偉人の年収HowMuch「陸上選手 人見絹枝」2024-08-09

2024年8月9日 當山日出夫

偉人の年収 How Much 陸上選手 人見絹枝

再放送である。パリのオリンピックということでの再放送ということなのだろう。オリンピックの放送はほとんど見ないのだが、これはたまたま気がついたので録画しておいて見た。

以前、NHKのラジオの朗読で、人見絹枝の文章を聞いたかと憶えている。いい文章を書くひとだなと感じた。

日本で最初のオリンピックのメダリストであり、若くして死んだということぐらいしか知識がなかったのだが、日本の女子スポーツに貢献した業績は、今さらかもしれないが、高く評価されるべきだと思う。

この時代、(今でもそうだと思うが)海外での競技大会への遠征費用は、選手みずからが工面しなければならない。ひょっとすると競技そのものよりも、経費の問題の方が、大きな負担であっただろう。現在では、有力な選手には企業が援助するようにはなってきているようだが、しかし、それはそれとして、結果を出さなければならないというプレッシャーにもなるかと思う。近年のスポーツの商業主義化ということは、いろいろと問題になるところがあるかと思うが、少なくとも実力のある選手に活躍の機会が増えたことはよしとしていいことなのだろう。かつての一九六四年の東京オリンピックの時代のような極端に潔癖なアマチュアリズムは、もう過去のものになったことは確かである。

番組のなかで、その当時の女性の仕事の年収がいくつか出てきていたが、看護師(その当時は看護婦といった方がいいかと思うが)が、意外と安いという印象を持った。それにくらべて、美容師がとても年収がいい。「あぐり」の時代、ということになるのだろうか。

2024年8月2日記

戦争遺産島「似島 1万人の被爆者が運ばれた島」2024-08-10

2024年8月10日 當山日出夫

戦争遺産島 似島 1万人の被爆者が運ばれた島

この島のことは知らなかった。

たしかに、近代になってから日本の軍隊は、海外に派兵し、また、帰還したのであるから、港には検疫施設が必要であることは分かる。これは、日本の他の港にもあったはずだが、実際はどうだったのだろうか。それから、今はどうなっているのだろうか。(COVID-19についても、アメリカの兵士がかなり自由に日本の基地を使うことができることが問題となったのだが、これは今ではどうなっているのだろうか。)

広島の原爆の被災者を似島に運ぶということは、おそらくその当時の軍の判断としては妥当なことだったのだろうと思う。広島近辺で医療施設やスタッフのいるところとなると、限られてくるにちがいない。だが、その似島で多くの人が亡くなることになる。

ところで、一度に数万を超える多大の犠牲者、死者が出たようなとき、その遺体の処理は、どうしてきたのだろうか。関東大震災、太平洋戦争のときに都市部への大規模な空襲、それから、原爆……これらのとき、大量の遺体の処理ということが、まず直面することであったにちがいない。(あるいは、すでに研究のあることなのかもしれないが、論文など検索してみようという気もないのではあるが。)

宇品の名前が出てきていた。『暁の宇品』は買ってある本なのだが、まだ読んでいない。読んでおきたいと思う。

2024年8月9日記

『虎に翼』「悪女の賢者ぶり?」2024-08-11

2024年8月11日 當山日出夫

『虎に翼』「悪女の賢者ぶり?」

この週は特に裁判関係のことがあったということはないが、寅子には大きな出来事のあった週である。

見ていて疑問に思ったことなど、思いつくままに書いてみる。

寅子は、新潟地裁の判事の入倉について、「差別主義者のクソ小僧」と思っていた、と言った。ここは、思っていた、と過去のこととして言っていた。だが、これまでのこのドラマにおいて、入倉が差別主義者である、あるいは、そうではない、ということについて、どれぐらい描かれてきたのかと思う。

確かに、放火事件があったとき、朝鮮人の事件……ということを言っていた。それを寅子は、とがめている。これは、判事としては、確かに差別的な発言だったことになる。しかし、それ以上に問題なのは、判事が担当する事件について予断を持っていることであると、私は思う。裁判官として求められるのは、厳正な法的な中立性のはずである。それを逸脱したことこそが問題である。そして、この場合、そのことがたまたま朝鮮人の関係する事件だったことになる。寅子として、入倉に注意すべきは、まずは判事としての公正さについての心構えであるべきと思う。法曹にかかわる人間を登場人物として描くならば、ささいなことかもしれないが、このような細部に気を配っているかどうか、重要なことではないだろうか。(どうしても、朝鮮人差別ということをドラマの中で描きたかったということなのだろうが。)

また、入倉は、美佐江の事件について知り合いの刑事から聞いた話として、寅子に情報を伝えていた。これも、美佐江の件は、寅子たちの担当する事件ではなかったのであるが、裁判官が知り合いの刑事から事件の捜査についての情報を教えてもらう、それを裁判所内で話をする、ということはどうなのだろうと思う。地方の警察や裁判所はこんなものである、ということなのだろうか。これもささいなことではあるが、ちょっと気になったところである。あるいは、警察と裁判所の裁判官の関係とは、一般にこういうものでいいのだろうか。

