『カーネーション』「私を見て」 ― 2024-10-27
2024年10月27日 當山日出夫
『カーネーション』「私を見て」
糸子は、心斎橋百貨店に自ら行って、そこの支配人と直談判して、女性店員の制服を作ることになる。ここは、度胸で勝負ということになる。デザイン画を見せてすぐにOKをもらえなかった糸子は、実際に実物の制服を作って自分で着て、これでどうですか、と見せに行く。このあたりは、アイデアの勝負ということになるだろうか。たしかにデザイン画で判断するより、実物を着用して見せた方が、はるかに説得力がある。
ただ、洋服をデザインするということと、それを縫製するということとは、ちょっと違うとは思うのだけれども、この時代……昭和のはじめで洋服の黎明期……デザインと縫製は、あまり区別されることはなかったのかもしれない。(その後の糸子の生き方を考えてみると、女性の洋服をデザインすることと、縫製とが、一緒になった店をやっていくことになる。既製品の洋服が普及する前の、オーダーメイドとしては、これが普通かもしれない。)
新しい制服を着用した百貨店の女性店員たちの表情がよかった。着るものは人の気持ちを変えるものである。それにしても、糸子は、どこからこんなモダンなデザインのセンスを得たのだろうか。このあたりが、持って生まれた天分ということなのかもしれない。
百貨店の仕事を引き受けたことをきっかけに、小原の家でもいろいろとあった。父親の善作は、糸子が神戸のおじいちゃんのところに行くことを、こころよく思っていない。店の商品を全部売り払ってミシンを買ってくる。大胆といえば大胆である。これで、小原の店が洋服屋になったかといえば、そうではなく、依然として呉服店の看板をかかげたままであるし、小原のイエの主は善作である。横暴でもある。この善作をとりまく、家族、特に母親の千代と祖母のハルが実にいい。
百貨店の仕事で得たお金を、祖母のハルがまず仏壇にそなえていた。さりげない場面であるが、このようなところから、小原の家の人びとの生活感覚が伝わってくる。
妹の静子がパッチ一〇〇枚の注文をとってくる。無茶な仕事ではあったのだが、糸子は、一人でなんとかやりとげる。このとき、善作は手伝ってやればいいのにと思うのだがそうしない。意地もあるのだろうが、商売人としてできること、できないことの見極めをもって客に接しなければならないということだったかとも思う。それを教えたいのだが、不器用なのである。この不器用な父親の姿が印象に残る。
静子がとってきて、糸子が仕事をしたパッチ一〇〇枚の収入は、善作がふところにいれた。このあたりは、まだこのイエの仕事の主は善作である、ということなのだろう。糸子たちがもらったのは、勘助のお菓子屋さんに行くぐらいのお小遣いであった。
しかし、この時代、パッチの需要がそんなにあったのだろうか。糸子はパッチ屋に勤めていた。それなりに需要があったということでいいのかなと思う。
もっとみんなが洋服を着るようになったら仕事が増えるのに、と糸子の家族たちは言っていたのだが、そのときみんなは着物すがただった。無論、父親の善作も着物すがたである。四月になって女学校が終わって会社に勤めに出ることになった静子は着物であった。ちなみに、糸子も女学校のときは着物で通学していた。
このドラマは、糸子たち自身の姿(着るもの)と、家の建物の変化、岸和田の商店街を歩く人びとの姿、これらが、非常にうまくからみあって進行する。非常に念入りに作ってあるドラマだと感じるところである。
2024年10月26日記
『カーネーション』「私を見て」
糸子は、心斎橋百貨店に自ら行って、そこの支配人と直談判して、女性店員の制服を作ることになる。ここは、度胸で勝負ということになる。デザイン画を見せてすぐにOKをもらえなかった糸子は、実際に実物の制服を作って自分で着て、これでどうですか、と見せに行く。このあたりは、アイデアの勝負ということになるだろうか。たしかにデザイン画で判断するより、実物を着用して見せた方が、はるかに説得力がある。
ただ、洋服をデザインするということと、それを縫製するということとは、ちょっと違うとは思うのだけれども、この時代……昭和のはじめで洋服の黎明期……デザインと縫製は、あまり区別されることはなかったのかもしれない。(その後の糸子の生き方を考えてみると、女性の洋服をデザインすることと、縫製とが、一緒になった店をやっていくことになる。既製品の洋服が普及する前の、オーダーメイドとしては、これが普通かもしれない。)
新しい制服を着用した百貨店の女性店員たちの表情がよかった。着るものは人の気持ちを変えるものである。それにしても、糸子は、どこからこんなモダンなデザインのセンスを得たのだろうか。このあたりが、持って生まれた天分ということなのかもしれない。
百貨店の仕事を引き受けたことをきっかけに、小原の家でもいろいろとあった。父親の善作は、糸子が神戸のおじいちゃんのところに行くことを、こころよく思っていない。店の商品を全部売り払ってミシンを買ってくる。大胆といえば大胆である。これで、小原の店が洋服屋になったかといえば、そうではなく、依然として呉服店の看板をかかげたままであるし、小原のイエの主は善作である。横暴でもある。この善作をとりまく、家族、特に母親の千代と祖母のハルが実にいい。
百貨店の仕事で得たお金を、祖母のハルがまず仏壇にそなえていた。さりげない場面であるが、このようなところから、小原の家の人びとの生活感覚が伝わってくる。
妹の静子がパッチ一〇〇枚の注文をとってくる。無茶な仕事ではあったのだが、糸子は、一人でなんとかやりとげる。このとき、善作は手伝ってやればいいのにと思うのだがそうしない。意地もあるのだろうが、商売人としてできること、できないことの見極めをもって客に接しなければならないということだったかとも思う。それを教えたいのだが、不器用なのである。この不器用な父親の姿が印象に残る。
静子がとってきて、糸子が仕事をしたパッチ一〇〇枚の収入は、善作がふところにいれた。このあたりは、まだこのイエの仕事の主は善作である、ということなのだろう。糸子たちがもらったのは、勘助のお菓子屋さんに行くぐらいのお小遣いであった。
しかし、この時代、パッチの需要がそんなにあったのだろうか。糸子はパッチ屋に勤めていた。それなりに需要があったということでいいのかなと思う。
もっとみんなが洋服を着るようになったら仕事が増えるのに、と糸子の家族たちは言っていたのだが、そのときみんなは着物すがただった。無論、父親の善作も着物すがたである。四月になって女学校が終わって会社に勤めに出ることになった静子は着物であった。ちなみに、糸子も女学校のときは着物で通学していた。
このドラマは、糸子たち自身の姿(着るもの)と、家の建物の変化、岸和田の商店街を歩く人びとの姿、これらが、非常にうまくからみあって進行する。非常に念入りに作ってあるドラマだと感じるところである。
2024年10月26日記
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