「出稼ぎ大国 ネパールの現実」2024-11-30

2024年11月30日 當山日出夫

Asia Insight 出稼ぎ大国 ネパールの現実

先日の放送では、ネパールからロシアの戦場に出稼ぎに行っている人のことであった。これは、昨年の放送の再放送。

去年だったか、東京の大久保界隈のことをあつかった番組で、ここにネパールからの人が多くいることを言っていて、そういうこともあるのかというぐらいの気で見ていた。大久保ではネパール語の新聞が発行されている。ネパールから日本に働きに来ている人たちのこともあった。その家庭では、子どもにスマホ(インターネット)を使って英語の勉強をさせていた。日本で日本語を覚えても将来性がないと判断してのことのようだった。また、ニュースで、日本で自動車の二種免許がネパール語で受験できるようになったと報じられていたのを憶えている。

中東への出稼ぎの希望者への説明会で、労働時間が一二時間とか言っていたが、実際はもっと過酷なのだろう。

今、どれぐらいの人がネパールから日本にきて働いているのだろうか。その暮らしはどんなふうなのであろうか。これは、クルド人のように新聞の話題……これは主に産経ぐらいしかあつかわないが……になることはないが、実態はどうなのだろうかと気になる。

少なくとも、日本で働いているネパールの人びとが、カタールのように、水も十分に与えられない労働環境で海水を飲むしかしかなく、腎臓を悪くして、帰国してから、人工透析にたよっている……このようなことはないだろうと思うのだが、はたしてどうなのだろうか。日本で働く労働者として、ネパールからの出稼ぎにやってくる人たちは増えるのかと思うが、まともな労働環境を提供できる国であってほしいとは、思うところである。

どうでもいいことかもしれないが、ちょっと気になったこととして……番組のはじめの方で、家族で食事を作って食べる場面があった。そこで、娘が、私の目には着飾ってアクセサリをつけているように見えた。普段からの姿ということなのだろうか、あるいは、取材のカメラが入っているから、身なりを改めたということなのだろうか。(ドキュメンタリー番組としては、普段の生活の姿を映したいところだろう。しかし、テレビの取材のカメラの前で、きれいな恰好で映りたいと思うのも、また人間の感情であると思う。)

ネパールの空港が映っていたが、行き先はみなドバイだった。

2024年11月28日記

「夢の果てまでも 〜アフリカ 苦闘する中国の若者たち〜」2024-11-30

2024年11月30日 當山日出夫

BSスペシャル 夢の果てまでも 〜アフリカ 苦闘する中国の若者たち〜

中国人のたくましさ、ということを読みとることもできる。その一方で、現在の中国経済の行き詰まりを感じとることもできる。また、アフリカの社会や経済の一端を見ることもできる。

中国が、外交的にも、経済的にも、多方面でアフリカ諸国と関係を深めていることは、言われていることである。その中国のアフリカへの進出(といっていいだろうか)の最前線にいる、中国出身の若者たちである。中国には未来を見いだせないでいる。経済は低迷し、これからの発展は望めない。親の世代までは、中国の経済発展ととともに、生活も豊かになってきた。しかし、今の中国の若者の失業率は高いままである。新天地をもとめてアフリカにやってきていることになる。

中国メーカのブランドのスピーカを、ナイジェリアで現地生産している。たしかに、人件費が安い方がいいから、スピーカの製造がナイジェリア国内である方が有利にちがいない。中国よりも格段に安い。(番組で言っていなかったが、この工場は組み立てだけなのだろうか。部品の製造などは、どうなっているのだろうか。)それから、工場では、スピーカが入った段ボール箱を、放り投げて運んでいたが、これで大丈夫なのだろうか。これは、日本の工場だと想像できない光景と思える。

マーケットで売られている商品の多くが、中国製である。世界の工場としての中国の地位は、ここでも見ることができる。

そのマーケットであるが、古風な言い方をすれば、昔の日本の闇市を大きくしたような感じといってもいいかなと思う。小さな個人商店がたちならんでいる。人が行き交う道は、舗装されていない。また、そのマーケットを取り仕切るマフィア(といっていいのだろうか)のような、存在もある。ショバ代を払わないと、外国人はビジネスができない。場合によっては、警察もグルである。

このようなマーケットで、近代的なビジネスはなかなか難しいのではないかと感じるところもあるのだが、しかし、ここは現地の流儀に合わせていくしかない。(おそらく、以前に日本の企業が海外に進出し始めたころは、こんな感じだったのかもしれないと思うが、どうだったのだろうか。)

ナイジェリアは経済発展をとげているアフリカの国であるが、国内の貧富の差は大きく、人びとの暮らしも豊かとはいえないようだ。だからこそ、中国が政府としても手をのばし、また、若い人たちも夢をおってやってきているということなのだろう。ちょっと映っていた、現地の人びとの住まいは、スラムといってはいけないのかもしれないが、ゴミが地面に散乱した粗末な住居群という印象であった。だが、中国製(?)のスピーカを買うような人は、少なくとも電気の通じているまともな家に住んでいるのだろう。どのような人たちが、このスピーカを買っているのか、どのように使われているのか、興味がある。

