『光る君へ』「誰がために書く」2024-08-26

2024年8月26日 當山日出夫

『光る君へ』「誰がために書く」

さすがATOKである。「誰がために書く」をきちんと変換してくれた。

この回で最も重要だと感じたのは、まひろが物語を誰かのためにではなく、自分自身が書きたいから書いている、と語っているところだろう。『源氏物語』は文学として自立している、と言っていいだろうか。まさに、その物語を書いている人(作者)が、作品世界のなかにのめり込んでいなければ書けないと感じるところがある。こうなると、もはや作品は作者の筆を離れて、創造の神様の手にゆだねられることになる。

とはいえ、はたして『源氏物語』は、「いづれの御時にか」ではじまる「桐壺」の巻から書かれたのだろうか、ということになると、ちょっと疑問がないわけではない。私がかつて勉強したところでは、その時代にあった先行するいくつかの物語があって、それらを総合して光源氏の一生という大きな物語に仕立て上げていったといいうふうに理解している。そのなかには、最後の紀行で出てきた長谷寺の観音霊験譚もあるだろうし、「夕顔」の巻で描かれた廃屋となった屋敷で物の怪に取り殺される話しもあるだろうし、「若紫」のように幼い少女を自分のものにする(これは、現在ではほとんど犯罪であるが)というようなこともあっただろう。それらを総合して、まとめた結果として、「いづれの御時にか」で始まる「桐壺」が最初の巻におかれた、このように考える。そして、これらの物語が出来上がってから、「帚木」の巻などが、後から書かれて挿入されていったとおぼしい。まあ、武田宗俊や大野晋の言ったことになるのだが、だいたいこんなふうでなかったろうかと考えている。

この時点でまひろが書いていたのが「桐壺」であるとすると、たしかに帝(一条帝)へのあてつけともなりうる。桐壺の更衣に帝の心が傾いてしまったのは、定子への思いに重なるところがある。

この『光る君へ』であるが、平安時代ドラマとしてはどうかなと思うところが無いではない。いかにも登場人物の考え方が現代的だなと感じるところもある。だが、これは、ドラマであるので、特に気にすることもないと思って見ている。

それよりも、実際に、十二単(女房装束)を着て、女性たちが寝殿造りの建物のなかで、あんなふうにしていたのか、と想像をめぐらす材料を与えてくれる。事実としてどうだったかということについても、いくぶん疑問はある。『源氏物語』では「ゐざる」(膝行する)ということばがよく出てくるが、そのような場面はほとんど出てこない。実際には、十二単(女房装束)はとても重いので、それを着て、立ったり座ったり、廊下を歩いたり、ということは無かったかもしれない。(昔、ある女子大で教えていたとき、特別授業として、平安の貴族の装束の着付けの実演というのを何度か見たことがある。学生がモデルだったのだが、実際に身にまとってすたすた歩くようなことは難しいらしい。)

これまでは、「源氏物語絵巻」などを参考に想像するだけだったのだけれど。

まひろは、自分の家で机にむかって紙を広げて文字を書いていたのだが、はたして、平安時代はどんなふうだったろうか、と思ってみる。紙に書いたものを、その後、綴じたのか、巻子本にしたのか、さらに写本をつくる場合、どのようだったのか、いろいろ考えることはある。また、書いている原稿(と言っていいだろうか)に推敲のあとがないのが気になるけれど。

もし、まひろが賢子をつれて女房になるとしたら、平安王朝版のアグネス論争になって(もう、古い話だから若い人には分からないだろうが)、面白いドラマになったかもしれない。

さて、次週から彰子のサロンのことになるようだ。

2024年8月25日記