『光る君へ』「招かれざる者」 ― 2024-02-26
2024年2月26日 當山日出夫
『光る君へ』第8回「招かれざる者」
平安貴族の権力をめぐる駆け引きである。ドラマとしては面白いのだが、ただ実際にどのような政治をおこなおうとしていたのか、具体的な政策の中身がわからないので、今ひとつピンとこないところがある。(それにしても、平安時代の貴族はどんな政治をやっていたのだろう。このあたり、歴史学の知識に乏しいので残念ながら分からないままでいる。)
この回で兼家は病に倒れる。病気快癒のための加持祈祷は、本格的であった。以前に出てきた、まひろの家での加持祈祷はインチキがバレバレであったけれども、こんどはどうやら「本物」らしい。よりましについた霊は「よしこ」と言った。亡くなった忯子のことである。
でもまあ、帝のお后の死ということは、世間で周知のことだったろうから、忯子の霊というのも、ひょっとするとインチキかもしれないが、まあ、このあたりはこの時代の人びとには、そのようなことが信じられていた時代ということでいいかと思う。
興味深かったのは、つまはじき、あるいは、弾指。ナレーションで説明があってもいいと思うのだが無かった。『源氏物語』には、「つまはじき」の用例がある。ただ、具体的にどのような動作なのかは、よく分からないでいる。
まひろの琵琶の演奏のシーンはよかった。昔、東京に住んでいたころ、国立劇場には時々行った。雅楽の公演などもあった。琵琶の演奏は印象に残っている。音楽の素養のある人が聞けばすばらしく聞き取ることができるのだろうが、正直に言って、私の耳では、琵琶の演奏のどこがいいのかさっぱりわからなかった。このような演奏に感動した時代がかつてあったかということに、むしろ感動したと言ってもよい。
近代になってからの薩摩琵琶の演奏などをイメージすると、大きく違うことになる。また、今日においてもドラマなどで聴くことがある、琵琶法師の演奏などとも大きく異なる。
まひろは海を見たことがないという。『源氏物語』には、須磨、明石の巻で海の描写がある。紫式部はどこで海を実際に見たのだろうか。
盗賊の直秀が捕まった。さて、これからどうなるだろうか。
2024年2月25日記
『光る君へ』第8回「招かれざる者」
平安貴族の権力をめぐる駆け引きである。ドラマとしては面白いのだが、ただ実際にどのような政治をおこなおうとしていたのか、具体的な政策の中身がわからないので、今ひとつピンとこないところがある。(それにしても、平安時代の貴族はどんな政治をやっていたのだろう。このあたり、歴史学の知識に乏しいので残念ながら分からないままでいる。)
この回で兼家は病に倒れる。病気快癒のための加持祈祷は、本格的であった。以前に出てきた、まひろの家での加持祈祷はインチキがバレバレであったけれども、こんどはどうやら「本物」らしい。よりましについた霊は「よしこ」と言った。亡くなった忯子のことである。
でもまあ、帝のお后の死ということは、世間で周知のことだったろうから、忯子の霊というのも、ひょっとするとインチキかもしれないが、まあ、このあたりはこの時代の人びとには、そのようなことが信じられていた時代ということでいいかと思う。
興味深かったのは、つまはじき、あるいは、弾指。ナレーションで説明があってもいいと思うのだが無かった。『源氏物語』には、「つまはじき」の用例がある。ただ、具体的にどのような動作なのかは、よく分からないでいる。
まひろの琵琶の演奏のシーンはよかった。昔、東京に住んでいたころ、国立劇場には時々行った。雅楽の公演などもあった。琵琶の演奏は印象に残っている。音楽の素養のある人が聞けばすばらしく聞き取ることができるのだろうが、正直に言って、私の耳では、琵琶の演奏のどこがいいのかさっぱりわからなかった。このような演奏に感動した時代がかつてあったかということに、むしろ感動したと言ってもよい。
近代になってからの薩摩琵琶の演奏などをイメージすると、大きく違うことになる。また、今日においてもドラマなどで聴くことがある、琵琶法師の演奏などとも大きく異なる。
まひろは海を見たことがないという。『源氏物語』には、須磨、明石の巻で海の描写がある。紫式部はどこで海を実際に見たのだろうか。
盗賊の直秀が捕まった。さて、これからどうなるだろうか。
2024年2月25日記
フランケンシュタインの誘惑「タスキギー 史上最長の人種差別実験」 ― 2024-02-26
2024年2月26日 當山日出夫
フランケンシュタインの誘惑 タスキギー 史上最長の人種差別実験
