「地方の時代」映像祭「立つ女たち〜女性議員15%の国で〜」 ― 2024-12-11
2024年12月11日 當山日出夫
ザ・ベストテレビ 「地方の時代」映像祭「立つ女たち〜女性議員15%の国で〜」
これを収録したのは、兵庫県知事選の前になるのだろうか。東京都議選からこのかた、選挙とSNSについて議論がかまびすしい。
テレビなどで、既存政党の政治家やコメンテーター(としかいいようのない、私からすれば今のテレビにおけるまったく無駄な人たち)は、SNSの利用はすすめるべきであるが、一定の規制は必要である……というような、判で押したようなことばかり言っている。要するに、自分たちの政党、あるいは、支持する政党にとって有利になるような使い方はいいけれど、そうではない使い方……それがリベラルを支持するものであれ、逆にどうであれ……これは規制したい、ということに他ならない。
ここで必要なのは、選挙や政治という公共にかかわる領域において、ネット情報や利活用はどうあるべきか、という根本的なところの視点なのだが、これが欠けている。
番組としては、女性の地方議会と選挙ということで作ってあったが、視点を変えれば、選挙において無名の新人がSNS利用で、どこまで得票を伸ばせるか、ということになる。
SNSの利用で、無所属の女性候補が当選をはたした事例としては、とても面白い。しかし、このような成功事例があるとすると、これを大きな既存政党が使わないはずはない。既存政党に限らず、ネット上における著名人がかかわるとき、番組に登場したような候補者にとって本当に有効な手法として定着するかどうかは、微妙だなと思う。おそらく、次の参議院選、それから、各地の地方の選挙で、むしろ弊害という側面が現れてくる可能性を危惧することになる。
善意に解釈すれば、別にその地域の市民でなくても、ボランティアで全国どこにいても、支持する候補者を応援できる、ということになる。悪意に解釈すれば、国政選挙において外国からの干渉を許すのか、という議論になる。このおとしどころは、かなり難しいかもしれない。
無論、これからはAIによるさまざまな情報がネット上に錯綜するようになる。中には、フェイクもある。だが、今の技術でこれを見分けて規制することが、可能だろうか。
SNSで積極的に発言するのは、ごくわずかのユーザであることは言われている。そして、そのほんの一部のユーザの行動(情報の発信や拡散)によって、多くの人が影響を受けていることは確かである。このことに、別に老若男女の違いはないだろう。あるとすれば、どのような情報にどのように影響されるかという傾向の違いであろう。若いからだまされないとか、高齢者はだまされやすい、というようなレッテル貼りで見ること自体が、冷静な分析と熟慮、そして対話を妨げていると私は思う。
民主主義ということでいうならば、昔にかえってタウンミーティングの価値、というあたりから議論することになるのかもしれない。そこから、ネット空間のもつ公共性……それは、あまりにも多様で、かつ汚染されていることになるだろうが……このようなことを、地道に考えていくしかないのかもしれない。
ともあれ、私としては、規制という方向で考えて、いいことはないと思っている。ゴミやフェイクは、もうどうしようもできない。そうではなく、良質な情報を、どうすれば埋もれさせないでとどけることができるか、あるいは、見つけることができるか、という方向であるべきだろう。
良質な情報とは、自分の意見に対立するものもふくむ。なぜ、自分はそう考えるのか、自分とは違う意見を持つ人は何を思っているのか、その自省と想像力が必要になる。だが、これは、たかだか140字の短いメッセージでは無理である。
自分は賢いからだまされないという発想は危険である。異なる意見をもつ人を蔑視することにつながる。これは、思考停止であり、生産的な対話を生まない。ちなみにホッブズはこのようなことを言っている……自分が信じることは信仰であるが、他人が信じることは迷信である、と。
なお、日本における女性議員はもっとふえるべきであると、私は考える。それには、まず、議員とは何をする仕事(といっていいだろうか)ということの、再定義が必要であるにちがいない。それは、有権者が議員に何を求めるのか、ということにもつながる。
強引なアファーマティブアクション……具体的には、クォータ制であるが……は、取らない方がいいだろう。その副作用というか、反動というか、バックラッシュというか、これを私は危惧する。
最後に思うことは、人口減少時代をむかえて、地方議会の議員のなり手がいないという問題もあるはずである。長崎とか日立とかつくばならいいのかもしれないが、市町村議会の中には、そもそも立候補する人が乏しいというところもあるはずであり、それはこれからますます加速する。このことも視野にいれた、女性議員の意味であり、選挙の方法の意味である、ということも考えておくべきことであろう。
2024年12月10日記
