「ナパーム弾の少女 歴史を変えた報道写真の真実」2024-01-20

2024年1月20日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー ナパーム弾の少女 歴史を変えた報道写真の真実

二〇二二年、フランスの制作。

この写真のことは記憶にある。私は、一九五五年(昭和三〇)の生まれなので、ベトナム戦争のことは記憶のうちのできごとである。その発端のことは憶えていないが、物心ついてニュースなど見るようになったころには、ベトナム戦争の時代だった。日本国内でも、ベトナム反戦の動きがあった。

戦争とジャーナリズムという観点、特に写真、映像という視点から見て、いろいろ考えるところがある。

この写真が撮影された状況、誰がどのような判断をしたのか、撮影したのか、それを配信することにしたのか、当時の国際情勢のなかで、戦場のカメラマン、報道機関の考えたことが伝わってくる内容だった。特に興味深いのは、配信された写真はトリミングされたものであったこと。全体の写真では、カットされた右の方に、フィルムを詰め替えている他のカメラマンの姿があった。少女の姿が中心にくるようにトリミングされている。

この写真が撮影されたときの状況を、さらに他のカメラマンが動画として撮影していて、多くの証言が残されていることも興味深い。撮影しているカメラマンをさらに被写体として映している。

たしかにこの写真は、世界を動かすきっかけになったと言っていいかもしれない。

それから、その少女のその後が興味深い。火傷の治療のあと、ある意味で国家に利用されることになる。ベトナム戦争の被害者の象徴的存在になる。成長して留学し(キューバ)、さらにその後、西側に亡命することになった。波乱の人生である。

その後の戦争とジャーナリズムはどうだろうか。私の記憶にある範囲では、大きく変わったのは、湾岸戦争のときであった。報道は徹底的に統制された。そのなかで異彩をはなったのが、バグダッドから現地の中継をおこなったCNNのピーター・アーネットである。

今、ウクライナの戦争がある。またパレスチナでも戦闘がつづいている。戦争のリアルタイムでの実況ということが可能になった。ニュースで目にするのは、一般市民や子どもの犠牲者の姿である。これは、一つには、インターネット、スマートフォン、という現在の撮影機材の発達もある。これらの映像に嘘はないだろうが、しかし、それだけを信じていいのかとなると、ちょっと躊躇するところもある。

さらに今後の懸念としては、生成AIによる偽映像が流れる可能性も考えておかなければならない。戦争とジャーナリズムについては、多くのことが問題となる時代を迎えているといってよい。

それにしても、ベトナム戦争の戦場をレポートする記者が、銃撃戦をおこなっている兵士のすぐ後ろで、防弾チョッキもつけずにマイクに向かって話していたことは、今では考えられない状況である。

2024年1月10日記

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