「コンテナ全部開けちゃいました ~新潟港編~」2024-11-29

2024年11月29日 當山日出夫

コンテナ全部開けちゃいました 新潟港編

まずは、中国の寧波(う~ん、このことば、ATOKだと「ねいは」で出る。「にんぽう」では無理で、「ニンポー」からなら変換できる)からやってきたのは、キッチン家電。このなかには、我が家にありそうなものもある。小型のキッチン家電などは、日本で作るようなものではないということである。

上海行きのコンテナには、石油ストーブが入っていた。石油ストーブは、我が家でも今も現役で使っている。うちの近所のホームセンターでは、冬場になると石油ストーブを売っている。やはり便利である。特に、上にヤカンを置いておいて、いつでもお湯があるというのは、冬場ならではの便利さである。この石油ストーブが、戦後になってから普及したということは、知らなかった。日本の生活に密着した偉大な発明である。(是非とも、「プロジェクトX」で取りあげてほしい。あるいはもう放送したのだろうか。)

石油ストーブのメーカとして映っていたのは、コロナだった。ふと興味をもって、コロナの会社のHPを見てみたのだが、会社関連のニュースとして、この番組のことが掲載になっていた。

ドバイ行きには、お米があった。釜山経由で運ばれるということだったが、東アジアにおける物流拠点としての釜山の位置づけは、どうなっているのだろうか。新潟県産のコシヒカリであるが、これは、輸出専用で国内には流通しない。つまり、いくら日本国内で、米騒動と騒いでいても、こちらに回すことはできない、ということになる。まあ、日本国内向けに売るよりも、ドバイのお金持ち向けに売った方が、利益はあるのだろうと思う。また、その量もそう多いということではないのだろうと思う。リーファーコンテナを使っている。それだけ、輸送コストがかかり高くなっても、日本産のコシヒカリの需要があるということである。確かに、おにぎりの値段などは、日本のコンビニと比べると数倍の値段である。また、中東の人たちの食べるお米の量が、平均して日本人の倍であるというのは、ちょっと驚きであった。まあ、最近の日本ではあまりお米を食べなくなっているのだが。

ベトナムに紙を輸出しているとは知らなかった。また、ベトナムでは日めくりカレンダーが広く使われているという。昔、子どものころには、我が家にもあったが、いつのまにか身の周りで見かけなくなったものの一つである。今では、せいぜいテレビのドラマの中の小道具で見るぐらいになってしまっている。

コンテナには重量制限があるので、紙を大量に積み込んで運ぶことができない。確かに紙は思い。だから、本は重い。本で床が抜ける話しは、決して冗談ではないのである。

中国の青島からは、一輪車が運ばれてきている。これは、我が家にも、二つか三つある。敷地内の掃除をするのにかかせない。中国の青島で、世界シェアの三割を占めているというのも、おどろきである。番組の内容とは関係ないが、これを「ねこぐるま」ということを知った。私の記憶では、このことばは、横溝正史の『悪魔の手鞠歌』(だったと思う)で出てきたので、憶えたことばである。

コンテナの荷物を降ろすデバンニングもロボットの時代になってきている。作ったのは川崎重工のようである。おそらく将来的には、デバンニングだけではなく、箱ごとの輸送先の仕分けまで自動化するという方向だろうかと思う。それには、箱ごとに行き先を表記することの国際的な標準化が必要になるだろうが。

新潟港の雪対策も興味深い。特にコンテナの上に積もった雪をかきおろしてから港に搬入するというのは、そうでもしないとガントリークレーンの作業に支障が出るにちがいない。

2024年11月25日記

「投げ銭にハマった人」2024-11-29

2024年11月29日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 投げ銭にハマった人

去年の放送の再放送である。前後編を録画しておいてまとめて見た。

投げ銭システムが、実際にどれほどの経済規模になっているか、今ではさらに大きくなっているかもしれない。

このようなシステムを運営する企業のこと、ライバー(配信をする人、それで稼ぐ人)、それから、投げ銭をするユーザ、それぞれの視点から考える必要がある。まあ、依存症になってまともに社会生活をおくれなくなったり、借金で生活苦になったりしない範囲内であるならば、今の時代としては、個人の自由の範囲ということで許容できるものかとも思う。(逆に、このようなことがまったく規制されて出来なくなっているような社会体制を考えてみると、それも怖いという気がする。)