放火事件の犯人は結局つかまったのだろうか。未解決のままでは、なんとなく後味が悪い。(このドラマについて、リーガルエンターテイメントとNHKは書いていたかと思うのだが、もうどうでもよくなってきた。)

この週では、寅子の再婚に向けて大きく動いたことになるのだが、その前に確認しておきたいことがある。これまでにも書いたことなのだが。

戦前までは、家が中心の制度であった。それが、憲法が新しくなり、民法が改正されて、家が中心ではなくなった。家にかわるものとして登場してきたのが、家庭である。男女の合意のみによって成立する夫婦とその子どもからなる家庭というものが、基本と考えられるようになった。しかし、昭和二〇年代では、古い家の考え方を整理できないままで、新しい家庭とはどうあるべきか模索していた時期ということになるだろう。しかし、これも、その後考え方が変わってきて、現代では、家庭というものが、個人を束縛するものであるとされるようになってきた。こども家庭庁を作るとき、家庭のことばが入ることに抵抗をしめした人が少なからずあった。

このような時代背景を考えてみると、寅子のこの時代は、家庭こそが社会の基本であると考えられていた時代であるとすべきであろう。では、このドラマで、家庭や結婚はどのようなものとして描かれているだろうか。

無論、ドラマであるから、その時代の風潮に忠実である必要はない。しかし、家庭裁判所の裁判官として仕事をする寅子を描くならば、その時代における、家庭や結婚が一般にどのようなものとして考えられていたかは、踏まえておく必要があることだと私は思う。

裁判所の職員の高瀬と小野の結婚についてであるが、よく理解できなことがある。

まず、小野は朝鮮人の男性と恋をしていたはずだが、その結果はどうなったのだろうか。東京からやってきた汐見香子に会って、日本人と朝鮮人の結婚について、思うところはなかったのだろうか。たまたま好きになった人が朝鮮人(あるいは、日本人)だった、ということなら、その恋を貫いてもよかった。新潟から東京にでも駆け落ちしてもよかったかもしれない。(そして、轟法律事務所にかかわることになるなら、これも面白い展開だろう。)

しかし、朝鮮人とのことはまったく無かったかのように、高瀬と小野は、結婚するという。それも形式的に籍をいれるだけであるとして、子どもをつくったりはしない、という。まあ、たしかに、当事者である男性と女性の合意としてそうならば、憲法にも民法にも違反していない。だが、その時代において、結婚して家庭を作り子どもを育て、という一般的な価値観からは大きく離れることになる。このことについて、高瀬と小野はどう思っていたことになるのだろうか。職場で公言している。普通に見合いして結婚するよりも、世間体というものは厳しかったはずである。ドラマのなかで、朝鮮人とのつきあいが認められないということについては、世間体や親の反対ということを持ち出しているのだが、形式的にのみ結婚するということについては、まったく本人たちの自由である、というのはどうも矛盾しているように思える。

それから、この結婚は職場の上司である寅子に許諾を求めるようなことなのだろうか。憲法にしたがうならば、まったくの自由であるから、寅子に相談する必要はない。寅子も、最終的には自由にすればいいということで対応するのだが、相談されたこと自体について、疑問を感じた様子はなかった。これが、もし、寅子が自分の結婚について職場の上司からとやかく言われるようなことがあったとしたら、絶対に「はて」と思っていたことになるだろう。ここは、そんなことは、職場の上司である私に相談するようなことではありません、自分たちで決めなさいと、言ってもよかった場面かもしれない。だが、寅子はそのようには言わなかった。その後、二人がどうなるかは別にして。

憲法と民法によって自由である結婚と、その地域の風習(あるいは、因習といってもいいかもしれない)、戦後の民主的な社会のなかで考えられるようになってきた家庭というもの、これらのなかで生きた人びとをどう描いていくのか、ということが重要なことであったかと思うのだが、このドラマは、こういう視点では作られていない。

美佐江の言ったことも気になる。どうして自分の体を自由につかってはいけないのですか、どうして人を殺してはいけないのですか……おそらく、大昔から人間を悩ませてきた問題である。東京大学の法学部にいったからといって、答えが得られるような問題ではない。強いていえば、法学部ではなく文学部にいって哲学などを勉強した方がいいかもしれない。(だが、哲学を学んでも、答えがないということを勉強することになるだろうが。)

このような問いを美佐江が寅子に問うたのは、どういう意図があってのことなのだろうか。少なくとも実務的な法律の問題としては、まったく論外の問いかけということになる。(まあ、近年では、人を殺してみたかったというような殺人もある時代ではあるのだが。)少なくとも、このような問いに対して、寅子が考えて、それで成長していくという展開は期待できそうにない。東京に出た美佐江が、後に、光事件のようなことにかかわる伏線ということかもしれないが、これからどうなるだろうか。

