ハートネットTV「瞽女唄が響く」 ― 2024-01-22
2024年1月22日 當山日出夫
ハートネットTV 瞽女唄が響く
瞽女唄というのを、テレビではっきりと耳にしたのは初めてということになるかもしれない。あるいは、若いとき、東京に住んでいたときは、国立劇場の小劇場の民俗芸能などの公演には、かなり足をはこんでいたので、その時に、接していたかとも思うのだが、記憶にない。
ことばとしては、阿賀北瞽女ということばを知っている。たしか、NHKのラジオの朗読の時間に、耳にした。たぶん、『阿賀北瞽女と瞽女唄集』だったかと思うのだが、はっきりとは憶えていない。これも若いときのことである。
番組の趣旨としては、視覚障害のある女性の生きる姿を追ったものであることは理解しているつもりだが、それよりも、瞽女唄というのがどんな芸能であるのか、芸能史的な興味関心がある。北国の農山村などにおいて、人びとにとって瞽女唄ぐらいがたまの娯楽であった時代というものがあったことは確かなことだろう。
瞽女唄というものを記録し、残していくことについては、私はその価値があると考える。そのような芸能があり、その芸能にたずさわる人びとがどんな生き方をしていたのか、これは歴史として語り継いでいく必要のあるものだと思う。
2024年1月18日記
ハートネットTV 瞽女唄が響く
瞽女唄というのを、テレビではっきりと耳にしたのは初めてということになるかもしれない。あるいは、若いとき、東京に住んでいたときは、国立劇場の小劇場の民俗芸能などの公演には、かなり足をはこんでいたので、その時に、接していたかとも思うのだが、記憶にない。
ことばとしては、阿賀北瞽女ということばを知っている。たしか、NHKのラジオの朗読の時間に、耳にした。たぶん、『阿賀北瞽女と瞽女唄集』だったかと思うのだが、はっきりとは憶えていない。これも若いときのことである。
番組の趣旨としては、視覚障害のある女性の生きる姿を追ったものであることは理解しているつもりだが、それよりも、瞽女唄というのがどんな芸能であるのか、芸能史的な興味関心がある。北国の農山村などにおいて、人びとにとって瞽女唄ぐらいがたまの娯楽であった時代というものがあったことは確かなことだろう。
瞽女唄というものを記録し、残していくことについては、私はその価値があると考える。そのような芸能があり、その芸能にたずさわる人びとがどんな生き方をしていたのか、これは歴史として語り継いでいく必要のあるものだと思う。
2024年1月18日記
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