ザ・ベストテレビ 「地方の時代」映像祭「立つ女たち〜女性議員15%の国で〜」
これを収録したのは、兵庫県知事選の前になるのだろうか。東京都議選からこのかた、選挙とSNSについて議論がかまびすしい。
テレビなどで、既存政党の政治家やコメンテーター(としかいいようのない、私からすれば今のテレビにおけるまったく無駄な人たち)は、SNSの利用はすすめるべきであるが、一定の規制は必要である……というような、判で押したようなことばかり言っている。要するに、自分たちの政党、あるいは、支持する政党にとって有利になるような使い方はいいけれど、そうではない使い方……それがリベラルを支持するものであれ、逆にどうであれ……これは規制したい、ということに他ならない。
ここで必要なのは、選挙や政治という公共にかかわる領域において、ネット情報や利活用はどうあるべきか、という根本的なところの視点なのだが、これが欠けている。
番組としては、女性の地方議会と選挙ということで作ってあったが、視点を変えれば、選挙において無名の新人がSNS利用で、どこまで得票を伸ばせるか、ということになる。
SNSの利用で、無所属の女性候補が当選をはたした事例としては、とても面白い。しかし、このような成功事例があるとすると、これを大きな既存政党が使わないはずはない。既存政党に限らず、ネット上における著名人がかかわるとき、番組に登場したような候補者にとって本当に有効な手法として定着するかどうかは、微妙だなと思う。おそらく、次の参議院選、それから、各地の地方の選挙で、むしろ弊害という側面が現れてくる可能性を危惧することになる。
善意に解釈すれば、別にその地域の市民でなくても、ボランティアで全国どこにいても、支持する候補者を応援できる、ということになる。悪意に解釈すれば、国政選挙において外国からの干渉を許すのか、という議論になる。このおとしどころは、かなり難しいかもしれない。
無論、これからはAIによるさまざまな情報がネット上に錯綜するようになる。中には、フェイクもある。だが、今の技術でこれを見分けて規制することが、可能だろうか。
SNSで積極的に発言するのは、ごくわずかのユーザであることは言われている。そして、そのほんの一部のユーザの行動(情報の発信や拡散)によって、多くの人が影響を受けていることは確かである。このことに、別に老若男女の違いはないだろう。あるとすれば、どのような情報にどのように影響されるかという傾向の違いであろう。若いからだまされないとか、高齢者はだまされやすい、というようなレッテル貼りで見ること自体が、冷静な分析と熟慮、そして対話を妨げていると私は思う。
民主主義ということでいうならば、昔にかえってタウンミーティングの価値、というあたりから議論することになるのかもしれない。そこから、ネット空間のもつ公共性……それは、あまりにも多様で、かつ汚染されていることになるだろうが……このようなことを、地道に考えていくしかないのかもしれない。
ともあれ、私としては、規制という方向で考えて、いいことはないと思っている。ゴミやフェイクは、もうどうしようもできない。そうではなく、良質な情報を、どうすれば埋もれさせないでとどけることができるか、あるいは、見つけることができるか、という方向であるべきだろう。
良質な情報とは、自分の意見に対立するものもふくむ。なぜ、自分はそう考えるのか、自分とは違う意見を持つ人は何を思っているのか、その自省と想像力が必要になる。だが、これは、たかだか140字の短いメッセージでは無理である。
自分は賢いからだまされないという発想は危険である。異なる意見をもつ人を蔑視することにつながる。これは、思考停止であり、生産的な対話を生まない。ちなみにホッブズはこのようなことを言っている……自分が信じることは信仰であるが、他人が信じることは迷信である、と。
なお、日本における女性議員はもっとふえるべきであると、私は考える。それには、まず、議員とは何をする仕事(といっていいだろうか)ということの、再定義が必要であるにちがいない。それは、有権者が議員に何を求めるのか、ということにもつながる。
強引なアファーマティブアクション……具体的には、クォータ制であるが……は、取らない方がいいだろう。その副作用というか、反動というか、バックラッシュというか、これを私は危惧する。
最後に思うことは、人口減少時代をむかえて、地方議会の議員のなり手がいないという問題もあるはずである。長崎とか日立とかつくばならいいのかもしれないが、市町村議会の中には、そもそも立候補する人が乏しいというところもあるはずであり、それはこれからますます加速する。このことも視野にいれた、女性議員の意味であり、選挙の方法の意味である、ということも考えておくべきことであろう。
2024年12月10日記
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