娘の優未のこともよく分からない。母親と娘の間に出来た溝を埋めるために、寅子は優未をともなって新潟に赴任したはずである。これまで、寅子は優未に何をしたというのだろうか。慣れない土地での母と娘の生活の苦労はあった。他に思いつくことは、マージャン大会につれて行ったことぐらいでしかかない。それから、稲が家事を手伝ってくれたこともある。ライトハウスには連れて行ってはいない。だが、これといって、二人の関係におおきな影響をあたえるような出来事とか、日常生活の変化(例えば毎日の食事のシーンとか、実はこれが最も大切で、ドラマではこういうところをこそ丁寧に描くべきだと思うのだが)があったということでもない。しかし、いつのまにか、母親の再婚に理解を示す優等生的な子どもなっている。この優未の変化が、私には理解できない。

細かなことかもしれないが、このころ、小学生が東京にいる花江おばさんに、母親に内緒で手紙を出したりするだろうか。今なら、スマホで連絡しあうこともあるだろうが。

花江が、突然、事前の連絡なしに、新潟にやってくるのも、理解できない。ドラマの進行のうえでは、寅子の再婚にむけて背中を押すことになるのだろうが。ここで、家族のために「戦う」、と言っていたが、この時代の女性の言うことばとしては、私としては不自然さを感じる。せいぜい言って、家族のために頑張る、だろう。

お守りにあった手紙は理解を超えている。もし優三が、本当に寅子に伝えたいことがあって手紙を書いたのなら、病院でお守りを戦友に渡すときに、中に手紙が入っているから、と一言かならず言うはずである。一般に、お守りはそうそう誰でもが自由になかを開けて見るものではない。そのことばがなかったということは、優三の死の場面を書いたときには、中に手紙が入っていて、それが寅子の再婚にかんするものであるということを、想定していなかった、ということなのだろう。脚本のミスを、かなり強引な設定で、この週の話に持っていったことになる。普通なら、お守りを渡すのではなく、手紙を書いて、これを妻に渡してくれとなるのではないだろうか。

それにしても、自分の死期を考えてのことにしては、娘の優未のことではなく、寅子の再婚のことばかり延々と書いてあるというのも、なんだか不自然である。

優三の手紙のシーンは、どう考えてみても不自然さがある。

寅子と航一との恋の場面については、もう何も言う気にならない。勝手にやってろとしか感じない。朝ドラで、中年の男女の恋を描くこともある。私がこれまで見たのは、もうちょっと自然な感じで、饒舌でも説明的でもなく、情感ゆたかに描いていたと思うのだが。(今、再放送している『オードリー』『ちゅらさん』それから秋から再放送予定の『カーネーション』のことなど、思ってみるのだが。)

2024年8月10日記

「世紀の歴史裁判 事実か?ねつ造か?〜歴史学者たちの闘い〜」2024-08-12

2024年8月12日 當山日出夫

ダークサイドミステリー
「世紀の歴史裁判 事実か?ねつ造か?〜歴史学者たちの闘い〜」

再放送である。二〇二二年の放送。

ナチによるユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストは、あったと考えるのが、まあ、普通の感覚だろう。その詳細や個別の具体的事情については、史料によって判断が分かれるところがあるかもしれないが、根本的に覆ることはないと思っている。

これが無かったことであるという主張をする人が現れるのは、見方によっては当然のことかもしれない。それについては、無視するか、あるいは、反論するか、ということになる。この番組の場合は、裁判で争ったというケースになる。

日本においても、『マルコポーロ』の廃刊の事件として、私の年代なら記憶していることだろう。

ただ、一般論になるが、専門的な知識や考え方を、どのように普通の人びとに伝えることができるか、ということになると難しい問題がある。専門家の専門知は尊重すべきであるという考え方のある一方で、そこに一般の市民の感覚を考慮しなければならない、という考え方もある。ただ、専門家は正しいことを言うからそれにしたがっているべきだ、では納得しない世の中になってきている。

これは、歴史学でもそうだろうし(最近の話題では、日本の中世の黒人の問題がある)、憲法についての問題もそうだし(憲法学者の言うことに従っていればいいというわけではないだろう)、経済の問題、さらには、COVID-19とか、原子力発電所、地震予知の問題など、その専門家の意見を聞くだけでは、なかなか社会的に合意の形成が難しい問題がある。

私が専門的に分かる範囲……日本語の歴史、そのなかでも文字とか表記の問題になるが……においても、通説、俗説が、世の中にたくさんある。いちいち反論するなど、面倒というのが、専門家として思うことなのである。そのうち淘汰されてなくなるだろうとは思っていても、しつこく残っている。まあ、漢字についての俗説など、特に社会に害悪をおよぼすようなものではないから、ほうっておいてもいいようなものかもしれないけれど。

時々、忘れたころに起こる現象として、古代の日本語は朝鮮語で理解できる、『古事記』や『万葉集』は本当はこんなことが書いてあった……という類いの珍説が出ることがある。若いころ、その一つを買って読んでみて、その当時の私の知識としても、間違ったことが書いていないページが無かった、と憶えている。どこが間違っているか、大学院生とでも一緒に読んでみると面白いかもしれないと、感じたものである。

なお、言論の自由とのかねあいでは、かなり難しい問題でもある。いわゆる歴史修正主義という発言について、言論弾圧のようなことはさしひかえるべきだと私は思う。公的な権力による弾圧だけではなく、出版社に対する脅迫なども、懸念される。(これは、つい最近も日本であったばかりである。)それから、図書館における禁書(これは日本ではあまりないことかと思うが)も、考えなければならないことかとも思っている。

