『おむすび』「あの日のこと」2024-11-03

2024年11月3日 當山日出夫

『おむすび』 「あの日のこと」

一九九五年一月一七日のことは憶えている。朝、地震で目が覚めた。明るくなってから外に出てみたが、幸いなことに我が家においては被害はなかった。テレビをつけたら、ニュースで地震のことは報道していたが、まず映ったのは、京都駅でガラスの破損があって掃除している場面だったと憶えている。それから、しばらくして、ニュースの映像で、阪神高速の倒壊したところなどが映るようになった。火災の発生をはっきりと認識するようになったのは、夜になって暗くなってからのことだったように憶えている。

このようなことは、被災地の外側にいて、テレビのニュースなど見ていた立場だから、記憶していることであって、地震の被害の地域にいた人びとにとっては、いったい何が起こったのか、分からなかったのだろう。

そのころ、インターネットは普及していなかった。携帯電話も、一部で使われ始めたころであった。パソコン通信の時代だったのだが、私の見ていた範囲内では、京阪神に在住のだれそれは無事である、といような情報がながれだしたのは、地震の発生からしばらくたってからのことだった。

ドラマであるが、地震の発生したときの神戸の街にいた人の視点で描いている。朝ドラのなかで描くことになるので、そこまでリアルに地震のときの様子とか、火災の場面とか、また、死者のことなどは、描いていない。だが、そのときのことをなんらかの形で記憶している人びとにとっては、それぞれの立場で、あのときはあんなふうだったな、と思い出すことになる、そのように作ってあった。私としては、このドラマにおける描写や演出は、肯定的に受けとめておきたい。

地震のときのことが、どれだけ人びとに影響しているのか、それぞれということになる。歩がギャルになったのも、その流れのなかで理解することになるのだろうが、歩自身は、自分のギャルのことをニセモノと言っていた。本当は何を感じどう考えていたのだろうか。

父親の聖人が、歩や結のことを思う気持ち、また神戸の人びとのことを思う心情には、共感できるものがある。悪意があってのことではないが、しかし、娘たちと気持ちが通わないということは、いたしかたないところがある。これは、どうしようもないことなのかと思う。

結はギャルを辞めると言ったが、はたしてどうなるだろうか。

しかし、気になるのが母親の愛子である。これまでの展開で、非常にものわかりがいい。歩のことを最も理解している。だが、愛子がここまで娘の気持ちを理解しようとしているのは、自身になにか過去があってのことかと推測される。愛子はギャルのことを不良だと思っていない。これは、なにかわけがあってのことにちがいないと思うのだが、どうなのだろうか。

2024年11月2日記

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