偉人の年収「ロケット開発者 糸川英夫」2024-02-28

2024年2月28日 當山日出夫

偉人の年収 How much? ロケット開発者 糸川英夫

再放送である。最初の放送のとき見逃していたので録画しておいた。

小惑星「イトカワ」の名前が、糸川秀夫に由来することは知っていたが、それがどんな人かはほとんど知らなかった。東京大学でロケットの開発をしていたことぐらいである。

私が子どものころ、テレビのニュースで、日本のロケット実験のことを何度か見た記憶がある。今から思えば、その陣頭指揮をとっていたのが糸川英夫ということになる。

しかし、日本初の人工衛星打ち上げのときのことは憶えていない。大きなニュースになったとは思うのだが。

糸川英夫が、東大を出て中島飛行機に就職し、隼の開発にたずさわっていたことは、この番組で知った。私の年代の人間なら、陸軍の戦闘機であった隼の名前は知っている。

脳波の研究をしていたことは意外であった。しかし、波形として表現出来るものなら共通点があるはず、という発想はすごいと思う。

それから、内之浦のロケット発射場の建設に、地元の人たちが協力していたということは、これはいい話しだと思う。

科学の研究、技術の開発には、個人の研究者の才能だけではどうしようもないことがある。研究資金をどこから調達してくるのか、そのマネージャーとしての手腕が必要になる場面もある。今の日本は、どうもこのあたり、非常にケチになっているという印象がある。糸川英夫のすごいところは、研究開発のプロジェクトを推進する、言ってみれば純然たる研究以外のところでの手腕があったということになるだろうか。

六〇を過ぎてからバレーを始めるというのも驚きである。だが、健康のためと、また、勝敗のない趣味の世界というのは、発想の柔軟性を保つためにいいことかと思う。

ところで、晩年の糸川英夫は、多くの著書を書いているのだが、手にした記憶がない。読んだことはないと思う。いったいどんなことを書いていたのか、興味がある。

2024年2月26日記

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