『おむすび』「さよなら糸島 ただいま神戸」2024-11-24

2024年11月24日 當山日出夫

『おむすび』「さよなら糸島 ただいま神戸」

今、同時に、『カーネーション』と『カムカムエヴリバディ』の再放送がある。いずれも、BK(NHK大坂)の制作である。これまで見てきた印象としては、『カーネーション』『カムカムエヴリバディ』は、歴代の朝ドラのなかでも傑作といっていいものである。それと比べる気持ちは特にないけれども、『おむすび』を見ていると、どうしても比較して考えることになる。

いいドラマというのは、画面に映っているモノが多い。小道具とか、セットとか、あるいは食卓の料理とか、細々したものが数多く画面のなかにある。それが、ドラマのなかで生活の感覚、時代の感覚を、かもしだす。これらを用意するには、それなりの手間がかかる。時代考証も必要になる。制作のコストもある。画面のなかでどう見せるかという演出のこともある。

このような視点で見ると、『カーネーション』『カムカムエヴリバディ』は、とても画面に映っているモノが多い。それから、人も多い。

さて、『おむすび』であるが、この週の展開のなかで、ここはちょっと制作陣が手を抜いたなと感じたのが、調理実習の場面。できるなら、その教室で、結たち以外の他の班の料理を作っている様子とか、できあがった料理とか、見せてほしかった。しかし、ドラマのなかで映っていたのは、結たちの班のことだけ。他の班の料理が一例だけ映っていた。ここのところは、すこし手抜きをして作ったと感じてしまったところである。

別に他の班の料理がどうであっても、結たちの班が合格点をとったことは確かなので、ドラマの大きな筋には影響しない。しかし、栄養士になるための学校で、他の生徒たちが、どんなことをしているのか、具体的な調理の様子や献立などによって、教室全体の雰囲気のリアルな描写があると、ドラマとしてより説得力のあるものになる。(ただ、とても制作コストはかかることになるけれども。)

しかし、このドラマは、よく作ってあると感じるところもある。結たちの家族が神戸に帰ってきたとき、商店街の店のなかを映すとき、理容店の鏡に映った人の姿があった。それから、ドアのガラス戸に映った人の姿や、中の様子とか、これらは、照明とかカメラの位置など、かなり難しい撮影になるかと思うのだが、自然な感じでうまく作ってあった。このような場面を見ると、制作スタッフが頑張っているということを感じる。

商店街の中を結たちが歩いていくとき、後ろ姿が映っていて、画面の右のたこ焼き屋さんで、熱々のたこ焼きを、口をハフハフさせて食べている人がいた。演出したものなのかどうかだが、しかし、商店街の中のたこ焼き屋さんという雰囲気がよく伝わってきている。

調理実習のときの最後に先生が言っていたことは、印象に残る。社会にでて就職すると、気の合わない人とも一緒に仕事しなければならない。その訓練のためにも、今のままの班で続けることにする。これは、確かにそのとおりである。

ただ、どうしても一緒に仕事をするのが嫌な人というものはいるものである。結はギャルとして生きていくことになるが、それが職場の周囲の人たちと軋轢を生むことになるかもしれない。では、このようなとき、結はどうすることになるだろうか。ギャルを辞めることになるのか。

2024年11月23日記

『カーネーション』「いつも想う」2024-11-24

2024年11月24日 當山日出夫

『カーネーション』「いつも想う」

時代の背景としては、日中戦争がはじまって、太平洋戦争になるまでの期間ということになる。この時代を、軍部に支配された暗黒の時代と描くこともできる。(司馬遼太郎は、昭和の戦前はきわめて否定的にとらえている)。だが、実際の世相としては、贅沢は禁じられつつあったが、それでもまだ、人びとの生活のなかには余裕のあった時代ということになるだろう。せいぜいパーマネントが贅沢だと言われるぐらいである。

生地の一部に金糸の筋がはいっただけのものが贅沢だということで売れない。困った生地屋が、糸子のところに、どうにかしてくれないかと頼みこむ。糸子は、これを引き受けて、なんとかさばいてみせることになる。

金筋のところを黒い線として別の布でかくして、それを模様にしてしまう。このあたりは、糸子のビジネスの才覚というべきところである。あるいは、デザイナーとしてのセンスの良さでもあろうか。

だが、商売人としてはどうなのだろうか。注文を取れるだけ取ってしまうのだが、それを年内に、仕事を終了できる目処があってのことではなかったようだ。このあたりは、商売人としては、計画性に欠けるというべきであろう。

ここのところをおぎなうことになるのが、店に新しく入ってきた、昌ちゃんである。これから、昌ちゃんが、糸子の店を陰から支える存在となる。

次女の直子が生まれたのだが、この子の子守に苦労することになる。今なら保育園にあずけてということになるかもしれないが、この時代、そう簡単ではない。子守を誰かにたのむことにならざるをえない。金銭的に余裕がある場合は、子守のために小さな女の子を雇う、という時代ということになる。そういえば、『おしん』でも奉公先で子守をしていたと憶えている。

