「歴史見直しに揺れるフィリピン」 ― 2024-11-23
2024年11月23日 當山日出夫
Asia Insight 歴史見直しに揺れるフィリピン
フィリピンでアキノが暗殺されたときのことはニュースで大きく報道された。その後、ピープルパワー革命ということになり、マルコス大統領が失脚した。このときも大きなニュースとして報じられたが、一番印象に残っている野は、大統領夫人(イメルダ)の残していった数千足の靴の映像である。
このことを記憶している世代としては、マルコス=悪、アキノ=善、という図式で考えてしまいがちなのだが、ことはそう簡単ではないらしい。マルコス政権は、たしかに腐敗はあっただろうが、それは開発独裁として、その時期のフィリピンにとってはいたしかたのないことであった、ということになるのかもしれない。
マルコスという名前は、最近になって、フィリピンの大統領になったのが、かつての大統領の息子ということで、へえこんなこともあるのか、と思ってニュースを見たものである。現在のマルコス政権のもとで、歴史の見直しが行われているという。
一方で、かつてのマルコス政権を批判し、アキノをひきつづき顕彰する動きもあり、これはかろうじて生きのこっているという程度らしい。
大きな流れでみれば、フィリピンの歴史において開発独裁の段階であった、昔のマルコス政権をどう評価するかは、いろいろな立場からの意見があることになるのだろう。
興味深いのは、マルコス再評価の動きの中心になっているのはSNSであること。これは、まさに今の時代のことである。SNS情報だからダメとは思わないけれど、史料にもとづいた議論も必要だろうとは、私の年代だと思ってしまう。
昔の開発独裁時代の再評価ということになると、おそらく韓国のこととか、台湾のこととかも、テーマになることだろうと思う。
番組では触れることがほとんどなかったが、フィリピンを取り巻く東南アジア諸国との関係、それから、アメリカとの関係、中国との関係、これらの国際関係が大きく影響していることはたしかだろう。現在、中国はフィリピンに対して侵略的である、といっていいだろう。この意味では、アメリカと関係の深かったマルコス時代を高く評価するということになるのかもしれない。このあたりは、その専門家の解説がほしいところである。
2024年11月21日記
Asia Insight 歴史見直しに揺れるフィリピン
フィリピンでアキノが暗殺されたときのことはニュースで大きく報道された。その後、ピープルパワー革命ということになり、マルコス大統領が失脚した。このときも大きなニュースとして報じられたが、一番印象に残っている野は、大統領夫人(イメルダ)の残していった数千足の靴の映像である。
このことを記憶している世代としては、マルコス=悪、アキノ=善、という図式で考えてしまいがちなのだが、ことはそう簡単ではないらしい。マルコス政権は、たしかに腐敗はあっただろうが、それは開発独裁として、その時期のフィリピンにとってはいたしかたのないことであった、ということになるのかもしれない。
マルコスという名前は、最近になって、フィリピンの大統領になったのが、かつての大統領の息子ということで、へえこんなこともあるのか、と思ってニュースを見たものである。現在のマルコス政権のもとで、歴史の見直しが行われているという。
一方で、かつてのマルコス政権を批判し、アキノをひきつづき顕彰する動きもあり、これはかろうじて生きのこっているという程度らしい。
大きな流れでみれば、フィリピンの歴史において開発独裁の段階であった、昔のマルコス政権をどう評価するかは、いろいろな立場からの意見があることになるのだろう。
興味深いのは、マルコス再評価の動きの中心になっているのはSNSであること。これは、まさに今の時代のことである。SNS情報だからダメとは思わないけれど、史料にもとづいた議論も必要だろうとは、私の年代だと思ってしまう。
昔の開発独裁時代の再評価ということになると、おそらく韓国のこととか、台湾のこととかも、テーマになることだろうと思う。
番組では触れることがほとんどなかったが、フィリピンを取り巻く東南アジア諸国との関係、それから、アメリカとの関係、中国との関係、これらの国際関係が大きく影響していることはたしかだろう。現在、中国はフィリピンに対して侵略的である、といっていいだろう。この意味では、アメリカと関係の深かったマルコス時代を高く評価するということになるのかもしれない。このあたりは、その専門家の解説がほしいところである。
2024年11月21日記
ザ・バックヤード「消防庁消防大学校 消防研究センター」 ― 2024-11-23
2024年11月23日 當山日出夫
ザ・バックヤード 消防庁消防大学校 消防研究センター
ここのことは知らなかった。だが、このような研究機関があることは、当たり前のことだろうとは思う。一般に知られていないだけだったということになる。
泡消火の新たな改良が進められているという。従来の方式では有害物質をふくむために使えない薬剤がある。番組では言っていなかったが、おそらくPFASのことだろうと思って見ていたのだが、どうなのだろうか。
