『光る君へ』「哀しくとも」 ― 2024-12-09
2024年12月9日 當山日出夫
『光る君へ』「哀しくとも」
見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。
『源氏物語』は、誰も幸せにならない物語である……なるほどそう言われてみれば、そうである。思いつくかぎりでも、『源氏物語』の登場人物は、幸福な人生をすごしたということは、あまりない。人間の一生とは、いろいろあって、そう簡単に幸せになれるものではない、というメッセージが込められているとも理解できる。
賢子が、まひろのことを、母親としては失格であるが、物語作者としてはすぐれている、ということを言っていた。そのとおりかなと思う。まあ、芸術家というのは、人格円満、女性であれば良妻賢母(かなり古めかしいが)というわけではないだろう。
刀伊の入寇は、藤原隆家の活躍で無事にことをおさめることができた。この事件について、都の貴族たちは冷淡であった、ということである。さて、実際のところはどうだったのだろうか。前例のない事件だけに、どう対応していいか判断しかねたというあたりだったかと思うが、どうだろうか。
その中にあって、藤原実資だけは、ことの重大性を認識し、しかるべき対応を考え、さらには、これからは武者の世の中になることを見通している。この時代、平安時代の後期になれば、後の武士の時代への萌芽というべきことがらが見られる時代になってきた、ということであろう。だからといって、後に鎌倉時代になったからといって、武士だけの世の中になったわけではなく、平安の貴族や寺社などの勢力は依然として力を持っていたことはたしかである。いわゆる権門体制論ということになるのかと思うが。
文書の日付が、非常に大きな問題としてあつかわれていたが、京の都と太宰府との距離を考えると、なんとなくこじつけのように思える。はたして、平安時代の政治や行政において、文書の日付はどれぐらいの意味を持っていたのだろうか。
この回では、天皇が出てこなかった。刀伊の入寇のとき、天皇は何をしていたということなのだろうか。
この回もそうなのだが、藤原実資が活躍する回は面白い。また、以前は安倍晴明の出てくる回は面白かった。
道長は孤独である。ここにきて、行成たちとの信頼感が失せている。孤独な道長にとっては、まひろの無事を願うことだけが、こころのよりどころであったようにも感じる。
紫式部が『源氏物語』を書き終えた後に、九州まで旅をして、そこで刀伊の入寇に遭遇するということは、もちろんドラマとしてのフィクションであるが、これまでのこのドラマの流れからして、そんなに無理のある展開だとも感じない。折に触れて大宰府に関連することがあり、また越前に行っており(これは史実)、若いときには、都から遠くへ行きたいと思ったこともあった。このような描写の積み重ねとしては、まひろの太宰府行きは、ドラマの筋としてはありうる展開である。
でも、よくあんな危ない目にあって、無事に都へ帰ってくることができたなあ、という気はするけれど。
歴史としては、この時代の貴族たちの、政治ということについての意識、対外的に外国を想定して日本というものをどう考えていたのか、というあたりのことが問題になることかと思う。(少なくとも、国民国家である日本の統治者というような意識はなかったはずである。そのような意識が明確になるのは、『坂の上の雲』の時代になってからである。)
都に帰った乙丸は、きぬにお土産の紅を渡していた。実に従順ないい人である。ひょとすると、『光る君へ』のドラマのなかでもっともいい人であるかもしれない。太宰府での「かえりた~い」の声は、乙丸だからのものであろう。
道長と賢子のシーン。父と娘であることは、見る側は分かっている。道長も、賢子が娘であることは知っている。このときの道長の表情がよかった。
最後に、倫子が、まひろと道長との関係について、私が知らないとでも思っていた、とさりげなく言うのだが、これは迫力があった。だが、平安時代の貴族である。召人ということもある(男性は、その家につかえる女房やその侍女などと、性的に関係を持ってもよかった……と理解しているのだが)。倫子の立場として、まひろに嫉妬するようなことはなかったろうと考える。正妻と、ただの女、である。さあ、このあたりの気持ちは、どうだったのだろうか。
まだ、このドラマのなかでは、「紫式部」も「源氏物語」もことばとして登場してきていない。さて、最終回ではどうなるだろうか。
2024年12月8日記
『光る君へ』「哀しくとも」
見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。
