「1000番地 土地と人間に関するリポート」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

ETV特集 1000番地 土地と人間に関するリポート

この土地の居酒屋のくっちゃんの日々については、「ドキュメント72時間」であつかってもいいような事例かもしれない。その場合には、この居酒屋にあつまる、札幌の人びとの生活を描くことになるだろう。

だが、この番組では、居酒屋とそこに集まる人びとだけではなく、その土地の再開発を考える不動産業者、それから、もともと、その1000番地を開拓した屯田兵のこと、さまざまな視点から、考えるものだった。

さかのぼれば幕末の戊辰戦争にまで話しはおよぶ。会津藩の藩士は、下北半島の斗南藩に移される。そこは過酷な土地であった。現在では、核燃料の中間貯蔵施設がある。日本の社会から見捨てられた土地……こういってもいいかもしれない。(幕末の会津藩士というと、私の場合は、何よりも『ある明治人の記録』を思い出す。それから、大河ドラマ『八重の桜』である。)

北海道の屯田兵として会津藩士の渡辺勝太郎がやってくる。原生林を開拓したことになる。屯田兵というのは、昔、学校の歴史の教科書に出てきたので憶えて知っている程度であるが。

その土地の権利は転変して、戦後になって、まわりの土地は都市のビル街になり、その土地は駐車場となったが、居酒屋などのはいる棟だけが残された。なんとも数奇な運命の土地であるが、時代の流れとして、都市再開発のなかでタワーマンションの建設になるのは、いたしかたないだろう。

渡辺勝太郎の玄孫のことまで追いかけているのは、あるいは、これが分かったということは、驚きでもある。台湾にいる。(その台湾においても、昔から住んでいる住人と新しく移ってきた人たちとの間で、いろいろとあるようだ。権利関係が複雑すぎて誰の所有かわからないので取りのこされている、昔ながらの民家というのは、印象的である。)

その再開発をになうことになる東京の企業の担当者が、くっちゃんに足をはこんでいたことは、興味深い。特に演出したということでないようである。このあたりは、この番組が、かなり幅広く取材をすすめ、時間をかけていることのあらわれといっていいだろうか。

不動産業者も、悪徳業者というわけではない。その仕事に意味を見出し、土地を活用することの価値を十分にわかっている。(おそらく、札幌の都市としての発展には、このような不動産業者の存在は不可欠であったはずである。)

そこに住んで仕事をしていれば、そこが故郷になる。これは人間としての普通の感情だろう。しかし、時代の流れのなかで、その故郷が昔のままであり続けることはできない。会津もそうであるし、下北半島もそうだろう。かつて屯田兵のいた札幌の土地においても、人びとの生活は移り変わり世相は変わる。

解体された居酒屋などの建物が、産業廃棄物として最終的にどうなるのか、というところまで見届けているのは、秀逸といっていいだろうか。普通の番組なら、ここまで追いかけることはしない。重機にによる解体の場面で終わるところである。(木材は、細かく砕かれて畜産に使われるらしい。)

時代の流れの果ての姿として、再開発が、建築資材の高騰で頓挫して、計画の見直しをせまられているというのは、なんとも割り切れない気持ちになるが、これも将来はどうなるのだろうか。

居酒屋は、移転して、また新しく営業を始めている。人間が生活していくというのは、こういうことなのであろう。

2024年11月27日記

「食卓のかげの星条旗 米と小麦の戦後史」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

時をかけるテレビ 食卓のかげの星条旗 米と小麦の戦後史

私の小学校のときの学校給食はパンだった。それから脱脂粉乳である。昭和三〇年代のことになる。無論、子どものことだし、そのようなメニューになっていることに、どんな政治的な意味があるかなどは、まったく考えることはなかった。また、その後、大きくなってからも、食糧問題はニュースで見ることはあっても、それがどのような国際情勢、国内事情によるものなのか、ほとんど考えてみることもなかった。

私の世代だと、お米の通帳、というものを記憶している。いつからそれがいらなくなったか、(調べれば分かることなのだが)、特にそのことが印象に残っているということはない。