今日、インターネット、特にSNSで、デマ情報が拡散する時代である。表現のあり方が、非常に難しくなってきていることは確かである。それでどうすべきかということについて、確たる考えがあるわけではないのだけれど。

この番組の趣旨に沿って確認するならば、ホロコーストがあったということが、「歴史的に真実」であるとするとして、では、何故わたしたちはそれをそのような知識として知っていて、信じているのだろうか、その根底を考えてみる必要はあるにちがいない。これは、歴史学というよりも、哲学の問題になるだろうが。

2024年8月8日記

「“新約聖書 福音書” (1)悲しむ人は幸いである」2024-08-13

2024年8月13日 當山日出夫

100分de名著 “新約聖書 福音書” (1)悲しむ人は幸いである

再放送である。最初の放送のときは見ていなかった。

新約聖書を読むということについては、このこと自体について、いろんなことが言える。強いて言えば、聖書は「読む」ものなのか、という根本的な問題がある。また、言語学、文献学的にも、様々な論点がある。少なくとも、イエスは何語で話し、それが書物となったときには何語でどのような文字で書かれ、それが、その後、どのようにして今日にまで伝わっているのか、ということは考えるべきことになる。

だが、しかし、そんなことはふっとばして、現代日本語で聖書を読んでみるということも、また意義のあることなのだろう。現代日本で書物として聖書を読むということについては、やはり若松英輔が適任なのかなと思う。これが、特定の教会や宗派を代表するような人では、この番組にふさわしくないだろう。

とはいえ、どうでもいいことのようだが気になることとしては、番組で使っていた聖書が、フランシスコ会の訳であったのは、どういう理由によるのだろうか。私は、現代の日本の聖書の翻訳事情にはまったく疎いのでよく分からないところなのだが、何か理由があってのことにちがいない。

この回を見て思うことの一つとして、神とは何か、という問いかけをしていないことである。神はア・プリオリに存在するものとしてある。現代で、このように考えないと、聖書について語ることは難しいのかもしれない。

番組のなかで、若松英輔は「キリスト者」と言っていた。時々目にすることばなのだが、日本でこの用語はいつごろから使われるようになったのか、気になるとことである。おそらく日本におけるキリスト教信仰のあり方の歴史と深くかかわる言い方だろうと思う。

それにしても、聖書の読み方が、あまりにも現代的である、という印象を持ってしまうのだが、これはこれとしていいことなのだろう。そのように読めるのも、また聖書という書物である、ということである。

2024年8月12日記

「美しき処刑人が見たフランス革命 なぜ理想は恐怖に変わったのか?」2024-08-14

2024年8月14日 當山日出夫

ダークサイドミステリー
「美しき処刑人が見たフランス革命 なぜ理想は恐怖に変わったのか?」

再放送である。最初は、二〇二一年九月。ちょうど、東京でのオリンピックが終わった後である。今、パリでオリンピックをやっているので、それにあわせての再放送ということになるのだろう。

歴史のなかでも、西洋史は苦手である。通り一遍、教科書的な知識しかもちあわせていない。フラン革命については、学校で習ってからは、その後、いくつか一般的な本をいくつか読んだ程度である。

サンソンという名前は知っている。どういう機会に憶えたかは定かではないけれど、死刑執行人として名前を知っている。フランス革命の時代に、数多くの人を処刑した人物になる。

NHKの一般教養番組なのだが、考えるところはいくつかある。

王権から人権へということになるのだろうが、その人権はどのような歴史的背景があって、一般に知られるようになってきたのか。このあたりのことが、今の日本では、あまり広く議論されることがないようである。ア・プリオリに人権は正しいと信じているのだが、その歴史的経緯も重要である。フランス革命は、ある意味で暴走した革命である。その暴走をとめるのは、何のために革命をおこしたのかという理念の検証であるにちがいない。

また、死刑の是非も考えるべきことである。死刑廃止論がある。それには、一理あると私は考えるのだが、その一方で、制度的に死刑という制度を持っていることも意味のあることかもしれないとは思う。ただ、その運用については、きわめて慎重でなければならない。それから、今の日本では、実際に死刑が執行されているわけだが、それにかかわる人たちは、どんなふうに感じているのだろうか。このことについて、あまり社会の表で語られることはない。だが、死刑という制度を維持するならば、どのように執行され、どのような人たちがどうかかわっているのかは、できる限りでいいから、明らかになっている方がいいだろうと私は思っている。無論、絶対に語りたくないということもあるにはちがないし、それは尊重されるべきであるが。

革命が恐怖政治に変わっていく、フランス革命を起点として、その後の世界の歴史が大きく動くことになったのだが、そこから何を学びうるのか、冷静な議論も必要だろう。ただ、私としては、人間というのはそういうものなのだなあ、という感慨を持って見ていたことにはなるのだが。

