ザ・バックヤード「足立美術館」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ザ・バックヤード 足立美術館

足立美術館は名前は知っているが、行ったことはない。我が家からはちょっと遠い。

この美術館のことは、時々、テレビ番組で紹介される。特に、その庭園のことについてである。(美術館なのだから、まずはそのコレクションの紹介がメインであるべきだと思うのだけれども。)

これまでいくつかの番組であつかわれてきたこととちょっと違うかな(この「ザ・バックハード」の特色を出したのかな)と感じるところがいくつかあった。

庭園の掃除は、庭師だけの仕事ではなく、学芸員や職員が総出で行っていることだということ。窓拭きもやっている。

また、植え替え用の松の木や、苔が、まさに「バックヤード」において準備されているということは、興味深かった。庭の苔などは、その上に落葉がつもったりすると、駄目になってしまう。これは、我が家の周囲を観察しているとよく分かる。番組では言っていなかったが、この予備の苔の手入れだけでも、かなり手間がかかっていることと思う。

松の木の選定を手作業で行うのは、特に特殊なことではない。基本的に松の木の手入れは、植木屋さんが手で行う。我が家にも二本の松の木があるが、その剪定だけで、職人さんが一日がかりで手作業で行っているのを、毎年見ている。(それだけ、維持コストがかかることになるのだが、やむをえない。)

2024年12月5日記

「エド・ゲイン事件 サイコと呼ばれた男」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 本当の恐怖はどこにある?エド・ゲイン事件 サイコと呼ばれた男

再放送である。二〇二四年の四月。これは見逃していた。先月の放送を録画しておいて、ようやく見た。

エド・ゲイン事件の真相は、結局は分からない……私は、これでいいと思う。

今でも、日本においてもいろんな事件が起こる。凶悪な事件、理不尽な事件、大量に被害者が出るような事件、そのとき、マスコミがそうなのだが、犯行理由、犯人の心の闇とか、さらには、犯人の生いたちや家族などにも話しが及ぶことが多い。それで、なにがしか分かることはあるかもしれない。

しかし、人間の心のなかの奥底、精神の複雑な部分、すべて理解できるというのが、そもそもおかしいのだと、私は思う。人間なんてわからない、いったいどんなことをするか、わからないこそ人間である。だからといって、異常犯罪、猟奇犯罪を擁護する気はないけれども、むしろ、人間の精神は科学的に理解できる、なにか異常ががあるからこそ犯罪をおこすのだ、という人間観の方が、より問題であるかと思う。(おそらく、精神医学や心理学の専門家は、このような人間観について懐疑的なのだろうと思うが、どうだろうか。)

また、エド・ゲイン事件については、これを、その後の人びとがどう消費していくのか、ということも興味深い。映画『サイコ』などのような形、表現を与えられて、人間はようやく落ち着きを取り戻すことができるといっていいだろう。

エド・ゲイン事件とは関係ないが、『冷血』(カポーティ)とか、これとあえて同じタイトルを選んだ『冷血』(高村薫)とかも、結局は理解できない人間の心の奥底にあるもの、ということを描いているのだと、私は理解している。

2024年12月2日記

「20年目の花火」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ 「20年目の花火」

事故や事件の「加害者」の側を取材するということは、あまりないことである。多くの場合は、「被害者」の側にたって、こんな理不尽なめにあった可哀想なひと、という視点で作ることが多い。

南国花火の社長の心中は、いったいどうだったのだろうか。二〇年の間、何を考えてきたのだろうか。同じ会社の名前を存続させて、花火にかかわる仕事をつづけてきたといのは、そこに深く考えることがあってのことにはちがいない。

いろいろと思うことがあるが、それが、見るものの想像力に任されているというところが、ある意味でもどかしくもあり、また、この番組の奥行きの深さにもつながる。

事件とか事故とかがあった場合、よく犯人の心の闇、というようなことを言う。はたして、そう簡単に人間は心のうちを理解できるものなのだろうか。それは、自分自身でもよく分かっていないにちがいない。自分の心のうちは自分が一番よく分かっているというのは、傲慢である。逆に、専門家……精神科医であったり、臨床心理士であったり……なら、それが分かるというものでもないだろう。なにがしかの説明はできるかもしれないが、これもまた、人間というものを分かっていないと言わざるをえない。かといって、専門知が不要ということではない。せいぜいできることは、分からないことについて、社会的に合意できる形を与えること、といっていいかと思っている。

それにしても、近年、花火というのは、手軽に見るものではなくなってきた。花火大会は、有料の観覧席のチケットを購入するお客さんだけのもの、という流れになってきている。いろんなコストなどのことを考えると、これはやむをえないのかもしれないが。

2024年12月6日記