『カーネーション』「乙女の真心」2024-11-03

2024年11月3日 當山日出夫

『カーネーション』 「乙女の真心」

このドラマの良さの一つは、ビジネスの視点を持って描いていることである。

糸子は芸妓の駒に洋服を作るが、最初のお客さんということでタダにしてしまう。それに対して、父親の善作は起こる。それでは商売にならない、と。これは、善作の言うことが正論である。このような視点は、このドラマの最後まで続いていると、前回見たときのこととして記憶している。

テーラーで働くことになったが、そこで、ダンスホールの踊子のサエにイブニングドレスを頼まれる。テーラーの大将は、女性用のイブニングドレスがどんなものか知らないのに、引き受けてしまう。それを糸子が担当することになる。このとき、大将は、ダンスホールの他の踊子の女性たちからも注文がくるかもしれないと予想していた。このあたりは、利にさとい商売人の感覚というものだろう。

見本に作ったイブニングドレスを着て、母親の千代が、二階の座敷でダンスをするシーンは良かった。さすが、神戸のお金持ちのお嬢様である。自分用のイブニングドレスを、異人さんの洋裁師さんにあつらえて縫ってもらったようなお嬢様が、どうして岸和田の冴えない呉服屋にいるのか、このあたりも面白い。

岸和田の街にもようやくカフェができた。この場合のカフェは、今でいう喫茶店である。性風俗業としてのいかがわしい店ではない。(そのような店なら、大阪にはいっぱいあっただろうが。)

この当時、昭和のはじめごろ、ダンスホールに踊子がいたことは確かなことなのだろうが、はたして、着物で踊っていたのか、洋装で踊っていたのか、ちょっと気になるところではある。まあ、ドラマの設定としては、(田舎のといっては悪いかもしれないが)岸和田のダンスホールだから、着物で踊っていたという設定である。

それにしても、このドラマは細部にわたって作りが細かい。テーラーの店内の様子とか、ダンスホールの様子とか、きちんと作ってある。このクオリティを最後まで続けることが出来たのが、このドラマが傑作といわれる要因であると私は思っている。土曜日の放送の、糸子と勝が一緒にかき氷を食べるシーンなど、これだけのためにきちんと野外で撮影してあった。

糸子はサエにイブニングドレスを作るとき、玄人の踊子のために作る、自分は玄人の洋裁師である……という意味のことを語っていた。今でいえば、プロのファッションデザイナーということになる。糸子の、その道におけるプロ意識がここではっきりと見られたということになるのだろう。

2024年11月2日記

『おむすび』「あの日のこと」2024-11-03

2024年11月3日 當山日出夫

『おむすび』 「あの日のこと」

一九九五年一月一七日のことは憶えている。朝、地震で目が覚めた。明るくなってから外に出てみたが、幸いなことに我が家においては被害はなかった。テレビをつけたら、ニュースで地震のことは報道していたが、まず映ったのは、京都駅でガラスの破損があって掃除している場面だったと憶えている。それから、しばらくして、ニュースの映像で、阪神高速の倒壊したところなどが映るようになった。火災の発生をはっきりと認識するようになったのは、夜になって暗くなってからのことだったように憶えている。

このようなことは、被災地の外側にいて、テレビのニュースなど見ていた立場だから、記憶していることであって、地震の被害の地域にいた人びとにとっては、いったい何が起こったのか、分からなかったのだろう。

そのころ、インターネットは普及していなかった。携帯電話も、一部で使われ始めたころであった。パソコン通信の時代だったのだが、私の見ていた範囲内では、京阪神に在住のだれそれは無事である、といような情報がながれだしたのは、地震の発生からしばらくたってからのことだった。

ドラマであるが、地震の発生したときの神戸の街にいた人の視点で描いている。朝ドラのなかで描くことになるので、そこまでリアルに地震のときの様子とか、火災の場面とか、また、死者のことなどは、描いていない。だが、そのときのことをなんらかの形で記憶している人びとにとっては、それぞれの立場で、あのときはあんなふうだったな、と思い出すことになる、そのように作ってあった。私としては、このドラマにおける描写や演出は、肯定的に受けとめておきたい。

地震のときのことが、どれだけ人びとに影響しているのか、それぞれということになる。歩がギャルになったのも、その流れのなかで理解することになるのだろうが、歩自身は、自分のギャルのことをニセモノと言っていた。本当は何を感じどう考えていたのだろうか。

父親の聖人が、歩や結のことを思う気持ち、また神戸の人びとのことを思う心情には、共感できるものがある。悪意があってのことではないが、しかし、娘たちと気持ちが通わないということは、いたしかたないところがある。これは、どうしようもないことなのかと思う。

結はギャルを辞めると言ったが、はたしてどうなるだろうか。

しかし、気になるのが母親の愛子である。これまでの展開で、非常にものわかりがいい。歩のことを最も理解している。だが、愛子がここまで娘の気持ちを理解しようとしているのは、自身になにか過去があってのことかと推測される。愛子はギャルのことを不良だと思っていない。これは、なにかわけがあってのことにちがいないと思うのだが、どうなのだろうか。

2024年11月2日記

「東海道“五十七次”の旅▼第一夜 京都・三条大橋から伏見へ」2024-11-03

2024年11月3日 當山日出夫

ブラタモリ 東海道“五十七次”の旅▼第一夜 京都・三条大橋から伏見へ

久しぶりの「ブラタモリ」である。テーマは東海道から分岐して大阪までのルートである。第一回は、伏見。

大津で東海道が南の方に分岐して(三叉路)、伏見の方に行く。この理由について、番組では、参勤交代の大名が京都の天皇に接しないため、と言っていたが、これははたしてどうなのだろうか。案内役の村山さん(京都大学)は、このことについて断定的なことは言っていなかった。このあたりは、研究者としてはそう簡単に断定的に言えることではないだろう。

いろんな理由はあるだろうが、伏見というのは京都をおさえるための要衝である。また、淀川を使った交通の重要拠点である。この伏見をより短いルートで通るようにしたということの方が合理的なように思える。

私は、子どものころから高校をでるまで宇治市に住んで、京都市内の中学高校に通ったから、このあたりの地理については、なんとなく分かる。宇治に自衛隊の駐屯地があるが、これはこの場所が京都をめぐって戦略的に重要な場所だったからということの名残なのだろうと思っている。

大津絵は、若いとき、何かの展覧会で特集されていたのを見て憶えている。これは、いまも時々、何かの展覧会などで目にすることがある。江戸時代のお土産ということだったようなのだが、基本は徒歩で旅をしていた時代である。軽くてかさばらない、ということが何よりも重要なポイントだったかと思う。

練羊羹が伏見駿河屋発祥ということは、諸説あるとして、話半分に聞いておけばいいことだと思うが、それよりも重要なことは、練羊羹は砂糖を使うことである。江戸時代になって、日本で砂糖はどのように生産、流通、消費されたのか、この方向から考えた方が、論点としては面白いはずである。

伏見は今では京都市の一部になっている。しかし、京都市内の中心部から見ると、郊外の別の街である。京都の南の方、伏見から宇治のあたりをめぐっては、古来より歴史の舞台としていろんなできごとがあった土地ということになる。

2024年11月3日記