「“百人一首” (4)時空と国境を超えて」2024-12-02

2024年12月1日 當山日出夫

100分de名著 “百人一首” (4)時空と国境を超えて

日本の古典文学の受容の歴史の流れのなかにあって、『百人一首』が今どのようであるか、また、これからどうなっていくだろうか、という観点からは面白いものであった。

学問的には、そもそも古文の現代語訳ということの歴史から、たどる必要のあることである。本居宣長などの国学者の仕事、それから、近代になってからの国文学という学問の成立と、古典文学作品の一般への教育と普及、これらの流れのなかの一つとして、『百人一首』をとらえなければならない。この意味では、超訳といわる大胆な訳についても、日本文学研究の研究テーマである。『百人一首』以外では、近年話題の作品としては、『源氏物語』がある。これは、たくさんの現代語訳があるので、これについて研究することになる。

この『百人一首』のことで重要だと思うことは、歌を声に出して読む、という行為についてである。今、日本の学校の古典教育では、作品の音読ということを、あまり重視しない。(テキストの音読ということは、英語教育でも意味のあることだと思っているが、このごろの会話重視の英語教育ではどうなのだろうかとも思う。)

古めかしい言い方かもしれないが、ことばのリズムや感触といったものは、音読して分かる、という側面がある。一方、文字として表記から感じとる部分もある。総合して、文学教育、言語教育であると、私などは思う。こういうことは、このごろの新しい国語教育では、あまりかえりみられないことになっている。近年、日本語学という研究が、国語教育と距離をおくようになってきたということもある。(そのかわり、日本語を知らない外国人への日本語教育が大きくあつかわれるようになってきている。)

ところで、『百人一首』は、特にその成立論をめぐっては、近年になってから格段に研究のすすんだ作品である。しかし、この「100分de名著」では、成立論については触れることがなかった。強いてここの点について言及しなかったということは、これはこれで一つの見識であったとは思う。

2024年11月30日記

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