「東京 戦後ゼロ年」2024-07-13

2024年7月13日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 「東京 戦後ゼロ年」

昭和二〇年の終戦後、いわゆるパンパンといわれた女性たちがいたことは、広く知られていることである。これも、時代の流れとともに移り変わっている。かつては、そのような女性たちがいたことは周知の事実であったがゆえに、特にことさら表だって言うことは避けていた雰囲気があった。それが、忘れられようとする時代になると、逆に、そのような女性たちがいたことを、ことさら表面に出して語る傾向になる。(この意味では、従軍慰安婦をめぐる言説もこのような流れのなかでとらえることもできる。)

『星の流れに』(菊池章子)を知っている人は、いまどれぐらいいるだろうか。(わたしが持っているのは、ちあきなおみがカバーしたものであるが。)

アメリカの軍人相手の女性たちについて、カラーの映像で見るのは初めてかもしれない。番組で使っていたのは米軍側の映した映像資料であるが、このときに考えなければならないことは、なぜそのような女性たちが被写体として映っているのか、ということでもある。映像資料の社会的歴史的文化的な観点からの意味ということになる。

それから、このような女性たちが着物姿であったことも気になった。一般に、パンパンというと、派手な洋装をイメージすることが多いかと思うのだが、そのようなパンパンのイメージは、どのようにして形成されてきたものなのか、これはこれとして興味深いことである。

ラクチョウのお時の街頭でのインタビュー音声が残っている。パンパンは、当時の価値観において決して良い仕事ということではなかったけれども、違法であったわけではない。

闇市で売られていた品物はいったいどこからやってきたのだろうか。そのかなりは隠匿物資であったことになるが、戦時中のいろんな物資の管理や流通は、実際どうなっていたのだろうか。様々なとこころに隠されていたのだろう。

海から引き上げられた金塊は、その後いったいどうなったのだろうか。

闇市のカラー写真が残っていることは興味深い。何がどんな値段で売られていたのか、もっと分かると面白い。

戦後の人びとの生活というと、私は、『名もなく貧しく美しく』(松山善三)を思い出す。若いとき映画館で見た。

ただ、このような番組を作るとき、どうしても残っている映像資料に依拠することになる。そのため、都市部の人びとの生活を映すことになる。タイトルがまさに「東京 戦後ゼロ年」である。これはこれでいたしかたのないことではあるが、では、都市部以外、地方の農村などではどうだったのだろうか、ということも気になることである。

坂口安吾の『堕落論』を読んだのは、高校生のころだったろうか。

八月一五日の玉音放送のシーン。野外で人びとは起立して聞いていた。しかし、玉音放送の昭和天皇のことば(音声)だけで、日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏することになった、ということを理解できたのだろうか。この意味では、終戦のことを伝えるニュース映画があったことは、なるほどそうなのだろうと思う。八月一五日の玉音放送以外、NHKではどのような放送をしたのか。また、新聞はどうだったのか。おそらく、研究されていることかもしれないが、一般的な書物では分かりにくいことである。

2024年7月11日記

「課外授業ようこそ先輩 みんな生きていればいい」2024-07-13

2024年7月13日 當山日出夫

時をかけるテレビ 課外授業ようこそ先輩 みんな生きていればいい

思うことはいくつもある。だが、ここでは次のことだけを書いておきたい。

この番組を見て、私がテレビの画面で見ていたのは、福島智の横に座っている指点字通訳の人だった。

他者とのコミュニケーションの重要性はそのとおりである。この場合、ひょっとすると誤解や思い違いであるのかもしれないが、自分が他者とコミュニケーションできている、少なくとも、その可能性のある状態にあることを自覚できること、ということになるだろうか。さらにいえば、その場合の他者とは、現に生きている人間だけに限らず、過去の死者たちであるかもしれない。

このように一般化はしてみるものの、さしあたって自分のとなりに人がいて、その声が聞こえ、姿が目に見え、あるいは、その存在の気配を感じることができる……この原初的な感覚が基本となることはたしかだろう。

最初に書いたように、番組を見ながら気になったのは、番組の内容からはすこしはずれたところになるかもしれないが、福島智の横にいて指点字で通訳している人の、所作とか表情や視線の動きである。人がコミュニケーションを求めてきたときに即座に対応できるというのは、こういうふるまいのことなのかと、思うところがあった。(この意味では、最近のSNSでの、自分とは異なる立場の人への非難合戦は、本来の意味での人間のコミュニケーションとは対極的なあり方だと思わざるをえない。)

2024年7月12日記