2024年8月6日記

「昭和の選択 戦争なき世界へ 〜国際司法の長・安達峰一郎の葛藤」2024-08-15

2024年8月15日 當山日出夫

昭和の選択 昭和の選択 戦争なき世界へ 〜国際司法の長・安達峰一郎の葛藤

安達峰一郎という人のことは知らなかった。こういう日本人がいたのだな、という感慨がある。

見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。

まず、安達峰一郎という人物の生いたちであるが、明治のエリート主義(いい意味で)だなと思う。日本中から才能がある若者が、立身出世を夢見て東京にあつまり、そこで勉学に励み、国家や社会のためにつくす仕事をする。今では、悪いイメージがつきまといかねないが、しかし、近代の日本を建設してきたのは、このような人たちがいたからである。また、それを助ける助成するシステム(例えば素封家による奨学金など)もあったことは、重要である。

この番組は、本筋の話題よりも脇道にそれたところでのちょっとした雑談が面白い。

磯田道史が言っていた、第一次世界大戦から戦争が始まった。それまでは、合戦だった。まあ、そうなのかなと思う。日本にとってみれば、日露戦争は、どうだったのだろうか。そして、本格的な戦争となった第一次世界大戦を日本は経験していない。戦史としては、戦車、航空機、化学兵器など、新しい技術が投入され、多大の犠牲(非戦闘員をふくむ)を出した戦争であった。それを、日本が直接経験していないということが、その後の日本のあり方に少なからず影響を与えたことは確かだろう。(番組では言っていなかったが、第一次世界大戦後のヨーロッパを見た人の一人として、昭和天皇をあげておいてもいいかもしれない。)

においが重要であるということは、確かにそうだろう。史料には残らないものだし、映像記録にも残らない。かろうじて、雰囲気を伝えることができるとすれば、文学作品かもしれない。戦場のにおい、大規模な災害のにおい、これを体験的に知っているかどうか、ということは考えるべきことである。

外交官(に限らないだろうが)筆まめであることの重要さというのは、そういうものだろうと思う。今は、電子メールの時代になってしまっているが、ちょっとした日常の連絡のやりとりの積み重ねが、相互の信頼関係の醸成に役立つということはいえることだと感じる。(この意味では、日本の政治家の残した文書、記録、日記の類のいくつかが、公的な機関に保存されることは意味のあることだと思う。)

藪中三十二の言っていた、外交において、本省からの訓令など、役にたたない。適当に無視しておけば、というのは、現役ではなかか言えないことだろうが、そういうものかと思う。

出席者のなかで、藪中三十二だけが安達博士という言い方をしていたことが、気になった。学位を取ったということなのであるが、外交官としての敬意の現れと解していいだろうか。

最後に、では、どうやって平和を構築していくか、というあたり。現実的には難しいことであるが、磯田道史の言っていた「さりとての努力」ということには、賛同する。言いかえれば理想を捨てないということであり、と同時に、現実的な部分をしっかりとふまえておく、ということになるだろう。平和については、極端な理想主義と、現実論が乖離しがちであるが、そのなかにあって、地道な努力(それは、決してマスコミで報じられたり、あるいは、歴史の記述に残るようなものではないかもしれないが)こそが、重要なのである。

それから、満州事変とリットン調査団のことが出てきていた。リットン調査団の報告書については、現在では、日本として妥協の余地のあるものであった、というのが言われているところかと思っている。満州における日本の権益をまったく否定したということではないはずである。その当時の世界において、植民地支配を続けていた、欧米諸国と、そこそこのところで妥協点を見出して、その後の戦争を回避することは不可能ではなかったかもしれない。機会均等、門戸開放である。そうなった場合は、国際連盟からの脱退もなかったろうし、ドイツとの同盟もどうなったかわからない。世界の歴史は変わっていただろう。

ただ、その当時の日本の世論、マスコミは、そのような妥協については、絶対に反対だったろうし、政府としても難しい判断になったにはちがいない。軍部をコントロールできたかどうかも難しいかもしれない。また、これは、現代の視点から見れば、中国に対する侵略の正当化ということにもなる。しかし、そのような選択肢もあり得たかもしれないとは、考えてみていいのではないだろうか。

安達峰一郎は、オランダでなくなりオランダによる国葬であった。国葬とは、このような人物にこそふさわしい。

2024年8月13日記

「敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機」2024-08-16

2024年8月16日 當山日出夫

昭和の選択 昭和の選択 敗戦国日本の決断 マッカーサー「直接軍政」の危機

これは面白かった。

ポツダム宣言の受諾が八月一四日、玉音放送が八月一五日、降伏文書調印が九月二日、というあたりのことは知っていたが、マッカーサーが厚木にやってくるまでにどんなことがあったのか、また、日本のGHQのもとで間接統治になったのはどういう経緯によってなのか、非常に興味深い内容であった。

見ながら思ったことなど、書いてみる。

まず、原爆の使用についてであるが、日米の戦争だけを見るならば不要であったということになる。しかし、それを、アメリカとソ連の対立という枠組みのなかで見るならば、アメリカは原爆を持っていることを、ソ連に見せつける意図があった……このようなことも、たしかに考えられる。

