『坂の上の雲』「(12)日英同盟(後編)」2024-12-06

2024年12月6日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(12)日英同盟(後編)」

ロシアと日本は戦争しない。なぜならば朕がそれを欲しないからである。このニコライ二世の科白に、今のロシアのプーチン大統領の姿をイメージしたという視聴者は多いのではないだろうか。現実には、プーチンはウクライナとの戦争を欲したことになるのだが、その思考法は類似したものを感じる。大国であるロシアに、戦争するかどうか、終わらせるかどうか、その判断が委ねられているのである、と。

だが、歴史的には、ロシアは日露戦争をどう考えていたのだろうか。東アジアへの侵略、権益の拡張ということは、一九世紀の帝国主義の時代にあっては、これこそが国家の正義であった。それが、二一世紀の現代では、北極海の覇権というところにまで拡大している。

このドラマは、日露戦争をあくまでも日本の立場から描いている。これは当然のことである。だが、想像力として、ロシアにとってはどのような意味があったのか。また、中国(清)にとっては、李氏朝鮮にとっては、どうだったのだろうか。

日露戦争というと思い出すのが、映画『東京裁判』(小林正樹監督)である。見たのは若いとき、東京に住んでいるときだった。東京裁判で、ソ連の主張は、日露戦争は日本の侵略戦争であった、というところから説きおこすものであった。それほどまでに、ソ連は、日露戦争のことを、大東亜戦争につらなる歴史のはじまりとしてとらえていたということになる。たしかに、日本の朝鮮半島や満州への進出、侵略は、そう考えることもできる。

だが、一方で、当時の日本にとっては、東アジアにおける権益(それは帝国主義的なものであるが)を確保するための、防衛戦争であった、こう主張することもできよう。

いずれにせよ、清や朝鮮にとっては、迷惑な話であるにはちがいない。

広瀬武夫とロシア海軍士官のボリスとの友情が描かれていたのだが、これは、士官どうしという関係で理解することになる。その他多くの、一般の兵卒にとって(日本兵、ロシア兵ともにであるが)、日露戦争とはどんな体験だったのだろうか。少なくとも日本という国民国家にとっては、まさに国民国家としての日本を強く自覚することになる体験であったことは確かだろう。このあたりのことは、今日の価値観で評価するというよりも、その当時の人びとの生活感覚としてどうであったか、ということを考えてみることになる。

夏目漱石の『三四郞』のなかで、広田先生は、日露戦争後の日本について、亡びるね、と言っていた。これは、かなり特殊な事例として、漱石が描いたものだろう。逆にいえば、その当時の多くの国民にとって、一等国になった誇りというものは、あったにちがいない。だが、これも、『三四郞』の読者(この小説は「朝日新聞」に連載された)にとってのことで、列車のなかでのりあわせた女性(名古屋で一緒の旅館に泊まることになる)や、爺さんなどにとって、庶民的な生活感覚としては、また異なるものがあったことにもなろう。

滝廉太郎の『荒城の月』が演奏された。アリアズナのピアノである。作詞は土井晩翠であるが、この詩のモデルの城はどこであるかは、諸説あったかと記憶する。

広瀬武夫はアリアズナと別れる。アリアズナの灰色の瞳が魅力的である。このドラマではあまり女性が登場しないが、その中でとりわけ魅力的な女生として描かれている。原作の『坂の上の雲』には、アリアズナは登場しない。そもそも広瀬武夫のことは、出てこなかったかと記憶する。どうだったろうか。

伊藤博文を、平和主義者として描いていた。その最期がどうであったかということを踏まえて、実は、侵略主義的なことを考える人物ではなかった、ということになるのかもしれない。

伊藤博文がニコライ二世と英語で話をしていたが、この当時のロシア、あるいは、外交の儀礼としては、フランス語であった方が普通だったかもしれない。

2024年12月5日記

「こどもホスピス いのち輝く第2のおうち」2024-12-06

2024年12月6日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ 「こどもホスピス いのち輝く第2のおうち」

終わったあとのトークのなかで、森達也が、ホスピスをあつかった番組というと、どうしてもステレオタイプで見てしまうことになる……という意味のことを言っていたが、この番組は「こどもホスピス」というタイトルから受けるステレオタイプの見方を、超えている。このようなテーマの場合、どうしても、難病におかされたかわいそうな子どもという視点で見てしまいがちなのであるが、こどもホスピスは、そうではない、おそらく真の意味でのQOLを考えることに、その存在意義がある。

見ながら思ったこととしては……このように子どもに特化したホスピス……患者である子どもだけではなく、家族やまわりの人びと全体を支援する、QOLを考える……は、確かに必要であり、今後、もっと増えていくべきである。このような考え方、病気の子どもだけでなく、その家族を含めた全体的なサポートということが、おそらく今の日本の医療には、欠けている部分かと感じる。

狭い意味での医療……医学というサイエンスでありテクノロジー、と言っておくが……ではとらえきれない、それより広い範囲での人間の尊厳という側面に光をあてて、人間の生き方として全体を考える、このことの重要性を強く感じる。(こういうことがらをふくめて、医学というべきなのかとも思う。)

