『光る君へ』「とだえぬ絆」2024-10-14

2024年10月14日 當山日出夫

『光る君へ』「とだえぬ絆」

生老病死……というが、このドラマでも、いくつかの子どもの誕生のことがあり、また、死の場面がある。ただ、それを、現代的な感覚で描いていると感じるところがある。平安貴族にとって、出産とか死とかは、どう受けとめられていただろうか。ドラマとしてフィクションなのだから、どうでもいいことなのかもしれないが、ある程度は史実にのっとって作ってあるドラマである。この意味では、昔の平安貴族の生活感覚というものを感じさせるところがあってもいいかなとは思う。

出産はうれしいことでもあるのだが、同時にケガレでもあった。死についても、それはケガレであったはずである。『光る君へ』が始まったとき、まひろの母が殺されて、その遺体を屋敷のうちに安置して通夜のように見守っているシーンがあって、とにかく違和感を感じたものである。その後、このドラマでは、死のケガレということを描かない方針なのだな、ということは理解して見てきたつもりなのだが、しかし、いまだに何か変だなあ、という感じはしている。

平安時代のこのころ、王朝貴族たちの間には、浄土思想が広まっていたかと思うのだが、死に際して、極楽浄土ということが出てこない。ちなみに、平安時代の浄土思想を典型的に表しているのは、平等院であるが、それを寺院としてつくったのは道長の子どもの賴通である。

この回の冒頭ちかくで、まひろ/藤式部は、宿世と書いていた。『源氏物語』は宿世の文学である。これに対して『平家物語』は運命の文学といえるだろう。『平家物語』に運命を読みとっていたのは、歴史家の石母田正である。

人間は宿世のなかに生きるものである、これがおそらくは、まひろの考える人間の生き方ということになるだろうか。

この回でも、まひろは物語を自分の局で書いていた。姿は女房装束(十二単)の正装である。立ち上がると、裳を身につけていたのも分かる。こんな恰好では、筆をとって物語を書くのはかなりしんどいことだろうと思うのだが、実際はどうだっただろうか。もっとリラックスして書いていたのではないかと想像してみる。

また、その書いている物語には、推敲のあとがまったくない。まあ、これは、そのような原稿(といっていいだろうか)を用意するのが、実はとても面倒ということがあるから、そうなるのかと思う。書き直してあとのある原稿を準備するのは、もとの文章となおした文章の二つが必要になる。そして、その両方ともが、ありえたかもしれない『源氏物語』のテキストでなければならないので、作るのは非常にハードルが高い。

これが原稿用紙に万年筆で書いたような時代だったら、執筆に悩んだ作家が、原稿用紙をくしゃくしゃにして丸めて投げ捨てる、というシーンになるところであるが、紙が貴重品であった時代、そうはいかない。

平安時代の仮名文であったとしても、どうも漢字が多く使ってあるように思うのだが、どうだろうか。仮名文だからといって仮名(平仮名)ばかりではない、漢字も遣うが、その量はきわめて少ない。

何度も書いていることだが、女房装束(十二単)では、そう軽々と立ち上がってすたすたと歩く、というようなことは難しい。実際には、軽装の下働きの女性たちがそばにいて、あれこれと仕事をしただろうと思う。そもそも、女房装束(十二単)一人では着られない。最低でも二人以上の手助けが必要である。

牛車が都大路をすすむシーンがあった。このドラマでは、あまり牛車が出てくることがない。牛車のなかでの女房たちの会話とか、公卿たちの密談とか、かなり面白い場面が設定できそうなのだが、この脚本ではそのような設定は作らない。

まひろの娘の賢子は、これからどうなるのだろうか。お母さんのような女房づとめは嫌だと言っていたのだが、史実としては大弐三位という名前が残っていることになる。説としては、『源氏物語』の成立論にもかかわることになるが、紫式部のこれからと、大弐三位との関係は、気になるところである。

実の父親が誰であるか、形式的には誰の子どもなのか……ということは、『源氏物語』における、大きなテーマである。藤壺との密通であり、女三宮のこともある。これは、宇治十帖にまで影響する。

まひろ/藤式部が、彰子と漢籍を読む場面があった。「新楽府」であった。このとき、ふたりは、巻子本を両手で持って目の前にもちあげて読んでいた。巻子本を順番に開いて読んでいくには、机の上において広げて読むのが読みやすいと思うのだが、はたしてどうだったろうか。少なくとも、読み終わったあとで元のように巻き直すのには、机の上においた状態でないと、きれいにできない。

また、そのテキストは、ヲコト点や仮名などのない、訓点のない本であった。これで、まひろはともかく、彰子が読めたのだろうか。

ドラマのなかに出てくる音楽関係ことは、たぶんあんなふうだったのかな、と思って見ている。『源氏物語』には、実に多くの音楽や舞についての記述がある。このことについては、これまでに多くの研究があることでもある。

弟の惟規が死んだが、その時に歌を読んでいた。辞世ということになる。それを、紙に書いていた。今では、歌は文字に書くもの、というのが普通の感覚である。しかし、日本における歌の歴史を考えてみるならば、歌を文字で書くようになるのが一般化するのは、平安時代になってからといってよい。それまでは、歌は声に出して詠むものであった。歌木簡の発見もあり、奈良時代にはすでに一部の歌は書かれていたとは思われるが、『万葉集』に所収の歌の多くは、それが詠まれた時、書かれたものではなかったはずである。

2024年10月13日記

「“正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~」2024-10-14

2024年10月14日 當山日出夫

NHKスペシャル “正義”はどこに ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル~

ではどうすればいいのか、その道筋が見えない。

イスラエルの内部においても、人びとの意見は分断して対立している。パレスチナの地は、すべてユダヤ人のものであると固く信じて疑わない人たちが、よりその考え方を強固なものにしていっている。一方で、(番組のなかでは言っていなかったことではあるが)、ハマスなどいわゆるイスラム過激組織にしてみれば、この世界からユダヤ人がいなくなればいいと思っている。少なくとも、そのような主張は、いろんな報道から聞こえてくる。この対立が、国家のレベルから、個人の考え方のレベルまで、浸透して対立が激化するなかで、容易に解決の糸口は見出しがたいだろう。

現実的な道筋としては、人質の解放と停戦、ということぐらいしかないかもしれない。一方的に、イスラエルの非人道的な戦闘を非難するだけで、ことがおさまるとは思えない。イスラエルの内部において、現在のネタニヤフ政権が崩壊するという事態にならないかぎり、どうにもならないかもしれない。

よく分からないのは、ユダヤ人のナショナリズム(といっていいのだろうか)である。ユダヤ人としてのパレスチナの地に対する思いと、団結の精神、これがどのような歴史的経緯があって、今にいたっているのか、ここのところを理解しない限り、どうにもならないかもしれない。おそらくユダヤ人の歴史は、西欧の歴史と文化のなかに深く刻印されていることにちがいない。ここの部分は、理念的なヒューマニズムを語るだけでは、どうしようもないことかと感じるところがある。イスラエルの人びとの間の意見の対立も、容易には解消できないかと思うことになる。民族と宗教と歴史が複雑に重層的にからんだ問題である。

強いていえばということになるが、イスラエルについて、その自衛の権利があることは認められるべきだろう。もとめるとするならば、その過剰な行使について、ということになる。だが、その制限について、それが具体的にどのようなことについてなのか、イスラエルやパレスチナ、さらには国際社会において、共通する合意点が見いだせないのが、現実的な課題といっていいだろうか。最低限、国際法の遵守、戦争にもルールがある、ということになるだろうか。

2024年10月7日記