『光る君へ』「越前の出会い」2024-06-03

2024年6月3日 當山日出夫

『光る君へ』第22回「越前の出会い」

紫式部が越前に行っているということは、史実として確認できることだったと思うのだが、しかし、父親の為時のそばにくっついていたということなのだろうか。越前の国司であり、従五位下である。殿上人としては下位であるといっても、れっきとした貴族である。まひろが、一般のというか、身分が下の人びとの前に、顔をさらすというのは、どうなのだろうか。まして、えたいのしれない外国人の前に出て行くのはどうだったのだろうかと思わないではない。しかし、現代のテレビのドラマとして作るには、顔を合わせることがないと成りたたない。

実際に現地に行く国司……受領と昔学校でならったのだが……ならば、さんざん悪いことをしてがっぽり儲けて帰るというのが普通だったと思うのだが、為時は、清廉潔白な官僚ということのようだ。(実際はどうだったのだろうか。『今昔物語集』では受領というのは相当のがめつさだったようだ。)

紫式部は本当に羊の肉を食べたことがあったのだろうか……

「宋語」といういいかたが、今ひとつしっくりこない。かといって、「中国語」ということもできない。現代でもそうなのだが、言語の名称は難しい。たとえば、私は「朝鮮語」という呼称をつかうことにしている。学生の時に勉強した(慶應義塾外国語学校、この当時、大学の学部には朝鮮語の授業がなかった)ときの名称が「朝鮮語」だった。「韓国語」というと、北朝鮮で使っていることばの名称としてはふさわしくない。「ハングル」という言い方もあるが、私は使わない。「朝鮮語」のことを「ハングル」というようになったのは、昔、NHKが朝鮮語講座を始めるとき、「朝鮮語」とも「韓国語」とも使えず、苦肉の策として「ハングル」と使い始めたのがおこりだったと記憶する。「ハングル」は言語の名称ではなく文字の名称である。他にも、現在の国名と言語の名称とはややこしいのがある。「ペルシャ語」「ビルマ語」などがある。

このドラマでは、死のけがれというのは描かない方針である。これも、もう慣れてしまった。始めのころは、平安貴族の生活感覚としてどうしてもそぐわない感じがしたのだが、まあ、このドラマはこんなふうに作っているのかと、半分あきらめた感じて見ている。

それにしても、オウムの声だけの登場というのは、ドラマでははじめてかもしれない。

次回の予告に出てきた、左大臣は帝の次に偉い人……これは「不敬」であろう。

2024年6月2日記

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