ただ、その原爆の威力や惨状については、米軍側もすぐにそれを把握していたということではなかった。少なくともマニラの米軍では、知られることではなかった。

機体を白く塗り、綠十字を描いた、一式陸攻のことなど、終戦秘話として(というのも奇妙かもしれないが)とても興味深い。

番組で言及はなかったが、古い方の映画『日本のいちばん長い日』は、二回ほど見ている。新しい方の映画は見ていない。本は、三回ぐらい読んだはずである。日本において徹底抗戦を主張する軍人たちがいたことは確かであり、それを、どうしずめるかが大きな課題であった。(ただ、この作品では、阿南惟幾にスポットがあたりすぎているかなとも思うけれど。)

その徹底抗戦を主張する軍人たちがまいたビラの実物が残っている。よく残っていたものである。

また、マッカーサーは厚木飛行場に降り立った。そのときの姿は、映像資料でおなじみである。まさに勇者の風格であるが、これも、たくみに計算されたものであったらしい。マッカーサーが来るまでの飛行場は、破壊された飛行機の残骸で使えなかったのだが、どうにか厚木飛行場が使えて、歴史的場面になった。

その後、日本の統治が具体的に始まるとなったときの、鈴木九萬(ただかつ)の日記は重要である。近年、公開されたということであるが、残念ながらそのニュースを見たということは憶えていない。

アメリカは、日本を直接軍政で統治しようとしてた。そのための三布告を準備していた。もし、そうなっていたら、軍票(B円)が使われ、英語が公用語になり、裁判権もアメリカにある、そんな時代を迎えることになったはずである。なお、B円ということばは、今でも沖縄の歴史について読むと出てくることばである。

しかし、それは、直前の深夜の交渉で回避された。まさに、歴史の大きな転換点であったことになる。

ただ、ここの論理として、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏したが、政府は残ったことになる。歴史としては、国体護持ということが大きく言われるのだが、日本という国家の統治の一体性の保全ということもまた重要なポイントである。これに対して、ドイツでは、政府は解体され、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連による分割統治ということになった。

しかし、これがその後の日本の歩みを考えるとき、よかったことになるかどうかは、また別の問題かもしれない。(番組では言っていなかったが、北海道がソ連に取られずにすんだという意味では、よかったのだろうが。)

一番重要なことは、戦争で日本はアメリカに負けた。しかし、だからといってアメリカのいいなりになることはない。そこに主張すべき理があるならば、交渉によってなんとかなる道が残されている。それを実践したのが、終戦時の日本の政府であり、外交官であり、軍人であった……まあ、その全員ということではないだろうが……このことは、歴史として重要なことである。

終戦となって、GHQがやってきた、ギブミーチョコレートの時代になった、というとおりいっぺんの歴史観では見えてこない、現場にいた人たちの苦労と努力を考える必要がある。

それから、なぜ、日本でアメリカによる間接統治がうまくいったのか。そこに、日本にもデモクラシーがあったからである、という考え方については、おそらくそういう面を考えるべきかと思う。少なくとも、(男性に限ってであったが)普通選挙が行われ、議会があり、政党があり、政府の統治機構があり、ということは確かである。戦前という時代を全否定するということでは、この時代の流れを理解することは難しいかもしれない。

番組の最後で、磯田道史が言っていたことだが、この番組であつかっていた内容は、日本本土についてのみであり、沖縄、奄美、小笠原などについては、その後、日本に返還されるまで、アメリカによる直接軍政が続いたことは、忘れるべきではない。

戦争中の戦車を再利用した更生戦車というブルドーザーが、戦後の日本の復興に使われていたということは、始めて知った。こういうことは、きちんと記録して、残すべきことであると私は思う。

2024年8月15日記

「“新約聖書 福音書” (2)魂の糧としてのコトバ」2024-08-17

2024年8月17日 當山日出夫

100分de名著 “新約聖書 福音書” (2)魂の糧としてのコトバ

コトバということばは、番組でも少し紹介があったが、井筒俊彦の使い始めたことばである。毎年、夏休みになると、集中的に井筒俊彦の著作の主なものを読み返すということをしていたのだが、この二~三年は、ちょっと遠ざかっている。

私が慶應義塾大学文学部の学生だったころ、もう半世紀ほど昔のことになるが、そのころは、まだ井筒俊彦のことを語る先生がいた時代でもある。鈴木孝夫先生であり、池田彌三郎先生である。イランで革命が起こって、日本に帰ってきてから、『思想』を主な舞台として次々と著作を発表していった。その多くは読んできた。無論、新しい「全集」(慶應義塾大学出版会)は買ってある。

ところで、この番組を見て思ったこととしては、若松英輔がコトバという概念で説明したくなるのは理解できるつもりだが、しかし、ちょっとその範囲を広げすぎではないだろうか。井筒俊彦の言ったコトバは、言語アラヤ識にかかわる、人間の精神の非常に深いところで、人間が世界を認識する、そのもっとも原初的なこころのはたらきについて言ったことだと理解している。それを、そのまま神におきかえて理解していいだろうか。

井筒俊彦の「東洋哲学」の範囲に、古代のキリスト教を含めて考えてもいいのかもしれない。イスラムの神について考えるならば、同じ神として、キリスト教でいう神をふくめることも、可能ではある。