米の価格、減反政策をめぐっては、大きなニュースになったことは記憶にある。NHKの番組で、米農家の人と、都市部の消費者である人、それぞれが登場して、米の生産と価格をめぐって、議論をするというのがあったのを憶えている。米価、減反政策というのが、毎年のニュースであった時代もある。

今では、食糧安全保障という観点から議論されるようになってきた。番組では言っていなかったが、これも経営を大規模化して、機械化することでなんとかしようということなのだろうが、しかし、それは、農業のための機械を動かす燃料に依存することになり、エネルギー政策ととも考えなければならないことにもなる。もはや日本では、石油が入ってこなければ、米は作れないのである。

若いころ、民俗学に興味があったこともあり、日本人……日本列島に住んできた古来よりの人びとというぐらいの意味で使っておくが……が、何をどのようにして食べてきたのか、そのなかで、米という作物は、どういう意味がある食べ物であり、栽培植物であるのか、ということは、気になっている。

昔、若いころに読んだ本で次のようなことが書いてあったのを憶えている。世界で家畜用に使用されるトウモロコシの一部(一~二割ぐらいだったろうか)を回すだけで、世界の飢えを無くすことができる。ただ、これは、カロリー計算の上のことではあるが。今でも、世界には、貧困や飢えに苦しんでいる人たちがいる。戦争の影響もあるし、気候変動のこともある。日本国内にも、食糧の配給を必要とする生活をおくっている人もいる。

一方で、高級なコシヒカリを中東に輸出もしている。購入するのは、お金持ちの人たちである。(「コンテナ全部開けちゃいました 新潟港編」)。

最近のニュースでは、日本人のエンゲル係数が高くなってきたらしい。(エンゲル係数などということばは、昔、中学校のときに習って以来である。)

たしかに、今の我が身をふりかえってみて、お米の御飯を食べることは減った。朝ご飯は基本的にパンであるし、昼と夜が、ラーメンだったりパスタだったりして、お米の御飯を食べない日があったりする。

地方の農山村で、棚田のある風景は美しいが、それを守ることは、文化的な意味、あるいは、観光資源としての意味、これぐらいしかないのかもしれない。だから、無くしてしまえばいいとは思わないけれど。

この番組をみて、感じることはいろいろあるが、正直言って、なんだかなあ~、ということになる。少なくとも、富裕層が贅沢な食事をすることを特にとがめようとは思わないけれど、戦争や貧困で食べるものに困っている人たちを、もうちょっとどうにかできないものか、というのがどうしても感じることである。

そして、日本の食糧政策は、これから人口減少は必然であるという時代をむかえて、単なる少子化対策にとどまらない、国際情勢、環境対策を視野にいれた、総合的な観点から考えなければならない。月並みな言い方しかできないが、こういうことになるのだろう。

2024年12月1日記

ウチのどうぶつえん「たくさんいるから」2024-12-03

2024年12月3日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん たくさんいるから

カンガルーがたくさんいる九州の動物園。フグがたくさんいる下関の水族館。それから、ウォンバットに人がたくさんおしよせる大阪の池田の動物園。

カンガルーは、たくさん飼育するからこそ見えてくるものがある、これはたしかなことだろう。この動物園では、時間を決めてであるが、小さな子供たちに、カンガルーに直接触れる機会を作っている。このようなとりくみは、各地の動物園や水族館などで行っていると思うが、カンガルーに触れるというのは、貴重である。

フグのなかでも、アマミホシゾラフグは面白い。なんで、あんな奇妙な形の巣を作るのだろうか。とても労力がかかっている。大きくて立派な巣を作れる雄のところに雌が魅力を感じるということなのかもしれない。これが、水族館での飼育が成功して、水族館で巣を作る様子が見られたら、とても面白いと思う。

ウォンバットという動物のことは知ってはいたが、日本には、二箇所しか飼育しているところがない。その一つが、池田の動物園。そのウォンバットをめがけて、たくさんの人がやってくる。これは、街をあげての大イベントということになる。いわゆる町おこしの企画としては、秀逸といっていいだろうか。ウォンバットは、一度見にいってみたい気がする。

その他、たくさんいるといえば……北海道のクマ牧場もそうかもしれないし、クラゲがたくさんいる水族館もあったかと思う。

2024年12月2日記