『源氏物語』は、誰も幸せにならない物語である……なるほどそう言われてみれば、そうである。思いつくかぎりでも、『源氏物語』の登場人物は、幸福な人生をすごしたということは、あまりない。人間の一生とは、いろいろあって、そう簡単に幸せになれるものではない、というメッセージが込められているとも理解できる。
賢子が、まひろのことを、母親としては失格であるが、物語作者としてはすぐれている、ということを言っていた。そのとおりかなと思う。まあ、芸術家というのは、人格円満、女性であれば良妻賢母(かなり古めかしいが)というわけではないだろう。
刀伊の入寇は、藤原隆家の活躍で無事にことをおさめることができた。この事件について、都の貴族たちは冷淡であった、ということである。さて、実際のところはどうだったのだろうか。前例のない事件だけに、どう対応していいか判断しかねたというあたりだったかと思うが、どうだろうか。
その中にあって、藤原実資だけは、ことの重大性を認識し、しかるべき対応を考え、さらには、これからは武者の世の中になることを見通している。この時代、平安時代の後期になれば、後の武士の時代への萌芽というべきことがらが見られる時代になってきた、ということであろう。だからといって、後に鎌倉時代になったからといって、武士だけの世の中になったわけではなく、平安の貴族や寺社などの勢力は依然として力を持っていたことはたしかである。いわゆる権門体制論ということになるのかと思うが。
文書の日付が、非常に大きな問題としてあつかわれていたが、京の都と太宰府との距離を考えると、なんとなくこじつけのように思える。はたして、平安時代の政治や行政において、文書の日付はどれぐらいの意味を持っていたのだろうか。
この回では、天皇が出てこなかった。刀伊の入寇のとき、天皇は何をしていたということなのだろうか。
この回もそうなのだが、藤原実資が活躍する回は面白い。また、以前は安倍晴明の出てくる回は面白かった。
道長は孤独である。ここにきて、行成たちとの信頼感が失せている。孤独な道長にとっては、まひろの無事を願うことだけが、こころのよりどころであったようにも感じる。
紫式部が『源氏物語』を書き終えた後に、九州まで旅をして、そこで刀伊の入寇に遭遇するということは、もちろんドラマとしてのフィクションであるが、これまでのこのドラマの流れからして、そんなに無理のある展開だとも感じない。折に触れて大宰府に関連することがあり、また越前に行っており(これは史実)、若いときには、都から遠くへ行きたいと思ったこともあった。このような描写の積み重ねとしては、まひろの太宰府行きは、ドラマの筋としてはありうる展開である。
でも、よくあんな危ない目にあって、無事に都へ帰ってくることができたなあ、という気はするけれど。
歴史としては、この時代の貴族たちの、政治ということについての意識、対外的に外国を想定して日本というものをどう考えていたのか、というあたりのことが問題になることかと思う。(少なくとも、国民国家である日本の統治者というような意識はなかったはずである。そのような意識が明確になるのは、『坂の上の雲』の時代になってからである。)
都に帰った乙丸は、きぬにお土産の紅を渡していた。実に従順ないい人である。ひょとすると、『光る君へ』のドラマのなかでもっともいい人であるかもしれない。太宰府での「かえりた~い」の声は、乙丸だからのものであろう。
道長と賢子のシーン。父と娘であることは、見る側は分かっている。道長も、賢子が娘であることは知っている。このときの道長の表情がよかった。
最後に、倫子が、まひろと道長との関係について、私が知らないとでも思っていた、とさりげなく言うのだが、これは迫力があった。だが、平安時代の貴族である。召人ということもある(男性は、その家につかえる女房やその侍女などと、性的に関係を持ってもよかった……と理解しているのだが)。倫子の立場として、まひろに嫉妬するようなことはなかったろうと考える。正妻と、ただの女、である。さあ、このあたりの気持ちは、どうだったのだろうか。
まだ、このドラマのなかでは、「紫式部」も「源氏物語」もことばとして登場してきていない。さて、最終回ではどうなるだろうか。
2024年12月8日記
コメント
_ Britty ― 2024-12-09 09時11分31秒
天皇、後一条天皇ですから、御年十歳では、後宮で椿餅食べるくらいしかすることがなかったんじゃないでしょうか。
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