「封じられた“第四の被曝” -なぜ夫は死んだのか-」2024-10-01

2024年10月1日 當山日出夫

NHKスペシャル 封じられた“第四の被曝” -なぜ夫は死んだのか-

おそらく被曝による死であったと考えていいのだろう。この結論に対して、特に異論をさしはさもうとは思わない。

よくできた番組だったと思うのだが、番組の全体を見て、いくつか疑問に思うところはある。

では、なぜ、そのような放射線をあびることになったのか。アメリカによる水爆実験が原因であるとして、その時点で船で計測した線量とは矛盾することになる。船での測定が正しかったとして、それならば、なぜそのような被曝ということになったのか、その理由について語っていない。船での計測が間違っていたのだろうか。そこは、推測するしかないことになる。

言うまでもないが、東西冷戦の時代である。核開発をしていたのは、アメリカだけではなかった。だが、この番組のなかでは、当時の国際情勢ということについて、具体的にはまったく言及することがなかった。ソ連がやっているのだから、アメリカもやっていいとは言わないが、一方的にアメリカだけが悪いという視点は、いただけない。まあ、このような議論は、その後、一九八〇年代になってからも、吉本隆明の「反核異論」をめぐる論争として続くことになる。

その当時においても、急性白血病が被曝によるものと診断したことになるのだと思うが(それをどう認めるかどうかは別にして)、その根拠となった症例とかデータは、どうやって調べたものなのだろうか。これは、放射線が人体に与える影響についてのデータがなければ、診断できないことのはずである。ここについての、その当時までの科学史、医学史の観点からの説明が欠けていた。

以上のようなことを思ってみる。

放射線については、許容量をきちんと科学的根拠に基づいて定めて、それを意識しながら生活していかなければならないのが、今の生活であることはたしかである。医療用まで否定することはできないし、この点では、もはや後戻りできないところにいることは確かである。

2024年9月17日記

「イトマン事件 バブルに踊った男たち」2024-10-01

2024年10月1日 當山日出夫

アナザーストーリーズ イトマン事件 バブルに踊った男たち

イトマン事件というのがあったなあ、となんとなく思い出す。バブルのころを象徴する事件ということになる。許永中という名前をひさしぶりに見た。

基本的に経済のことには、ほとんど関心がない生活を送ってきている。バブルの時期は、まあ、あの時代はあんなだったなあ、と思い出すことになる。このころ、会社の業績がいいといっても、本業でもうけるというのではなく、株取引などで利益を出している、というような時代だった。

もう、この時代のことを感覚として記憶している人間も少なくなったかもしれない。おそらく、少なくとも六〇才以上の人でないと、記憶にないかと思う。

番組の最後で、イトマンの弁護士だった男性が言っていた……世界中で財だけが価値のあるようになっているが、これは問題である。(日本の)バブルのときのことを憶えておく必要がある……こんな意味のことだった。世界で、経済的格差の拡大、富の偏在が言われるようになっている。二一世紀の世界は、まともな時代といえるのだろうか。

古めかしい言い方にはなるが、額に汗して、手を使って働く、それによって生活していく、こういう素朴な労働観が崩壊したとき、世の中全体としてどうなるだろうか。日本においてもそうであると思うが、中国や韓国などではどうなのだろうか。これまでの経済成長をささえてきた人たちが、労働が報われないと感じ、社会のなかで忘れ去られる、置き去りにされている、と感じるようになると、社会の基盤そのものが危ないかもしれない。

このような意味では、今一度、バブルのときの感覚がどんなであったか思い起こしてみる価値はあると思う。

どうでもいいことかもしれないが、イトマンの名前は今では、イトマンスイミングスクールとして残っていることになる。これは、うちの近くにもある。

2024年9月24日記