端的にいえば、社会における承認欲求をSNSのライブ配信と投げ銭システムが、満たしてくれている、ということになる。もし、これを問題視するなら、現代の社会における人間のあり方についての根本的な見直しがせまられる。

さらにいえば、この投げ銭にはまる人の感覚は、カルトにはまりこんでしまっている人の感覚に近いかとも感じる。(まあ、それが、その人の個人の裁量でなんとかなる範囲で、家族や社会に迷惑とならない程度のことなら、認められてもいいかなと思うところはある。)

推しとしてあがっていたのは、Vライバー、が多かった。さて、これは、本物だろうか、という気もする。以前に放送の「最深日本研究」で、日本においては、バーチャル空間でアバターとして、若い可愛い女の子が好まれる、それを使っているのは大人の男性である、このようなことが、人類学研究の視点から指摘されていた。実際に、そのスマホの画面の向こうにいる人間のリアルは、どうなっているのだろうか、それを知ったとき、推しへの気持ちは冷めてしまうかもしれない。これが分からないからこその推しなのかとも思う。

これからは、さらに、AIを使ったアバターなども登場するだろう。いや、もうすでにあるにちがいない。リアルな人間の世界から逃避して満足感を得られる、SNSのバーチャル空間を支配するのは、AIであるというSF的世界は、現実のものになってきていると考えるべきかとも思う。(この意味では、このごろの政治をめぐってのSNSでの、左派と右派の罵り合いの光景は、これからどうなるにせよ、早晩、古びたものになっていくかとも思う。)

法的な問題として気になるのは、投げ銭システムは、政治家に対してはどうあつかわれることになるのだろうか。今では、政治家(といっておくが)の一部は、ライバーであるといってもいい存在になっている。

投げ銭にはまっていく人の姿は、まさに依存症そのものといっていい。しかし、この番組に出てきていた事例ぐらいなら、そう目くじらたてるほどのことではないかもしれない。実際には、もっと悲惨な事例も多くあるのだろう。場合によっては、どこかで規制をかける必要があるかもしれない。

これは悪用しようと思えば、いくらでも悪いことにつかうことができるだろう。やはり、なにがしかの監視と規制は必要かとも思う。

番組に出てきていたなかで、日本語学として興味深いのは、「尊い」の事例。この「推し」に対して「尊い」と使うことは、今年になってから放送があった『舟を編む』のドラマのなかで出てきた。

どうでもいいことだが、画面の人形たちの背景に、壁に銭形平次の画像がかかっていたのは、面白い。

2024年11月28日記

フロンティア「気球で挑む 天空の果て」2024-11-29

2024年11月29日 當山日出夫

フロンティア 気球で挑む 天空の果て

番組を最後まで見ると、エンディングのところ名前のあがっていたのが、NASA、SpaceX、Virgin Galactic、という名前。こういうところの名前が出てくるということは、この気球で成層圏まで行くというプロジェクトは、本物で将来性も期待できるということなのかと思うが、どうなのだろうか。(日本のJAXAの名前はなかった。場合によると、防衛省もどこかで関係があるのかもしれないが、まあ、これは名前の出ないようにするにちがいない。)

会社は岩谷技研である。会社のHPを見ると、この気球に関連してかなりの特許を得ている。

番組のなかでは『宇宙からの帰還』(立花隆)の名前は出てきていなかったが、会社のHPには出てきている。この本は出たときに買って読んだ。立花隆の本は、たいていは読んできている。宇宙から地球を見るという経験が、普通の人のとっても手のとどくものになりつつある、これはあるいは、これからの人類のものの考え方を変えるきっかけになるかもしれない。これは、期待をいだきすぎだろうか。

それにしてもヘリウムガスの気球で成層圏まで行ける。高さ二〇キロ以上まで昇れるというのも、おどろきである。このことについて、あまりニュースなどで見た記憶がないのだが、たまたま見損ねたということなのだろうか。

これが、三菱重工のような旧来型の大企業ではなく、若い人のベンチャー企業でやっているということも、これからの時代の流れなのだろう。

昇ることは出来ても、目的のところに降りるのが難しい。ここの課題をクリアできるなら、気球、そして、その関連の技術は、様々な可能性を秘めたビジネスとして成長するかと思う。

2024年11月26日記