ETV特集「戦艦大和 封印された写真」2024-08-07

2024年8月7日 當山日出夫

ETV特集 戦艦大和 封印された写真

私は昭和三〇年(一九五五)の生まれであるので、小学生のころ、漫画雑誌で戦艦大和や零戦のことが、大きく取りあげられていた時代を過ごしている。昭和四〇年ごろまでは、まだ戦時中の人びとの記憶の延長にあった時代といっていいだろう。

吉田満の『戦艦大和の最期』を読んだのは大学生になってからだった。そのころ角川文庫版が普通に読める本としてあった。だが、これは、GHQに配慮して訂正を加えたものだったはずである。それを、オリジナルの形で刊行したのが、北洋社版である。この出版社は、今はもうない。北洋社版の『戦艦大和の最期』を読んで、外に出た。大学生で目黒に下宿していた。目黒通りを歩いて目黒川を渡るとき、空の夕焼けがきれいだったのを、いまだに憶えている。私がこれまで見たなかで、もっとも印象に残る夕焼け空であるかもしれない。

その後、戦艦大和関連のものを読むことがあった。吉田満のように考える人は、その当時にあっても例外というべきものだったということも、思うようになった。これは、やはり同じ海軍で大和に乗っていたとしても、その立場、出身などの違いによるものではあろう。東大を出て主計少尉であった吉田満と、この番組に出てきた烹炊所の兵士とでは、おのずと考え方も違うにちがいない。

戦争を語るとき、必要なのは、冷静さであると、私は思う。この番組で印象に残るのは、大和ホテルと当時いわれた戦艦大和の居住環境の良さについての証言である。えてして、戦争を語るとき、その悲惨な面を強調しがちであるが、実際にその時代に生きていた人びとは、境遇にもよるが、それぞれになにがしかの充足感を持って暮らしていたと考えてもさしつかえないだろう。無論、悲惨な生活であった人もいたことは否定しないけれど。

番組で取りあげられていた写真は、封印されていた。これは、特に当時の軍や政府から強制されたということではない。写真に写っていた人物自らの判断で、封印したことになる。考えてみるべきは、このことの意味であろう。人間は、ときとして沈黙せざるをえないときがある。沈黙の意味にわけいるのも、ジャーナリズムの仕事である。だが、これは、過去を断罪し罪をあばきたてるものであってはならない。

ところで、昔読んだ『海軍めしたき物語』(高橋孟)のことを思い出した。昔の海軍は、ずいぶんと乱暴なこともやっていた、官僚主義、権威主義の横暴な組織であったという一面が綴られている。調べてみると、今では絶版である。この本など、新しくして復刊してもいいのではと思う。

2024年8月5日記