この意味では、別に対象者が子どもに限らない。成人であっても、(私のように)もう年老いた人間であっても、この視点は重要である。まあ、年齢によって、あるいは、家族の構成などによって(その病気になっているのが、子どもであるか、配偶者であるか、親であるか、それとも自分自身であるか)、その対応は個別に考えられなければならないという側面もあるだろう。

TURUMIこどもホスピスは、寄付によって設立され運営されている。WEBで見てみると、大きく関与しているのは、ユニクロと日本財団、ということになるようだ。その他に、個人からの支援もある。別にこのようなことは、特に番組内で言うほどのことではなかったかと思うが。

税金で運営すると、子どものためのゲーム機などを購入するときに問題が発生するかも、ということ、番組のディレクターが言っていた。こんなことは、ソニーとか任天堂が、実物を寄付すればいいだけのことだと思うのだが、それではうまくいかないということがあるのだろうか。

登場していた家族は、子どもが亡くなるまでの映像記録をとってはあるのだが、まだ見ることができないでいる。しかし、このような趣旨の番組のためであるなら、ということで提供してくれたとあった。このことは胸にせまるものがある。

ちょっと批判的な目で見てみると、ということになるが、登場していた家族は、映像で見るかぎりであるが、その生活はかなり裕福であると推測される。おそらく難病におかされる子供たちは、貧富のちがいなく存在するはずである。こどもホスピスという以前に、経済的援助が必要な家庭、あるいは、子どもたちも、多くいることだろう。

それから気になったことがある。番組のなかで触れていなかったことである。作文を発表していた小学生。自分が小児がんであることで、学校の友達が特別視することについて、そのようにしないで普通にあつかってほしいと語っていた。これは、そのとおりであろう。ただ、これが、大坂の豊中の事例であった。豊中市は、おそらく全国のなかで、インクルーシブ教育を推進している自治体である。障害がある子どもを、普通の学校で同じように受け入れる方針をとっている。その豊中においても、いや、だからこそというべきことかもしれないが、このように感じる子どもがいることは、印象に残ることであった。

やはり思うこととしては、本当の意味でのQOLを考えることが、医療や福祉、社会全体としてのあるべき姿である、ということである。子どもに限らずであるが、笑顔で生きられること、これを考えなければならない。

2024年12月5日記

「有吉佐和子スペシャル (1)埋もれた「女たちの人生」を掘り起こす」2024-12-06

2024年12月6日 當山日出夫

100分de名著 有吉佐和子スペシャル (1)埋もれた「女たちの人生」を掘り起こす

有吉佐和子の作品のいくつかは、高校生から大学生ぐらいのときに読んだ。『華岡青洲の妻』も読んだ作品である。

番組のなかで紹介されていた、留学から帰ってきた夫の清州をむかえたときの、嫁と姑の様子は、印象に残る場面である。朗読では出ていなかったが、その後の描写を憶えている。姑に先をこされた、妻の加恵が、一人残され自分の用意してきたたらいのお湯を捨てて、そこから湯気がたちのぼるシーンである。(まったく記憶で書いているのであるけれど。)

ちょっと気になったことがある。番組では、この作品を家をあつかった作品、そのなかにおける女性の存在を描いた作品と言っていた。ことばとしては使っていなかったが、いわゆる家父長制的封建的前近代的な家の悪習として描いたということになるだろうか。

私は、この解釈はありうるもので、特に否定しようとは思わない。だが、その一方で、家というものが、そのようなものとして意識されるようになったのは、歴史的経緯があってのことだとは思っている。おそらく江戸時代までの、日本の人びとの暮らしは、もっと多様であったにちがいない。地域差、身分差、階層差、職業の違い(武士とか農民とか、また農民のなかでの様々な違い)、これらを総合して見なければならないだろう。

独断的に言ってみればということであるが、家というのが強く意識されるようになったのは、明治になってから旧民法の規定があり、その余韻が強くのこっていた、昭和の戦後のしばらくの時代……これは、まさに有吉佐和子の活躍した時代であるが……戦後の高度経済成長に合わせて、あるべき家庭の姿としてイメージされたのが、旧来からの家であり、それが、日本の古来よりの姿であると考えられるようになった、いわばかなり社会構築的なものである、今の私はこのように考えている。日本に住んでいた多くの人びとの生活の実態は、歴史学(歴史人口学や民俗学)において、あらためて考えられるべきこととであると思う。

人びとの生活の実態(それは多様であったはずだが)、イメージとしての家や社会のあるべき姿、法的な規範(特に民法)、どこに視点をおくかによって、見えるものや問題意識は異なってくるはずである。

『華岡青洲の妻』は、まさに戦後の時期において、日本の人びとがいだいていた、古来からの日本の家というもののイメージを文学として表現したもの、それを時代小説に投影したもの、そう考えていいだろう。

有吉佐和子を今日のフェミニズムの先駆的な存在として読むことも可能であろうが、この番組では、かならずしもその立場をとっていない。フェミニズムも、いろんな考え方のなかの一つである、という立場であった。

それから、どうでもいいことだが、『華岡青洲の妻』が刊行された当時の新聞の広告が映っていたが、値段が三五〇円だった。いまでは、文庫本でもそんな値段では買えない。

2024年12月3日記