直子があまりにも手のかかる子どもなので、だれも子守をしてくれない。しかたなしに、夫の勝の実家にあずけることにする。その間に仕事をしてしまおうということである。

このあたり、糸子と勝の、職人としての仕事にかける意気込みと、親として子どもを思う感情の交錯を、うまく描いていたと感じるところであった。

この週のなかで、よく作ってあるなあと感じたシーンがある。生地屋の大将と、糸子、善作が、話をする場面。座敷での話なのだが、奧の襖が開けてあって、背景に部屋が見えた。そこに、縁側の廊下の窓から光が差し込んで、四角い明暗の影が浮かびあがる。別に、こういう場面は、その座敷だけで撮ってもいいようなものだが、画面の構図に奥行きがあって、落ち着いた雰囲気になっていた。そこで、金糸のはいった生地をどうするかという、金がらみの話をしている。こういうところを見ると、うまく作った映像であるなあと感じるところがある。

まだ、糸子は着物姿である。勝は洋服で仕事をしている。オハラ洋装店とはいっても、糸子をはじめ、中で働いている縫い子たちは、全員が着物姿である。

この週の最後で、勘助が戦争から帰ってきた。これまで、朝ドラでは、いろんな形で戦争を描いてきているが、私は、『カーネーション』の勘助のことが最も印象に残っている。

2024年11月23日記

『カムカムエヴリバディ』「1925-1939」2024-11-24

2024年11月24日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1925-1939」

再放送がはじまったので見ている。

各週のタイトルが無い、というよりも、ただその時代の年で示されるだけ、というスタイルは、このドラマだけだったかもしれない。

一九二五年からスタートして、一〇〇年間の物語ということになる。つまり、ドラマの最終地点は、二〇二五年である。来年の春に、再放送が終わるときが、まさにその年ということになる。

これまでの朝ドラのなかでも傑作といっていいだろう。今、再放送をしている『カーネーション』も傑作である。私が、他に傑作と思っているのは、近年のものでは、『ひよっこ』とか『おちょやん』がある。

再放送を見て、非常に濃密な内容のものであったことに驚く。この最初の週だけで、後のこのドラマのなかで伏線となる、様々なことが登場している。ラジオからスタートして、和菓子屋のあんこ、英語講座、喫茶店、ジャズ、On The Sunny Side Of The Street、などなど……これからのドラマで重要なキーになる要素が、すでに登場している。喫茶店の定一は無論のこと、豆腐屋のきぬちゃん、吉右衛門などの人物も出てくる。

そのなかで、岡山の小さな和菓子屋の娘の安子のこと、稔との出会いと英語講座、そして、最後の、岡山駅での、「May write a letter to you ?」の台詞になる。このたどたどしい英語の台詞は、このドラマのなかでも非常に印象的なものの一つである。

ところで、安子は稔に勧められて、ラジオの英語講座を聴き始めるのだが、英語で書いてあるテキストに、片仮名で発音を聞き取って書き込んでいた。安子は、小学校しか出ていない。だから、英語は習っていない。その安子が、ラジオ講座を聴いただけで、英語を話せるとは思えないのだが、まあ、このあたりはドラマとしての作り方ということになる。それよりも前に、実際の時代のことを考えてみると、おそらく戦前の小学校では、ローマ字も教えることはなかったと思う。たぶん、英語講座のテキストを見ても、どこをあつかっているかの判断もできなかったのかもしれない。

それから、一九二五年、大正から昭和になるころであるが、ラジオ放送が日本で始まったころ、ラジオの受信機は非常に高額であったはずである。それが、一〇年ほどで、岡山の小さな和菓子屋さんで買えるものだったのだろうか、ということは気になる。ただ、その後、日中戦争から太平洋戦争にかけて、日本の国民はラジオを通じて、いろんな情報を得ることになることも確かである。ラジオの普及がどのようなものであったかということ、それと、放送……どんな内容のものが放送されていたのか……は、メディア史的に興味のあるところである。おそらく、きちんとした研究はあるのだろうと思うが、探すのが面倒なので手を出さないでいる。

また、気になるのは、電話のこと。たちばなの店には電話がある。戦前の岡山の商店街の和菓子屋に電話があったのだろうか、と思わないではない。商売のために必要だったということなのかとも思う。しかし、一般に広く電話が各家庭に普及するのは、戦後になってから、昭和四〇年代以降のことになる。私が、大学生になって東京で下宿していたころ、昭和五〇年頃からのことになるが、電話を持っていなかった。その後、学生の間に、自分の電話を持つことはできた。今のように一人で一台のスマホを持っているという時代ではない。

今は電話があって当たり前という時代に生きているので、電話のない時代のドラマというのを作りにくくなっているのかもしれないと、思うところがある。雉真の家でおはぎが必要なら、電話で注文するのではなく、家の女中さんが商店街まで買いに行くというのが、普通だっただろうと思う。

いろいろと思うことはあるのだが、朝ドラとして非常によくできた作品であったことは確かである。人間とは、こういうときに、こんなふうに思うこともあるよなあ、と強く感じるところのある作品である。

2024年11月23日記