『おむすび』「おむすび、恋をする」2024-11-17

2024年11月17日 當山日出夫

『おむすび』「おむすび、恋をする」

この週の最後のところで、祖父の永吉が、家族の日常的なこと、食事をしたり、話したり、笑ったり、怒ったりというようなこと、これこそが大切なものである、という意味のことを語っていた。これには、共感するところがある。(ただ、それを、このドラマのなかで説得力をもつ描き方で描けているかどうかは、まだ微妙なところかなと感じるのだが。)

日常の生活感覚を描くということが、おそらくドラマで難しいことである。劇的な事件があるとか、波瀾万丈のストーリーの展開とかなら、それなりに視聴者を引きつけることができる。しかし、普通のありふれた日常の生活のなかで人が何を感じ、どう思って生きているのか、ということを描くのは難しい。(強いていうならばであるが、それに失敗したのが『寅に翼』であり、成功したのが『カーネーション』、といっていいかもしれない。日常生活のなかの感情を描けたかどうか、という視点から見てのことである。まあ、『虎に翼』は登場人物の日常生活などには、はなから関心がなかったといえるのかとも思うが。)

結の高校生活が、この週で終わることになる。ドラマで、糸島の高校に通っている女子高校生の気持ちや日常を描けたか、となると、ちょっとどうかなと感じるところはある。ここは、時間を早めずに、どんな気持ちで生活してきたのかというところがあってもよかったかなと感じる。特に、ギャルをやりながら、書道部もやって、家の農業の仕事も手伝う、無論、勉強もあるだろう、ここのところをもう少し描くべきだったかもしれない。

結果としては、結は栄養士になると気持ちを決める。

ここも、なぜ、結が栄養士になろうと考えたのか、もうちょっと考え方の起伏や変化があってもよかったかなと思う。栄養士になるためには、どんな勉強が必要なのか、どんな学校に行けばいいのか、どんな仕事があるのか、この時代なら、本を読むだけでなくネットで調べることもできる。あるいは、翔也の野球部の監督の奥さんに話しを聞きに行ってもよかったかもしれない。

翔也が言っていたが、将来の計画は書きかえればいい。これは、そのとおりである。結も栄養士になるという将来の目標ができたことになるのだが、それにいたる過程は、いろいろと書きかえられながら進んでいくのかと思う。

博多ではギャルは高校卒業で終わりということのようなのだが、高校を出てからの結はどうすることになるのだろうか。博多のギャルは神戸ではどう見られることになるのだろうか。

2024年11月16日記

『カーネーション』「果報者」2024-11-17

2024年11月17日 當山日出夫

『カーネーション』「果報者」

糸子は洋裁の仕事で独立することになる。小原呉服店が、小原洋裁店になった。そして週の終わりにはオハラ洋装店に名前が変わった。善作は、糸子について、「女だてらに洋裁店」と言っていたのだが、しかし、糸子の気持ちをくじくことはなく、いさぎよく糸子のすすむべき道を作るようにしている。たしかに、いわゆる家父長制的暴君の側面もあるのだが、それだけではなく、父親の娘に対する愛情を深く感じる人物である。このあたりの人間の多面性をうまく描いている。

前にも書いたが、このドラマは、岸和田の街の小原の家(建物)の物語でもある。糸子が洋裁の仕事をするなら、別に家の外に店を構えてもいいようなものかもしれないが、このドラマとしては、あくまでも、その家(建物)の変遷とともに、糸子の生涯を描くということになっている。そのため、父親の善作は、母の千代や姉妹たちを連れて、家を出る。小原の家(建物)は、とりあえずは格子戸がショーウインドウに変わった。(これから、どんどんドラマの展開とともに変わっていく。)

結婚式のシーンが印象的である。最終的に糸子は花嫁衣装を着ることになるのだが、それまで仕事の過労で披露宴に行けない。そんなに無理をしなくてもいいとは思うのだが、納期を守るためにはいたしかたない。母親の千代は善作と駆け落ちして結婚したということなので花嫁衣装は着ていない。その姿を神戸の祖父母は目にすることはなかった。また、吉田屋の奈津も花嫁衣装を着る機会がなかった。これらの人びとの思いが背景にあって、糸子の花嫁衣装姿があることになる。

披露宴の場面で、そこにいた家族や親戚の人びと、近所の人たち、これらの表情がそれぞれによかった。これまでに、このドラマで、それぞれがどんな人たちで、糸子とどういう関係であったのか、じっくり描いてきたからこそ、披露宴のときの表情でその気持ちを素直に表現して、それを見ることができる。

細かなことだが、おばあちゃんのハルと二人っきりの生活を始めたとき、おばあちゃんが台所で二人分のお茶碗を洗って置いた。さりげない場面だが、二人の生活が始まったことが印象深く表現されている。また、花嫁衣装の着付けのシーンで、その姿が座敷の向こうの廊下の窓に小さくぼんやりと映り込むように作ってあった。これも、さりげないが非常に凝った演出である。

勝と結婚して、おばあちゃんの助言(といっていいだろうか)があって、子どもの優子が生まれる。子どもが生まれてから、糸子がその赤ん坊をいとおしむ気持ちが、短いながらも丁寧に描かれていた。

最後に勘助に赤紙が来たところで終わっていた。時代としては、昭和一二年になっている。本格的に日中戦争が始まる、という時代の流れがある。(戦争に行った勘助がその後どうなるかは、『カーネーション』のなかでも一番の見どころである。)

2024年11月16日記