ドローンを使って災害現場の地図を作る。今ならごく当たり前の技術かなと思う。気になったのは、災害前の地図として画面に映っていたのが、Googleの地図だった。今では、どんなテレビ番組でも地図を映すとなると、Googleを使う。別に悪いと思っているわけではないが、Googleはあくまでもアメリカの一般の企業である。そこに、消防という重要な社会インフラが依存していることは、留意しておくべきことかもしれない。
また、夜間にドローンを飛ばしてレーザー測量で地図を作る。これも、今なら、普通にできることなのかと思う。
このような技術というのは、デュアルユースで、軍事的にも利用できる。
石油タンクの浮蓋が地震で変形する。これなどは、実際に起こった火災現場から資料を収集することによって、さらには、それを実験で確かめることによって、原因が分かり、対策がたてられるということになる。
火災の延焼のシミュレーションのシステムは興味深いものなのだが、基本となるその地域の地図データと、気象データを、どこからどのように入手することになるのか、このあたりはどうなのだろう。気象データについては、おそらく気象庁と連携してのことかなと思うのだが、実際の運用にあたっては、風の向きや強さなどの情報をリアルタイムで更新していく必要があるに違いない。また、火災が大きくなれば、その火災自身の影響も加わるだろう。
2024年11月22日記
ザ・バックヤード 消防庁消防大学校 消防研究センター
ここのことは知らなかった。だが、このような研究機関があることは、当たり前のことだろうとは思う。一般に知られていないだけだったということになる。
泡消火の新たな改良が進められているという。従来の方式では有害物質をふくむために使えない薬剤がある。番組では言っていなかったが、おそらくPFASのことだろうと思って見ていたのだが、どうなのだろうか。
ドローンを使って災害現場の地図を作る。今ならごく当たり前の技術かなと思う。気になったのは、災害前の地図として画面に映っていたのが、Googleの地図だった。今では、どんなテレビ番組でも地図を映すとなると、Googleを使う。別に悪いと思っているわけではないが、Googleはあくまでもアメリカの一般の企業である。そこに、消防という重要な社会インフラが依存していることは、留意しておくべきことかもしれない。
また、夜間にドローンを飛ばしてレーザー測量で地図を作る。これも、今なら、普通にできることなのかと思う。
このような技術というのは、デュアルユースで、軍事的にも利用できる。
石油タンクの浮蓋が地震で変形する。これなどは、実際に起こった火災現場から資料を収集することによって、さらには、それを実験で確かめることによって、原因が分かり、対策がたてられるということになる。
火災の延焼のシミュレーションのシステムは興味深いものなのだが、基本となるその地域の地図データと、気象データを、どこからどのように入手することになるのか、このあたりはどうなのだろう。気象データについては、おそらく気象庁と連携してのことかなと思うのだが、実際の運用にあたっては、風の向きや強さなどの情報をリアルタイムで更新していく必要があるに違いない。また、火災が大きくなれば、その火災自身の影響も加わるだろう。
2024年11月22日記
『坂の上の雲』「(10)留学生(後編)」 ― 2024-11-23
2024年11月23日 當山日出夫
『坂の上の雲』「(10)留学生(後編)」
録画してあったのをようやく見た。見ながら思ったことを思いつくままに書いてみる。
アリアズナの目がとても美しい。このドラマを見るのは、今回の再放送を含めて、三度目ぐらいになるかと思うのだが、今あらためて見て、ロシアのアリアズナという女性の魅力に気づいた。以前は、ロシアの美人女性ぐらいの感じで見ていたのだが、今回の再放送で見ると、その灰色の瞳がとても魅力的である。
ロシアでの部分。広瀬武夫は、ロシア語で自己紹介するとき、自分の名前を「ヒロセ・タケオ」と言っていた。日本語の語順(姓・名)である。だが、アメリカで秋山真之は、「サネユキ・アキヤマ」と言っていた。(名・姓)である。ロシア語の人名としては、基本は英語式になるはずである。正式には父称が入ることになるが。こういうことがドラマを見ていても気になるというのは、国語学を勉強してきたということがどうしてもあるからなのだが。
この当時のロシアの社会で、上流階級なら、フランス語で話していてもいいように思うのだが、実際はどうだったのだろうか。
秋山真之も、広瀬武夫も、留学生あるいは駐在武官ということであるが、しかし、その実態は、インテリジェンスにあったといっていいのだろう。スパイというと語弊があるかもしれないが、ここは広い意味での軍事関係を軸とした諸般の情報収集ということだったにちがいない。
太平洋戦争にいたるまで、日本軍の最大の弱みは、インテリジェンスとロジスティックスの軽視、ということは言われていることだと思っている。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでも、日露戦争のときの、インテリジェンスやロジスティックスについては、ほとんど書かれていなかったと憶えている。昭和のノモンハン事件のことを、厳しく批判していた司馬遼太郎なのだが、その視野のなかには、これらのことはふくまれていなかったということになるだろうか。この意味では、いわゆる司馬史観については、批判的であらねばならないだろう。
