ETV特集「二風谷に生まれて 〜アイヌ 家族100年の物語〜」2024-02-08

2024年2月8日 當山日出夫

ETV特集 二風谷に生まれて 〜アイヌ 家族100年の物語〜

見て思うことはいろいろとある。

アイヌの人びとの歴史は、きちんと残さなければならないということがある。かつて北海道(それから、サハリン、また東北地方など)には、アイヌの人びとがいた。この人びとの歴史は記録し伝えていかねばならない。それは、大きな流れとしては、いわゆる日本人による迫害、収奪、差別の歴史ということになるだろうが。

現在から未来にかけては、日本という国における、多文化共生という方向をさぐることになる。この観点においては、狭義の日本文化の外にあるアイヌ、それから、琉球などのことがある。さらには、日本に生活する朝鮮系の人びと、また、近年では、ベトナム、ブラジル、などから日本に来て生活している、いわゆる外国人労働者のことも考えるべきだろう。

過去をかえりみるということは、ただ日本人の悪をあばきたてて終わりということではない。そこから、これからの未来にむけて、どのような知見を導き出せるかが重要であると思っている。

先住権という概念については、私としては躊躇するところがある。近代の国民国家における国民とは何かというところから、議論していく必要がある。たまたま、現在の国家ができたときに、その時点で、そこに以前から住んでいたという理由だけで、特別な権利があるということは、妥当なことなのだろうか。人間の歴史は、侵略、征服、興亡の歴史でもある。その先住民の以前に住んでいた人びとのことは、忘れ去ってしまってよいのだろうか。人類の歴史をもっと長い目で見ることも意味があると思う。

アイヌの人びとの文化とか生活習慣とかは尊重されなければならないとは思う。しかし、それは法の許す範囲においてである、ということは基本的な前提である。

一方、川の鮭を捕るぐらいのことが、大きく環境や生態系に影響を与えるということではないならば、許容されてもいいのではないかとも思う。だが、これを、先住権という名のもとに声高にとなえることではないと思うのだが。

アイヌの人びとはこれからどうなっていくのだろうか。民族……立場によってはこれを社会構成的な概念ととらえることも可能だが……の基本にあるのは、宗教、言語、生活習慣などの共同性である。地域の生活のコミュニティのなかで、継続的に維持できなくなれば、それは消えていくことになるしかないだろう。これは、日本に住む他の国からやって来た人びとについても、言えることである。このことについて、日本文化の「伝統」はどうあるべきか、考えなければならない……これぐらいのことしか考えつかないでいる。

アイヌの人びとの将来がどうであれ、もはやかつてのような狩猟採集生活にもどるということは不可能である。このことだけは確かである。

2024年2月6日記

フロンティア「世界都市ローマ 永遠の都の秘密」2024-02-08

2024年2月8日 當山日出夫

フロンティア 世界都市ローマ 永遠の都の秘密

ローマについては、これまでたくさんの番組が作られてきている。どういう新しさで見せるのだろうかと思っていたが、意外とオーソドックスな作り方だった。しかし、これが効果的だったと思う。最新の科学的な方法で古代の技術を分析してみるというようなアプローチもあっただろうが、そのような手法はとっていなかった。古代から現代にいたるまでのローマの歴史を、きれいにまとめていた。これはこれで一つの方法である。

現代の自分を知るためには、歴史を学ぶ必要がある、まさにそのとおりである。古代から現代までの連続のうえになりたっているローマこそ、歴史を語るにふさわしい場所はないかもしれない。

それから、ムッソリーニの行った文化政策について、肯定的に語っていた。今の歴史において、ムッソリーニは一般には高く評価されるということはないと思うのだが、独裁者でなければできなかった文化政策というものもある。これはこれとして、評価すべきものは評価するのが正しいと私は思う。

フェリーニの映画など見ておきたくなった。

2024年1月30日記