「岐阜・長良川 流れを見つめながら」 ― 2024-07-16
2024年7月16日 當山日出夫
ドキュメント72時間 岐阜・長良川 流れを見つめながら
ただ何をするともなく、ぼんやりと川の流れを眺めている、それだけのことである。
今の時代、何か目的をもって行動しなければならない、価値のあることをしなければならない、という強迫観念のようなものが強くある。そのようなものから解き放たれて、特に目的があるではなく、時間をすごす、そのようなことがあっていい。
この前の、日本海のフェリーで海を眺めている人とか、去年だったろうか、琵琶湖の湖岸のベンチで湖面を見ているだけの人とか、さらに、そういう人の様子を見ているだけの人がいる、世の中こんなもんでいいのである、そう思うことにする。あまり効率とか、コスパとか、求めているとやはり人間は疲れてくるものである。
たまたまそういう編集にしてあったのかとも思うが、スマホの画面を見ているという人はいなかった。流れる川面をぼんやりと眺めている方が、人間の精神にとっては生産的な時間なのかもしれない。
2024年7月15日記
ドキュメント72時間 岐阜・長良川 流れを見つめながら
ただ何をするともなく、ぼんやりと川の流れを眺めている、それだけのことである。
今の時代、何か目的をもって行動しなければならない、価値のあることをしなければならない、という強迫観念のようなものが強くある。そのようなものから解き放たれて、特に目的があるではなく、時間をすごす、そのようなことがあっていい。
この前の、日本海のフェリーで海を眺めている人とか、去年だったろうか、琵琶湖の湖岸のベンチで湖面を見ているだけの人とか、さらに、そういう人の様子を見ているだけの人がいる、世の中こんなもんでいいのである、そう思うことにする。あまり効率とか、コスパとか、求めているとやはり人間は疲れてくるものである。
たまたまそういう編集にしてあったのかとも思うが、スマホの画面を見ているという人はいなかった。流れる川面をぼんやりと眺めている方が、人間の精神にとっては生産的な時間なのかもしれない。
2024年7月15日記
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