ちなみに、ドラマとしては先のことになるが、日本海海戦はなぜ起こったかというと、日本と満州との間の海上補給路を確保するため(日本側からみれば)であったはずである。日本海の制海権をロシアに取られては、日露戦争は負ける。決して海軍どうしの決戦が目的であったわけではない。このあたりが、今もって一般に誤解されているところかもしれない。
正岡子規の描き方を見ると、これは芸術家として描いていると感じるところがある。文学者を芸術家としてとらえるということは、あまり現代でははやらないことなのだが、このドラマでは、芸術家としている。
小村寿太郎や高橋是清は、アメリカにおけるイロコイ族というインディアン(今ではこのことばは使わないが、ドラマのなかではその当時の言い方として使っている)のことを語っていた。帝国主義の時代である。その時代の価値観を、このドラマでは、必ずしも否定的には見ていない。そのような時代のなかにあって、日本という「まことに小さな国」がどう生きのびてきたか、を描く立場である。このような歴史観があってもいいと思うし、また、これを否定的に見るにせよ、少なくともその時代に生きた人びとが、どのような考え方をしていたかは、必ずしも否定されるべきものとは思わない。(だからといって、現在の国際社会のなかで、かつてのような帝国主義的なあり方が容認されるということはない。だが、これも、昨今の国際情勢をみると、あまり楽観的にもなれないのではあるが。)
『ロシヤにおける広瀬武夫』は買って持っている本なのだが、書庫のどこかにある。探して読んでおきたくなった。
2024年11月23日記
『坂の上の雲』「(10)留学生(後編)」
録画してあったのをようやく見た。見ながら思ったことを思いつくままに書いてみる。
アリアズナの目がとても美しい。このドラマを見るのは、今回の再放送を含めて、三度目ぐらいになるかと思うのだが、今あらためて見て、ロシアのアリアズナという女性の魅力に気づいた。以前は、ロシアの美人女性ぐらいの感じで見ていたのだが、今回の再放送で見ると、その灰色の瞳がとても魅力的である。
ロシアでの部分。広瀬武夫は、ロシア語で自己紹介するとき、自分の名前を「ヒロセ・タケオ」と言っていた。日本語の語順(姓・名)である。だが、アメリカで秋山真之は、「サネユキ・アキヤマ」と言っていた。(名・姓)である。ロシア語の人名としては、基本は英語式になるはずである。正式には父称が入ることになるが。こういうことがドラマを見ていても気になるというのは、国語学を勉強してきたということがどうしてもあるからなのだが。
この当時のロシアの社会で、上流階級なら、フランス語で話していてもいいように思うのだが、実際はどうだったのだろうか。
秋山真之も、広瀬武夫も、留学生あるいは駐在武官ということであるが、しかし、その実態は、インテリジェンスにあったといっていいのだろう。スパイというと語弊があるかもしれないが、ここは広い意味での軍事関係を軸とした諸般の情報収集ということだったにちがいない。
太平洋戦争にいたるまで、日本軍の最大の弱みは、インテリジェンスとロジスティックスの軽視、ということは言われていることだと思っている。司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでも、日露戦争のときの、インテリジェンスやロジスティックスについては、ほとんど書かれていなかったと憶えている。昭和のノモンハン事件のことを、厳しく批判していた司馬遼太郎なのだが、その視野のなかには、これらのことはふくまれていなかったということになるだろうか。この意味では、いわゆる司馬史観については、批判的であらねばならないだろう。
ちなみに、ドラマとしては先のことになるが、日本海海戦はなぜ起こったかというと、日本と満州との間の海上補給路を確保するため(日本側からみれば)であったはずである。日本海の制海権をロシアに取られては、日露戦争は負ける。決して海軍どうしの決戦が目的であったわけではない。このあたりが、今もって一般に誤解されているところかもしれない。
正岡子規の描き方を見ると、これは芸術家として描いていると感じるところがある。文学者を芸術家としてとらえるということは、あまり現代でははやらないことなのだが、このドラマでは、芸術家としている。
小村寿太郎や高橋是清は、アメリカにおけるイロコイ族というインディアン(今ではこのことばは使わないが、ドラマのなかではその当時の言い方として使っている)のことを語っていた。帝国主義の時代である。その時代の価値観を、このドラマでは、必ずしも否定的には見ていない。そのような時代のなかにあって、日本という「まことに小さな国」がどう生きのびてきたか、を描く立場である。このような歴史観があってもいいと思うし、また、これを否定的に見るにせよ、少なくともその時代に生きた人びとが、どのような考え方をしていたかは、必ずしも否定されるべきものとは思わない。(だからといって、現在の国際社会のなかで、かつてのような帝国主義的なあり方が容認されるということはない。だが、これも、昨今の国際情勢をみると、あまり楽観的にもなれないのではあるが。)
『ロシヤにおける広瀬武夫』は買って持っている本なのだが、書庫のどこかにある。探して読んでおきたくなった。
2024年11月23日記
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