番組の範囲では、成功したという中国人を取材している。挫折し希望を失ったという例は出てきていなかった。一方、現地で富をきずいたということも出てきていない。まだ、中国人がナイジェリアに本格的に来るようになって、まだあまり時間がたっていないから、ということかもしれないが。

中国資本がナイジェリアの現地の人を労働力として搾取している、ということでは描いていなかった。せいぜい、家政婦として使っている。工場労働者として使っている、ということである。(実際には、もっといろんな事例があることだろうと思うのだけれど。)

これをナイジェリアから見るとどうなるのだろうか。欧米や日本などとよりも、中国と関係を深めていった方がいいという、国家レベルでの判断があってのことにはちがいない。これを現地の人びとはどう感じているのだろうか。番組のなかで、今のナイジェリアの政情についてはまったく触れていなかったことも、ちょっと気になる。

このような形で、中国人と資本、そして、人的ネットワークがアフリカをはじめ、いわゆるグローバルサウスの国々に、進出していることは確かである。そして、本国は、経済の低迷に苦しんでいる(らしい)。このさき、いったいどうなるだろうか。

2024年11月29日記

『坂の上の雲』「(11)日英同盟(前編)」2024-11-30

2024年11月30日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(11)日英同盟(前編)」

録画してあったのをようやく見たので、見ながら思ったことを書いてみる。

小村寿太郎は言っていた……帝国主義に道理などありゃせんよ、と。これは、そのとおりだと思う。だが、これは、日本がたまたま歴史の流れのなかで、帝国主義の欧米諸国の植民地にならずに済んだこと、日露戦争に勝ってその仲間入りをしたこと、その結果は太平洋戦争にまでおよぶのだが、その歴史を考えれば、ということになる。これが、もし、明治維新がなくて、イギリスの植民地になるようなことだったら、考え方も大きくことなっているだろう。今の日本の存在そのものがありえないし、世界の歴史も大きく変わっていたかもしれない。

帝国主義というのは歴史の大きな流れであって、個人の力ではどうしようもないものである。しかし、そのなかにあって、国家の命運をになって舵取りをすることは、不可能なことではない。決定論的な歴史観でもないし、英雄的な歴史観でもない、このあたりのバランスのなかで、国民国家の物語をどう構築していくか、また、それをどう批判的に見るか、ということが課題になるかと思う。

広瀬武夫の英国で海軍の食事会のときに言っていたこと。日本の海軍が軍艦をイギリスから購入するには、国民の努力があってのことである……この当時、日本の産業はどんなふうだったのだろうか。生糸以外に、どれぐらい輸出するものがあったのか、その額はどれぐらいか、少しぐらい説明があってもよかったかもしれない。まあ、生糸を輸出品とすることは、その背景には、『女工哀史』のようなこともあってのことであることは、このドラマを見る人は分かっていること、ということだったかとも思うが。

北清事変のことが出てきていた。ここはもうすこし時間をかけて描いてもよかったところかとも思うが、そうなると、さらにこのドラマは、スケールの大きなものになってくる。ここは省略したということになる。柴五郎は、登場していてもよかったのではないか。この事件について、日本軍は国際法を遵守する優等生であろうとした、ということなのだが、しかし、これも一方から見れば、小村寿太郎の言っていたとおり、帝国主義の侵略に対する民衆の抵抗であることは、確かであろう。

秋山真之は旅順を見ている。諜報活動として、ということであった。この時代、軍と外務省によるインテリジェンスはいったいどんなものだったのだろうか。もし、日露戦争ということを想定してのことなら、シベリア鉄道とその輸送力、また、ロシア国内の軍備や生産力、ということが総合的に考えられなければならないと思う。まあ、このように考えるのは、後の知識……第一次世界大戦から太平洋戦争……を、経験して歴史を知っているから言える、ということではあるのだが。

広瀬武夫とアリアズナの湖畔のシーンがとてもいい。

日本とロシアとの関係は、ソ連であった時代をふくめて、かならずしも順調であったとはいえない。ロシアの帝国主義的侵略政策(といっておくが)に対抗してきたのが、日本の江戸時代からの歴史ということもできよう。しかし、ロシアの文化、文学や音楽などは、日本に大きな影響を与えてきたこともたしかである。近年では、北極海をめぐる覇権争いということになってきているが、対ロシア政策ということについては、日本のかかえる問題は、大きくなってきている。

正岡子規の愚陀仏庵の場面、鶏頭の赤、それから、梅の花の赤が、非常に印象的に使われていた。

ロシアの旅順艦隊の威力が語られていた。この時代、軍艦は石炭で動いていた。では、その石炭は、どうやって調達していたのか。これも、今になってからの考えということになるが、日露戦争ということを考えるには、重要な視点の一つであるにちがいない。(後の太平洋戦争のとき、日本海軍は重油の欠乏のために思うように動くこともできなかったこと。そもそも太平洋戦争の原因の一つが、石油資源の確保であったことは、知られていることだろう。)

2024年11月30日記