「エド・ゲイン事件 サイコと呼ばれた男」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 本当の恐怖はどこにある?エド・ゲイン事件 サイコと呼ばれた男

再放送である。二〇二四年の四月。これは見逃していた。先月の放送を録画しておいて、ようやく見た。

エド・ゲイン事件の真相は、結局は分からない……私は、これでいいと思う。

今でも、日本においてもいろんな事件が起こる。凶悪な事件、理不尽な事件、大量に被害者が出るような事件、そのとき、マスコミがそうなのだが、犯行理由、犯人の心の闇とか、さらには、犯人の生いたちや家族などにも話しが及ぶことが多い。それで、なにがしか分かることはあるかもしれない。

しかし、人間の心のなかの奥底、精神の複雑な部分、すべて理解できるというのが、そもそもおかしいのだと、私は思う。人間なんてわからない、いったいどんなことをするか、わからないこそ人間である。だからといって、異常犯罪、猟奇犯罪を擁護する気はないけれども、むしろ、人間の精神は科学的に理解できる、なにか異常ががあるからこそ犯罪をおこすのだ、という人間観の方が、より問題であるかと思う。(おそらく、精神医学や心理学の専門家は、このような人間観について懐疑的なのだろうと思うが、どうだろうか。)

また、エド・ゲイン事件については、これを、その後の人びとがどう消費していくのか、ということも興味深い。映画『サイコ』などのような形、表現を与えられて、人間はようやく落ち着きを取り戻すことができるといっていいだろう。

エド・ゲイン事件とは関係ないが、『冷血』(カポーティ)とか、これとあえて同じタイトルを選んだ『冷血』(高村薫)とかも、結局は理解できない人間の心の奥底にあるもの、ということを描いているのだと、私は理解している。

2024年12月2日記

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