなければならないという状況は、忌避されることになる。
一番いいのは、ゾウが自然のなかで自由に暮らす環境を整えることであるにちがいない。だが、タイでも、森林火災など問題があるらしい。番組では語っていなかったが、ゾウが自然に生息できる環境は、どれほど残されているのだろうか。
番組であつかっていた施設は、ゾウに芸をさせたりすることなく、自由に暮らせる環境を作る方針である。これはゾウにとっても、いいことであるにちがいない。
思うこととしては、日本では、多くの水族館でイルカなどのショーが行われている。そして、イルカの捕獲については、世界的に批判が向けられていることは確かである。日本では虐待をともなう調教は行われていないと思うが、動物園、水族館のあり方として、動物に芸をさせるということ自体、そろそろ見なおすべきときに来ているのではないか。時代の価値観が大きく変わってきていることに、自覚的になるべきである。
2024年1月13日記
映像の世紀バタフライエフェクト「ふたつの超大国 米中の百年」 ― 2024-01-19
2024年1月19日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの超大国 米中の百年
米中関係の二〇世紀である。
おそらくは台湾での総統選挙に合わせての放送である。選挙の結果は、民進党の候補の勝利であった。
いろいろと思うところはあるが、やはり今の中国の目指している方向は歓迎できない、と感じざるをえない。はたして、中国で民主主義が可能なのだろうか。日本の視点から考えるならば、独裁的な政治体制よりも、民主的な制度の方が優れているというのが一般の考え方である。しかし、中国の指導者は必ずしもそうは思っていないようだ。うまく統治できるなら、独裁であってよい、と思っているらしい。
文化大革命のときのことをかなり批判的にあつかっていた。その当時のことは私も憶えている。「毛沢東語録」がちまたにあふれていた時代である。
二一世紀版の中華思想というべきもの、一党独裁体制、それに対抗するものとしての、民主主義という対立の構図は、あまりにも単純化しすぎているとは思うが、とりあえずは、この枠組みで理解するしかないのかと思う。
習近平の考え方の根底にあることとして、文化大革命のことがあるという説明は、なるほどそのようにとらえることも可能かと思う。
そして、国家と国家の対立がどうであれ、様々なレベルでの人びとの交流が重要であるということにはかわりはない。
2024年1月17日記
映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの超大国 米中の百年
米中関係の二〇世紀である。
おそらくは台湾での総統選挙に合わせての放送である。選挙の結果は、民進党の候補の勝利であった。
いろいろと思うところはあるが、やはり今の中国の目指している方向は歓迎できない、と感じざるをえない。はたして、中国で民主主義が可能なのだろうか。日本の視点から考えるならば、独裁的な政治体制よりも、民主的な制度の方が優れているというのが一般の考え方である。しかし、中国の指導者は必ずしもそうは思っていないようだ。うまく統治できるなら、独裁であってよい、と思っているらしい。
文化大革命のときのことをかなり批判的にあつかっていた。その当時のことは私も憶えている。「毛沢東語録」がちまたにあふれていた時代である。
二一世紀版の中華思想というべきもの、一党独裁体制、それに対抗するものとしての、民主主義という対立の構図は、あまりにも単純化しすぎているとは思うが、とりあえずは、この枠組みで理解するしかないのかと思う。
習近平の考え方の根底にあることとして、文化大革命のことがあるという説明は、なるほどそのようにとらえることも可能かと思う。
そして、国家と国家の対立がどうであれ、様々なレベルでの人びとの交流が重要であるということにはかわりはない。
2024年1月17日記
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