正直に言ってこの事件のことは知らなかった。アメリカでクリントン大統領が実験の被験者たちに謝罪したのだが、これをニュースで見たという記憶はない。
このタスキギー梅毒実験については、医学関係者には知られていることなのかとも思う。検索をかけてみると、東京大学医学部の研究倫理支援室のHPなどが上位に出てくる。
https://ohrs-u-tokyo.jp/ethics/
一般に医学研究における倫理とは何であるかということがある。そして、この事件の場合には、そこに人種差別があってのことだったことが、もう一つの論点である。
第二次政界大戦の前に始められた研究であるが、そのスタートの時点、その時代の状況を考えれば、このような実験があってもやむをえなかったのかもしれないと思う余地は感じないでもない。無論、倫理的には、その時代にあっても人体実験は非倫理的ではあったはずである。ただ、医学ということを考えるならば、なにがしかの人体実験、あるいは、それい類する行為は、不可欠なのかもしれないとは思う。だからこそ、研究は倫理的でなければならないと同時に科学的でなければならない。
タスキギー実験については、倫理的に問題であったことは無論であるが、科学的なデータとしてどれほどの知見が得られたのか、そこも問題だと思う。(科学的に厳密な統計データを取るためであるならば許されるということにはならないが。)
少なくとも、ペニシリンの効果が確認された時点で、実験を継続すべきかどうかの判断がなされるべきだったとは思う。治療法が分かっているのに、実験をつづける意義はどこにあると考えたのだろうか。
さらに問題なのは、この実験が問題視されるようになったのは、公民権法が成立してからのことだということもある。そして、アメリカ政府として正式に謝罪したのは、さらに年月がたってからになる。
番組であつかっていた黒人看護師の女性、おそらくは善意からの行動だったと思われる。人間は、善意によって行動すればそれで良いということには必ずしもならない。人間はどうあるべきかという観点からみて、非常に考えるところのある事件である。
2024年2月23日記
フランケンシュタインの誘惑 タスキギー 史上最長の人種差別実験
正直に言ってこの事件のことは知らなかった。アメリカでクリントン大統領が実験の被験者たちに謝罪したのだが、これをニュースで見たという記憶はない。
このタスキギー梅毒実験については、医学関係者には知られていることなのかとも思う。検索をかけてみると、東京大学医学部の研究倫理支援室のHPなどが上位に出てくる。
https://ohrs-u-tokyo.jp/ethics/
一般に医学研究における倫理とは何であるかということがある。そして、この事件の場合には、そこに人種差別があってのことだったことが、もう一つの論点である。
第二次政界大戦の前に始められた研究であるが、そのスタートの時点、その時代の状況を考えれば、このような実験があってもやむをえなかったのかもしれないと思う余地は感じないでもない。無論、倫理的には、その時代にあっても人体実験は非倫理的ではあったはずである。ただ、医学ということを考えるならば、なにがしかの人体実験、あるいは、それい類する行為は、不可欠なのかもしれないとは思う。だからこそ、研究は倫理的でなければならないと同時に科学的でなければならない。
タスキギー実験については、倫理的に問題であったことは無論であるが、科学的なデータとしてどれほどの知見が得られたのか、そこも問題だと思う。(科学的に厳密な統計データを取るためであるならば許されるということにはならないが。)
少なくとも、ペニシリンの効果が確認された時点で、実験を継続すべきかどうかの判断がなされるべきだったとは思う。治療法が分かっているのに、実験をつづける意義はどこにあると考えたのだろうか。
さらに問題なのは、この実験が問題視されるようになったのは、公民権法が成立してからのことだということもある。そして、アメリカ政府として正式に謝罪したのは、さらに年月がたってからになる。
番組であつかっていた黒人看護師の女性、おそらくは善意からの行動だったと思われる。人間は、善意によって行動すればそれで良いということには必ずしもならない。人間はどうあるべきかという観点からみて、非常に考えるところのある事件である。
2024年2月23日記
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