「“緊迫の現場”で何が 〜アメリカ大統領選挙・市民の闘い〜」2024-11-01

2024年11月1日 當山日出夫

BSスペシャル “緊迫の現場”で何が 〜アメリカ大統領選挙・市民の闘い〜

トランプとハリスとそれぞれを支持する人々を公正にあつかっているようではあるが、内容的にはあきらかにハリスよりになっている。特に、二〇二一年の議会乱入事件のことをとりあげて、トランプ支持者はこういうことをする人たちである、という印象を残す作り方になっている。

たしかに、議会乱入事件は憂慮すべき事件であったにはちがいないが、なぜ、そのような事件がおこったのか、そのような行動に出た人びとは何を思っていたのか、また、その事件の後、公正に裁判が行われているのか、というようなことについては、いくぶん疑問の残る内容になっていたと、私は感じるところがある。

ハリス支持の人たちについては、なぜハリス支持なのか、その理由を説明するということにはなっていなかった。トランプが嫌いだからハリスを支持するということしか、画面からは伝わってこなかった。

その一方で、トランプ支持のニューヨークの元タクシー運転手の男性については、なぜトランプ支持なのか、経済的理由が述べられていた。街のなかの多くのホームレスよりも、移民の方が優遇されていると感じる、それは確かに街に暮らしていればそのように感じるのだろうと思う。そのように感じる生活の感覚は尊重されなければならないと思う。しかし、劇場の前で並んでいる人たち、おそらくは生活に余裕のある人たちということになるのだろうが、このような人たちに対してトランプ支持を訴えても反感しか得られない。はっきりいえば、社会の階層が違うのである。これは、相手を間違えているということになるだろうか。

番組全体を通じて、なぜ、トランプとハリスの支持者で、このような対立が生まれているのか、その理由、社会的、経済的、歴史的な背景の説明は、まったくなかったといってよい。

印象にのこることとしては、選挙で不正が行われているとしたら抵抗する権利がある、ということ。これは、現在のアメリカにおいては、過激な言い方のように思えるかもしれない。だが、同じことを、ロシアの大統領選挙で、反プーチンの立場の市民が言ったら、日本のマスコミは、おそらく歓迎して肯定的に報道するにちがいない。

選挙の投票を機械で集計するか手作業で集計するかは、あまり意味のないことのように思える。正確な結果が出るなら、それでいいとしか思えない。だが、このような些細なことをめぐっても対立が起きるということは、よほど双方の分裂がきびしいものになっているということなのだろう。

人びとの対立の感情を映すだけではなく、なぜ、トランプまたはハリスを支持するのかしないのか、その理由の根底にある心情と信条こそ、私は知りたいと思う。

2024年11月1日記

「ふたつの敗戦国 ドイツ さまよえる人々」2024-11-01

2024年11月1日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国 ドイツ さまよえる人々

戦争について、被害者の立場で語るか、あるいは加害者の立場で語るか、これははてしない議論になる。どちらが正しいということよりも、いずれについても歴史として、そのようなことがあったということを、受けとめればいいのだろうと、私は思う。

ただ、この番組で言っていなかった部分が気になる。それは、戦後のドイツが戦争、なかんずくホロコーストについて、加害責任を認める立場にたっていることは、同時にそれは、根本的にはナチスが悪いのであって、多くのドイツ人はその被害者である、という論理が存在していることである。ヒトラーによって加害者にさせられてしまったドイツ人ということになる。

同じような論理は日本についてもある。日中戦争から始まる太平洋戦争は、軍部が悪い、政治が悪い、あるいは、昭和天皇が悪い、支配階級が悪い……ということで、日本人の人民大衆が悪いわけではない。こういう考え方は、唯物史観、階級史観と相性がいい。悪いのは、社会の支配階級である、ということにできる。(だから、革命が必要なのだとなるかどうかは微妙かなとは思うが。)

人間とは被害者の立場にたって語りたがるものである、ということは言ってもいいだろう。それが正義だと感じるのである。(被害を受けている人のことを思うことは正義であるだろうが、しかし、その当の被害者の言っていることすべてが正義の主張であるということはない。)

時代や状況が変わっても、確かに「悪いやつ」を必要とする考え方はあるだろう。今の日本の社会なら、安倍晋三が悪い、自民党が悪い、ということになる。

「悪いやつさがし」とそれから「かわいそうな人さがし」が、今の時代において歴史や社会を語るときの、底流にある発想かと思う。これが駄目だとは思わないが、このような発想だけで見ていたのでは、歴史の中で人間がどのように生きてきたのかということの本質が見えなくなるのではないか、という気がする。

ホロコーストに加担したのも普通の人びとであり、また、東欧からのドイツ人を迫害したのもまた普通の人びとである。移民への排斥をうったえるのもそうである。またパレスチナを支持するのもそうである。

普通の人びとが歴史のなかで何を感じどう行動するのか、「まあ、しょせん人間とはこういうものなのだなあ」と、人間性を肯定的にも、同時に、否定的にも、総合的に考えるような視点があってもいいと私は思うのである。(だからといって歴史の中における悪行を肯定するということではないが。)

2024年10月29日記