コトバは、具体的には言葉として発せられることになる。言葉によるコミュニケーションにおいて、コトバを感じとるということは、そう簡単なことではない。このあたりの説明は、すこし簡易にすぎたかなと感じるところがある。

2024年8月16日記

『虎に翼』「稼ぎ男に繰り女?」2024-08-18

2024年8月18日 當山日出夫

『虎に翼』「稼ぎ男に繰り女?」

あいかわらず、このドラマについては絶賛する人たちが多い。しかし、私はどうしてもそうは思えない。くだらなければ見なければいいということもあるが、しかし、このドラマについては、何をどのように描くことになるのかは、見届けておきたいと思う。

ささいなことだが、東京に戻って東京地裁の判事になった寅子は、汐見と再会する。そのとき、「ヒャンちゃん」と言っていた。裁判所の部屋には、まだ紹介されていない男性がいた。その状況で、この言い方はないだろうと思う。汐見香子は、日本人と結婚して、崔香淑という名前は捨てた、とかつて寅子に言ったはずである。ここは、どうしても気になったのなら、「奥さまはお元気ですか」ぐらいの言い方しかありえない場面である。朝鮮戦争が終わったころの日本における朝鮮人のことを思うことになる。このドラマの脚本、スタッフは、どう思ってこの場面を設定したのだろうか。寅子が香子のことを気にかけていたというだけのことなら、あまりにも浅はかである。

猪爪の家の問題が大きく取りあげられていた。たしか、ここは、戦時中は工場があったところで、その建物の一部を使って、今も住んでいるということではなかったと思うが、どうだったろうか。この場合、その土地と建物の権利関係が、まず問題になるはずだが、このことは一切出てきていない。

父親の直言が亡くなった後、(あえて昔風の言い方をするのだが)家督はどうなるのだろうか。これには、二つの方向で考えることができる。

長男の直道が戦争で死んで、花江は未亡人である。だが、猪爪の家にとどまっている。たしか花江の両親はすでに亡くなっていたはずである。つまり、帰る家はもうない。寅子は、佐田優三と結婚して、形式的には猪爪の家を離れたことになっている。

一つには、長男(直道)が死んだのだから、次男の直明があとをつぐという選択肢がある。

もう一つは、長男(直道)には男の子が二人残された。直人と直治である。この子どもたちのどちらかが、家をつぐ。

民法の規定と、それから、その時代の家族についての慣習、このバランスのなかで考えることになると思う。いや、これしか、道筋はないだろう。

それから、当時の住宅事情とか、猪爪の家の生計とかがからんでくる。そもそも、この家の広さで、住める部屋があるかどうかが問題なのに、誰もそのことについて言わない。「空いている部屋もあることだし」というぐらいの台詞さえもなかった。

だが、ドラマでは、直明が結婚して同居するとか、いや、結婚したら出て行くべきだとか、という問題になってしまっている。どこにも上記のような、当然でてくるようなことを検討したという形跡がなかった。

仮にも寅子は、判事であり、家庭裁判所に勤めたこともある。このような問題については、専門家のはずなのだが、まったく判断を示そうとしていない。(まあ、自分の家のことは判断できないということもあるのかもしれないが、そうなら、知り合いの弁護士などの専門家に相談することもあっていいかもしれないが、そうもしていない。)

花江は、猪爪の家においては、姑のような存在であるので、直道の妻となる女性(玲実)とは同居したくないという。姑と同居したいお嫁さんなどいるはずがないという。これは、この当時、昭和三〇年ごろである、の価値観としてはどうなのだろうか。普通に考えれば、お嫁さんはその家に住むのがあたりまえであったろう。

かつて花江は、猪爪の家で、姑のはると仲が悪かったということを言っていた。まあ、たしかに、直道と結婚したころ、自分はこの家の女中みたいなもの、と嘆いていた。だが、これも、結果としては、花江と直道が、近くに別居することで片付いている。嫁と姑の問題としては、どうしても『おしん』の佐賀の時代のことを思ってしまうのだが、今の時代に、このような人間関係を描くことはもう無理なのかもしれないと思う。強いていえば、おしんに比べれば花江の生活は天国のようなものである。

それよりも不憫なのは優三である。優三の立場からすると、自分が書生として仕えている家のお嬢さん(寅子)が、社会的地位を得るために結婚したいとと言って結婚することになる。それも、もとの猪爪の家においてである。家のなかの地位は書生のころと大きく変わるわけではない。それのみならず、結婚しても、妻となった女性(寅子)、体に触れさせもしない。常識的に考えて、こんな理不尽でかわいそうなことはない。せめて、近所に家を借りて、独立した住まいを持たせるぐらいのことはすべきだったろう。

どうも、この社会的地位を得るための結婚ということのあたりから、このドラマはおかしくなりはじめたように思えてならない。

航一が猪爪の家にやってきて、家庭裁判ということになったのだが、どうも茶番劇でしかなかった。最終的にどのようにして結論を得るのか、そのことを考えずに、最後は多数決ということになっていた。寅子も航一も裁判官である。人が話し合ってものごとを決めるということについては、しかるべき見識があってしかるべきではないだろうか。

