「ミグ25亡命事件の衝撃 〜米ソ冷戦 知られざる攻防〜」 ― 2024-11-26
2024年11月26日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 「ミグ25亡命事件の衝撃 〜米ソ冷戦 知られざる攻防〜」
再放送である。最初の放送は、二〇二二年の一一月。今から二年前のことになる。このときは、まだベレンコはアメリカで生きていた。死んだのは、二〇二三年。
この事件のことはかなりはっきりと憶えている。時期的には東京で学生だったころなので、テレビを持っていなかったときのことになる。九月におきた事件なので、その映像の記憶は、夏休みに家に帰っていたときに見たものかとも思う。
なぜミグ25の侵入を許してしまったのか、日本の防空体制はどうなっているのか、ということが、その当時は大きな論点として語られたものだった。
ミグ25の機体をどうするか、ソ連にかえすのか、アメリカにわたすのか、これも大きく議論されたことだったはずである。結果としては、アメリカに行ったことになる。
函館の自衛隊員の回想が印象的である。戦闘になったとき、部下を犬死にさせないために文書命令をもとめる……このうったえには切実なものがある。おそらく、これと同じような状況は、今は、南西諸島方面において、対中国との交戦が現実のものとなりえてもおかしくない(私はそう思っているのだが)なかで、改めてかえりみられるべきだろう。軍人は、国家のため、国民のため、そして、部隊の戦友のために戦うものである。その軍事力としての面だけを見るのではなく、どのような心性のもとに行動するものなのか、深い理解が必要だと思う。ただ、軍事だけを語る軍事専門家のことばだけを頼りにすることは、いいことではないと思う。
アメリカのCIAはろくでもないことをしてきた。これは周知のことである。だが、同じようなことは、ソ連についても、その後のロシアについても、また、中国についてもいえるだろう。中国の場合は、経済的に相手国の社会インフラをのっとるということになっているようだが。
冷戦時代の、東西陣営のインテリジェンスについて、冷静な分析が必要である。この時代は、ただ核軍拡だけの時代ではなかった。
ベレンコ中尉がアメリカにもとめた自由とはなんであったか。ソ連にいて、希求した自由とは違ったものだったのだろう。この意味では、スターリンの娘のことが思い出される。
この時代は、『収容所群島』の時代でもあった。読んだのは、高校生のときだったか、大学生になっていたか。一方で、共産主義のソ連を賛美する声も、日本のなかに根強くあった時代でもある。
ソ連のなかで(収容所に送られないように)社会に順応して生きるか、アメリカで(自己責任ということで)アメリカンドリームを追い求める生活をおくるのか、今から考えると、微妙な問題であったかもしれないと思うことになる。
2024年11月22日記
アナザーストーリーズ 「ミグ25亡命事件の衝撃 〜米ソ冷戦 知られざる攻防〜」
再放送である。最初の放送は、二〇二二年の一一月。今から二年前のことになる。このときは、まだベレンコはアメリカで生きていた。死んだのは、二〇二三年。
この事件のことはかなりはっきりと憶えている。時期的には東京で学生だったころなので、テレビを持っていなかったときのことになる。九月におきた事件なので、その映像の記憶は、夏休みに家に帰っていたときに見たものかとも思う。
なぜミグ25の侵入を許してしまったのか、日本の防空体制はどうなっているのか、ということが、その当時は大きな論点として語られたものだった。
ミグ25の機体をどうするか、ソ連にかえすのか、アメリカにわたすのか、これも大きく議論されたことだったはずである。結果としては、アメリカに行ったことになる。
函館の自衛隊員の回想が印象的である。戦闘になったとき、部下を犬死にさせないために文書命令をもとめる……このうったえには切実なものがある。おそらく、これと同じような状況は、今は、南西諸島方面において、対中国との交戦が現実のものとなりえてもおかしくない(私はそう思っているのだが)なかで、改めてかえりみられるべきだろう。軍人は、国家のため、国民のため、そして、部隊の戦友のために戦うものである。その軍事力としての面だけを見るのではなく、どのような心性のもとに行動するものなのか、深い理解が必要だと思う。ただ、軍事だけを語る軍事専門家のことばだけを頼りにすることは、いいことではないと思う。
アメリカのCIAはろくでもないことをしてきた。これは周知のことである。だが、同じようなことは、ソ連についても、その後のロシアについても、また、中国についてもいえるだろう。中国の場合は、経済的に相手国の社会インフラをのっとるということになっているようだが。
冷戦時代の、東西陣営のインテリジェンスについて、冷静な分析が必要である。この時代は、ただ核軍拡だけの時代ではなかった。
ベレンコ中尉がアメリカにもとめた自由とはなんであったか。ソ連にいて、希求した自由とは違ったものだったのだろう。この意味では、スターリンの娘のことが思い出される。
この時代は、『収容所群島』の時代でもあった。読んだのは、高校生のときだったか、大学生になっていたか。一方で、共産主義のソ連を賛美する声も、日本のなかに根強くあった時代でもある。
ソ連のなかで(収容所に送られないように)社会に順応して生きるか、アメリカで(自己責任ということで)アメリカンドリームを追い求める生活をおくるのか、今から考えると、微妙な問題であったかもしれないと思うことになる。
2024年11月22日記
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