『光る君へ』「望月の夜」2024-11-18

2024年11月18日 當山日出夫

『光る君へ』「望月の夜」

「この世をば……」の歌を覚えたのはいつのころだったろうか。たぶん、学校の社会、歴史の教科書に載っていたので憶えたかと思う。国語の古典の授業では出てきていないはずである。藤原道長というと、どうしても「この世をば……」の歌のことを思ってしまう。摂関政治の時代に、絶世の権力をほこった道長の気持ちをよく表していると感じる。

摂政と左大臣をやめたとはいえ、三后の父として、道長は権力の頂点にたっていたことはたしかである。だが、それは孤独なものでもあったにちがいない。権力とは孤独なものである。

この歌のことをドラマのなかでどう描くかというのが、おそらくは『光る君へ』の最大の見せ場にはちがいない。なるほどこんな感じだったのかなあ、と思って見ていた。(このドラマについていつも思うことなのだが、こういうシーンでは、女性は正装で出てくる。だが、正装してしまうとそんなに身軽に動き回ることが出来ないはずなので、世話をする下働きの女性たちがたくさんいたはずなのだが、それは映っていない。まひろもいたが、女房装束(十二単)なのでただ座っているだけの存在であると思う。)

ただ、このシーンで、道長は歌を口ずさんでいたのだが、本来は朗唱すべきところかもしれない。それから、白楽天と元稹(ドラマのなかでは「げんしん」と言っていたが、私が若いときに憶えた言い方だと「げんじん」である)のエピソードで、歌と出てきていたが、ここは詩(=漢詩)でなければならない。

やはり藤原実資がいてくれたおかげで、「この世をば……」の歌が残ったということになる。『小右記』に出てくる。私の書庫には若いときに買った大日本古記録の『小右記』がある。だが、今の時代、このような古記録、日記、それから古文書(大日本古文書)などは、東京大学史料編纂所のデータベースを使うのが普通になってしまっている。もう、紙の本の史料を手にする時代ではなくなってしまっているといっていいだろう。

賴通は、三条天皇の皇女を妻にすることを拒否する。このあたりのことは、どうしても『源氏物語』の「若菜」の巻のこと、女三宮の光源氏への降嫁、それにともなう、紫の上のことを考えることになる。光源氏の色好みは、多くの女性を相手にしていても、その誰をも見捨てることもなく面倒を見る、というところにあったかと理解しているのだが、このことは、道長が倫子と明子の両方、それから、まひろのことを、それぞれが不満に思うことなく関係を保っているということになるのだろうか。

賴通は、家出するという。駆け落ちとでもいった方がいいだろうか。藤原も捨てるという。だが、現実的には、これは不可能だろう。この時代、どうやって生きていくことになるのだろうか。

伊周の怨霊ということにする……この時代、怨霊が本当に信じられていた時代であるから、なるほどと思う。特に、伊周の場合は、自らが道長を呪詛していたという経緯があるから、説得力がある。

倫子が、我が家から帝がと言っていた。藤原の、それも道長の家という意識、それから、家から帝がでるという感覚、これはそういうものかとも思う。現代の感覚からすれば、そうなのかなと思うが、平安時代の貴族にとっての家とかの意識は、どのようなものだったのだろうか。

まひろの父の為時は、出家しようかと言っていた。このドラマはこれまでもそうなのだが、出家とか、仏教のことは出てくるのだが、浄土思想ということは出てこない。平安貴族にとって、浄土ということは、かなり重要なことだったと思っているのだが、どうだろうか。

道長の理解者としては、まひろ そしてこれは倫子ではない、ということでもあった

倫子は、まひろに道長のことを書いてくれと言っていたが、『源氏物語』のこと、宇治十帖のことではない。ここは、まひろぐらいしか、道長のことを理解してくれるものはいない、ということであろう。さらにいうならば、道長の理解者としては、まひろであること。そしてこれは倫子が、そう認識しているということである。

以前にも書いたが、登場人物で天皇については、三条天皇とか後一条天皇とか、称することになっている。「~~天皇」と称するのは、諡号(おくりな)であるから、天皇の位にあるときに、そのように呼ぶことはどうかなと思う。しかし、ドラマの進行上、脚本の作り方としては、「~~天皇」と言っておかないと区別できない、というのは、どうしようもないことだろうと思う。

まひろの家は、昔に比べるといくぶん豊かになったように感じる。いわゆる寝殿造りの邸宅という感じはないが、調度品などが、ずいぶんと良くなっているようだ。これも、父親が越後守を歴任したことによるものだろうか。

まひろは物語の続きを宮中の自分の局で書いているようなのだが、あいかわらず女房装束(十二単)である。どう考えても、この恰好では原稿など書けないだろうと思うのだ、どうだったのだろうかと思う。

実資が、道長のことを太閤と言っていた。これは、この時代においてこういう呼称があったということである。(一応、日本国語大辞典は見てみた。)

天皇の即位のときの場面がドラマに描くことができるというのは、私の体験的な感覚からいうと、昭和が終わって平成になり、新しい天皇の即位(今の上皇陛下)、さらに、令和の時代に今上陛下の即位ということが、広くマスコミで報じられるという国民的経験があってのことだろうと思う。高御座が、テレビのドラマの画面に映るようになったというのは、時代の流れというべきだろう。

次週は、また猫が登場するようだ。

2024年11月17日記

「スタジアムに暴力はいらない〜インドネシア〜」2024-11-18

2024年11月18日 當山日出夫

Asia Insight スタジアムに暴力はいらない〜インドネシア〜

再放送である。

インドネシアでのサッカーの試合後の事件のことは、ニュースで見た記憶があるという程度である。

インドネシアという国で、サッカーが国民の熱狂するスポーツである、ということはこの番組を見て知った。それぞれの国で、どのようなスポーツが愛好されているかは、いろんな歴史的事情があってのことだろう。(日本の近代におけるスポーツの歴史は、これはこれで考えるべきことではある。)

熱狂的なサポーターなのだろう。観戦しながら客席で炎があがっているのが見えるのだが、巨大な松明のようなものなのだろうか。それにしても、すさまじい応援である。

事件の真相は分からないままであり、裁判の結果に抗議する市民の姿もある。番組としては、これをメインに作ってある。

だが、私が興味深く思って見たのは、犠牲者の遺族の姿。遺品、遺影と一緒にマリア像がおいてあって、お墓には十字架が立ててあった。おそらくは、カトリックの信者ということなのだろう。インドネシアというと、世界で最大規模の人口のイスラムの国というイメージで見ていたのだが、実際にこの国で暮らす人たちの信仰は、どのようなものなのだろうか。

宗教の違いが、事件があったあった後の追悼や慰霊に、どうかかわることになるのか。イスラムには、それなりのものの考え方があるのだろうと思うが、このあたりは、日本から見ると、どうも分かりにくいところの一つである。

それにしても、その事件のあったとき、警察だけではなく軍も出動していたということは、事前になんらかの準備態勢があってのことだったのだろうか。軍というものは、(国境警備などをのぞけば)そう簡単に出動できるものとは思えないのだが。

国民の信頼を裏切った警察ということで、道路にある交番(といっていいのだろうか)が、使えなくなっている。このような事態は、日本ではちょっと考えにくい。警察や軍に対する信頼感というのは、社会の秩序のために最も重要なものの一つであると思うが、はたしてインドネシアは、どのようになっていくのだろうか。

2024年11月14日記