『光る君へ』「一帝二后」 ― 2024-07-22
2024年7月22日 當山日出夫
『光る君へ』「一帝二后」
脚本の大石静は、朝に再放送をしている『オードリー』も書いている。これ見ていて思うことは、大石静は人間のこころの中にある毒というか、邪悪なもの部分を描くのが巧いということである。というよりも、基本的な人間観の問題かもしれない。人間は、心で思っていることと、行動に現れることとは、異なっている。人間とはそのようなものなのである。
『源氏物語』は、不義密通の物語である。藤壷であり、女三宮、である。ドラマの作り方としては、まひろの体験が、その後の『源氏物語』に投影されているということになるのかもしれない。生まれた子ども、賢子……後の大弐三位である……を見る、藤原宣孝のまなざしは、女三宮に生まれた子どもを見る光源氏に重なるものがある。
それにしても、生まれたての赤ちゃんに『蒙求』を読んできかせてもとは思うのだが、まあこれはまひろの趣味というか、脚本の好みであろう。女の子なら、この時代の貴族だったら三代集……古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集……かなと思うのだが。
まひろは宣孝と結婚してから、あきらかに家の調度も着るものもよくなっている。端的にいえば、貧乏からすこしお金持ちになったのである。
映像的に興味深かったのは、彰子の立后の儀式。実際どうだったか、考証してということなのだろうと思うが、まああんなものだったのかなと思って見ていた。
定子が亡くなった。その死体の側に一条天皇がかけつけていたのだが、もう驚かない。このドラマでは、平安貴族の死のけがれということを描かない方針である。
2024年7月21日記
『光る君へ』「一帝二后」
脚本の大石静は、朝に再放送をしている『オードリー』も書いている。これ見ていて思うことは、大石静は人間のこころの中にある毒というか、邪悪なもの部分を描くのが巧いということである。というよりも、基本的な人間観の問題かもしれない。人間は、心で思っていることと、行動に現れることとは、異なっている。人間とはそのようなものなのである。
『源氏物語』は、不義密通の物語である。藤壷であり、女三宮、である。ドラマの作り方としては、まひろの体験が、その後の『源氏物語』に投影されているということになるのかもしれない。生まれた子ども、賢子……後の大弐三位である……を見る、藤原宣孝のまなざしは、女三宮に生まれた子どもを見る光源氏に重なるものがある。
それにしても、生まれたての赤ちゃんに『蒙求』を読んできかせてもとは思うのだが、まあこれはまひろの趣味というか、脚本の好みであろう。女の子なら、この時代の貴族だったら三代集……古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集……かなと思うのだが。
まひろは宣孝と結婚してから、あきらかに家の調度も着るものもよくなっている。端的にいえば、貧乏からすこしお金持ちになったのである。
映像的に興味深かったのは、彰子の立后の儀式。実際どうだったか、考証してということなのだろうと思うが、まああんなものだったのかなと思って見ていた。
定子が亡くなった。その死体の側に一条天皇がかけつけていたのだが、もう驚かない。このドラマでは、平安貴族の死のけがれということを描かない方針である。
2024年7月21日記
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