猪爪の家の問題は、家計を誰が支えるかということと、それから、将来の花江の老後のことになる。今でいえば、介護を誰がになうのかということである。息子の直人と直治、それから、直明は、自分が面倒を見るということを言っていたが、しかし、この時代ならば、その仕事の実際をになうのは、その配偶者、つまり、妻の仕事になる。このことには、ドラマのなかでは一切触れていなかった。また、直明の恋人(と言っていいだろうか)の玲実も、将来、花江の介護をすることになることについては、まったく何も言っていない。嫌だとも、私がやりますとも、言っていなかった。これは、はっきりいって、このドラマのこの場面における、たちのよくない偽善である。

現代の価値観において、家族の同居が大きな問題になる要因の一つは介護である。現代の価値観をおおいに取り込んでこのドラマは作っているようなのだが、しかし、家族についての本質的な問題になると、知らんぷりをしているとしか思えない。非常にずるい。これは、以前の梅子が家を出たときのことを思い出してもそうである。梅子は、大庭の家を出たのだが、実際は、年老いた夫や戦争で病んだ次男の介護から逃げたことになる。

寅子と航一の恋については、コメディにもなっていないし、また、情感溢れる描写にもなっていない。永遠を誓わない愛……というような、現代でもよく分からないフレーズで片づけている。ここは、ともに戦争で配偶者を亡くしたものどうし、ということで、あっさりとした関係からはじまって、徐々にお互いを意識し合い、感情を確認していく、というような展開でよかったと思うのだけれども、しかし、このドラマでは、そのような普通にあり得た(と今の視聴者が納得するような)描き方にはしたくないらしい。これは、現代でも不自然であるし、無論、その時代においても不自然であったとしか感じられない。

寅子は、法律とは清らかな泉のようなものだと言っていたが、この週になって、それは、人権とか人間の尊厳である、と言っていた。いいかえれば、法を超えた、あるいは、その根底にある、普遍的な価値観ということができるかもしれない。これはいいとしても、では、何故、寅子が、このような考えを持つにいたったのか、その経緯がこのドラマではまったく描かれてきていない。新潟でのことが大きく成長につながったとは到底思えない。寅子は成長しているのか、もし、成長するとしたらどのような経験があってのことなのか、これこそドラマで描くべきことのはずだが、それがまったくない。このドラマの作者や制作陣にとっては、人間は成長してはいけないものなのだろうか。

ここでの寅子の法律観の大きな転換は、原爆裁判への布石かとも思ってみる。現行の法律では裁くことができないならば、より普遍的な人権の概念を持ち出すことになるだろうからである。

原爆裁判のことが出てきた。これは、次週以降も続くことになるのだろうが、しかし、唐突という印象がある。もし、史実として三淵嘉子のことをふまえて描きたいのなら、その前提として、終戦の玉音放送(あるいは、ポツダム宣言受諾、または、降伏文書調印)は必要であったろうし、また、東京裁判は必須であった。

東京裁判があって、日本は、あの戦争が侵略戦争であったと認識するようになった。(この認識については、いろいろと議論はあるけれど。)戦争中、法曹にかかわる人間として、寅子も航一も、いわゆる社会の支配階層に位置したことになる。一般庶民の側として、被害者でいられる立場ではないはずである。さらに、寅子の猪爪の家は、軍需産業にかかわっていた。このような立場の人間として、無条件降伏、GHQの支配、東京裁判、サンフランシスコ平和条約(この週でやっと出てきた)、という流れをどう感じていたのか、まったく描いてきていない。

東京裁判については、いろいろ議論はあるけれども、その一つに、事後の概念で過去を裁いたということがある。平和に対する罪、人道に対する罪、である。これを、当時の日本の法曹関係者がどううけとっていたのか、まったく触れていない。また、東京裁判があって、戦争中の日本の残虐行為の数々が明らかになって国民の知るところとなったということもある。今のことばでいえば、日本の戦争犯罪である。こういうことをきちんとふまえなければ、原爆についてどう考えるかは難しいはずである。

ともあれ、ドラマの時代設定は昭和三〇年ごろになっている。戦後のこの時代のことなら、今でも多くの人びとが、生活感覚としてその時代の雰囲気を記憶している。自分の幼いころのことだったり、あるいは、父母や祖父母の思い出話だったり。こういう人びとが多くいるということを無視して、現代の感覚や価値観でドラマを作っても、人は受け入れることはできない。

人間が、その生まれた時代と環境、歴史のなかにあって、自己を形成し生きていくということは、決して否定されるべきことではない。人間とはそのようなものなのである。無論、歴史をふり返れば誤りもあり価値観の変化もある。だが、現代とは違う価値観のなかに生きてきた人たちが、何を考え、そして今にいたっているのか、それを尊重することがないのは、ただ自分の価値観に傲慢なだけである。こういう傲慢さは、人間というものについて大切なものが何であるのか、分かっていないことになる。

他にも書きたいことは多くある(航一の家庭のこと、よねのこと、轟のことなど、いっぱいあるが)が、これぐらいにしておく。

2024年8月17日記