こころの時代「カムイエロキ 神々が鎮座するところ」2024-02-20

2024年2月20日 當山日出夫

こころの時代 カムイエロキ 神々が鎮座するところ

こういう番組を「こころの時代」で放送するというのも、今の時代ということかなと思う。アイヌの人びとの生活感情に分け入っている。

アイヌの人びとが、日本列島において、いわゆる先住民族であるということは、一般に認められていることである。日本が古代の統一国家となるころ、あるいは、それ以前、アイヌの人びとが東北から北海道にいたし、また、沖縄はまた独自の存在であったろう。(現代の「日本」の範囲が決まるのは、明治になってから、あるいは、太平洋戦争後のことになる。)

私が知りたいと思い興味があるのは、第一に、今の日本で生活しているアイヌの人びとが、どんな暮らし方をしていて、どんな思いで生きているのか、ということである。この最も普通の人びととしての生活がどんななのか、ここのところが、一番分かりにくいところかとも感じている。

三〇年ほど途絶えていた、カムイエロキの祭り、あるいは、神事と言ってもいいのだろうか。アイヌの人びとが古くから伝えてきた神々を祀る行事である。

それが一端途絶えることになったのも、そこの地に暮らすアイヌの人びとの思いを反映してのことであることを、まず理解しておく必要があると思う。もう途絶えてしまってもいいという気持ちを抱いた人びとがいたことは、確かなことである。

その一方で、それを復活させたいと思う人びともいる。北海道の地でアイヌとして生きていくことになる人びとの気持ちは、複雑なものがあるのだろう。普通に会社などで働いていて、そして、アイヌであるということは、どういうことなのだろうとは思ってみる。

アイヌの祭りをおこなう人びとの、宗教とか世界観というのは、どうなのだろうと、ここは素朴に思うところがある。アイヌの祭りを執り行うからといって、かつてのような、民族の心性を保ち続けていることができるのだろうか。

しかし、民族の心性(という言い方しかできないのだが)は、儀式の形式を受け継ぐことによってしか、継承できないものであるのかとも考える。宗教というものは、人びとの生活と心のなかにあってこそ意味があるものだと思っている。決して博物館や文献資料のなかにあるものではない。その人びとのコミュニティと日常生活を守ることが、何より重要である。

それから、梅原猛のことばが紹介されていたが、私は、これは余計だったと感じる。アイヌの人びとに、古代の日本の姿を見出そうとする姿勢については、賛否両論あるかもしれない。あるいは、アイヌについて触れるならば、ほかに沖縄であるとか、また、日本の各地に残る民俗について、総合的に考える方向であるべきではないだろうか。おそらく、多様な要素が複合して日本の文化はなりたっていると私は思っている。

これからの時代、日本に暮らす人びとの多様性の尊重ということになるだろう。そのなかには、近代になってからの朝鮮系の人びともいれば、現代における新たな外国からの人びと、その多くは労働者としてやってきて暮らしている。これらを尊重するということは必要である。ただ、一般の社会のルールを乱さないようにという制限はある。そして、同時に重要なことは、そのルール、規範意識は、私たちのみんなの総意によって形成されるものであることも、同時に考えておかねばならないと思う。

2024年2月13日記

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