「憲法と家庭裁判所ー三淵嘉子からのメッセージー」 ― 2024-05-31
2024年5月31日 當山日出夫
木村多江の、いまさらですが… 憲法と家庭裁判所ー三淵嘉子からのメッセージー
この番組は時々見ることにしているのだが、NHKのなかにおいては、かなり天邪鬼的存在だろうと思う。これまでも、笠置シズ子のことを取りあげていた。朝ドラの視点とは異なる立場で、どういうことが見えるのか、というような発想がある。
三淵嘉子については、いろんな本が出ている。日本で最初の女性弁護士であり、戦後は家庭裁判所に尽力した人であることは、知られていることだろう。
見ていていろいろと思うところがある。『虎に翼』での描き方もそうだし、この番組でも同じなのだが、明治の民法について、女性の権利を踏みにじった悪法としてあつかうのはどうなのだろうかと思う。確かに、現在の価値観から考えるならば、旧弊なところはある。だが、明治の民法も歴史のなかで見なければならないと私は思う。それまでの近世の人たちは、どのような法規範のもとで暮らしていたのか。その生活の実態はどうであったのか、これがまず重要だろう。そして、明治になって近代的な法治国家をめざす日本において、その当時の世界の国々の法律と比較して、それはどのように評価することができるのか、このところがまず重要なところであるはずである。
女性の権利の主張にも歴史があるはずである。歴史を考慮することなく、現時点での理想論から過去のことを悪く言うという立場は、私の好むところではない
戦後、日本国憲法によって、男女平等ということになるのだが、それにいたる歴史的経緯が、重要な論点であると私は思う。無論、これは、男女の平等ということに限らず、憲法の他の内容についても同様である。日本国憲法は、理想を体現した不磨の大典ではないはずである。
また、家庭というものをどう考えるか。最近では、こども家庭庁を作るとき、家庭の語を入れることには、左翼側から強い反発があった。今の時代、子どもや女性を圧迫しているのは、家庭である、という価値観である。では、このような価値観から見た場合、三淵嘉子の活動の舞台となった家庭裁判所とそこでの仕事は、どうふり返って評価することができるのだろうか。これは、『虎に翼』で家庭裁判所でのことをどう描くかということと、それに対して、SNS世論がどう反応するか、ということが、興味深いことになるかと思っている。
ちなみに、ちくま新書の『「家庭」の誕生――理想と現実の歴史を追う』は、いろいろと面白い本だった。かつては、家にかわるものとして近代的な家庭が価値あるものとされた。しかし、現代では、子どもや女性(あるいは男性をふくめて)を束縛するものとして、家庭を否定的に見る傾向にある。三淵嘉子が家庭裁判所にかかわった時代は、男女の夫婦と子どもからなる家庭が社会の基本であるという考え方の時代であったかと思う。では、ドラマでは、家庭というものをどう描くことになるだろうか。
2024年5月28日記
木村多江の、いまさらですが… 憲法と家庭裁判所ー三淵嘉子からのメッセージー
この番組は時々見ることにしているのだが、NHKのなかにおいては、かなり天邪鬼的存在だろうと思う。これまでも、笠置シズ子のことを取りあげていた。朝ドラの視点とは異なる立場で、どういうことが見えるのか、というような発想がある。
三淵嘉子については、いろんな本が出ている。日本で最初の女性弁護士であり、戦後は家庭裁判所に尽力した人であることは、知られていることだろう。
見ていていろいろと思うところがある。『虎に翼』での描き方もそうだし、この番組でも同じなのだが、明治の民法について、女性の権利を踏みにじった悪法としてあつかうのはどうなのだろうかと思う。確かに、現在の価値観から考えるならば、旧弊なところはある。だが、明治の民法も歴史のなかで見なければならないと私は思う。それまでの近世の人たちは、どのような法規範のもとで暮らしていたのか。その生活の実態はどうであったのか、これがまず重要だろう。そして、明治になって近代的な法治国家をめざす日本において、その当時の世界の国々の法律と比較して、それはどのように評価することができるのか、このところがまず重要なところであるはずである。
女性の権利の主張にも歴史があるはずである。歴史を考慮することなく、現時点での理想論から過去のことを悪く言うという立場は、私の好むところではない
戦後、日本国憲法によって、男女平等ということになるのだが、それにいたる歴史的経緯が、重要な論点であると私は思う。無論、これは、男女の平等ということに限らず、憲法の他の内容についても同様である。日本国憲法は、理想を体現した不磨の大典ではないはずである。
また、家庭というものをどう考えるか。最近では、こども家庭庁を作るとき、家庭の語を入れることには、左翼側から強い反発があった。今の時代、子どもや女性を圧迫しているのは、家庭である、という価値観である。では、このような価値観から見た場合、三淵嘉子の活動の舞台となった家庭裁判所とそこでの仕事は、どうふり返って評価することができるのだろうか。これは、『虎に翼』で家庭裁判所でのことをどう描くかということと、それに対して、SNS世論がどう反応するか、ということが、興味深いことになるかと思っている。
ちなみに、ちくま新書の『「家庭」の誕生――理想と現実の歴史を追う』は、いろいろと面白い本だった。かつては、家にかわるものとして近代的な家庭が価値あるものとされた。しかし、現代では、子どもや女性(あるいは男性をふくめて)を束縛するものとして、家庭を否定的に見る傾向にある。三淵嘉子が家庭裁判所にかかわった時代は、男女の夫婦と子どもからなる家庭が社会の基本であるという考え方の時代であったかと思う。では、ドラマでは、家庭というものをどう描くことになるだろうか。
2024年5月28日記
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