「希代の経営者 経済統制と戦う〜小林一三100年先が見えた男〜」 ― 2024-12-17
2024年12月17日 當山日出夫
英雄たちの選択 希代の経営者 経済統制と戦う〜小林一三100年先が見えた男〜
小林一三のことは、ときどきテレビで出てくる。近代日本の経済人で、テレビ番組に出てくるトップかもしれない。その他には、新しいところでは、堤清二がいるだろうか。
小林一三と並んで考えるとすると、五島慶太とか、堤康次郎、などが思いうかぶところではあるが、これらの人物名は出てこなかった。
そのビジネスは、阪急電車、百貨店、住宅地、行楽施設(宝塚歌劇)ということを、ワンセットで考えて、近代のビジネスモデルを構築して実践したということになるだろう。これは、これまでに多く語られてきたことである。
この番組であつかっていたのは、それよりもう少し後のこと、近衛内閣のときに、商工大臣として入閣するかどうか、というところでの決断であった。ここに焦点をあてた小林一三を描くということは、珍しいかもしれない。
番組のなかで大きくあつかっていたのは、戦前の電力事情。東京では、多くの電力会社が乱立して、安売り合戦になり、混乱した状態にあった。それを、統合して合理的な電気の供給システムを作る、というのが小林一三のやったことであった。小林一三は、官立民営の主義であった。必要なインフラは公的に整備するが、経営は民間の考え方でおこなう。しかし、政府の考えていたことは、逆で、国家が統制するという方向性のものだった。
商工大臣になったとき、実際に、次官として辣腕をふるったのが岸信介である。
経済を統制しようとする、その時代の政府、特に革新官僚……それは岸信介に代表されれる……との軋轢になる。結果として、小林一三は、なんとか経済の国家統制ということを回避することになる。(しかし、その後の日本の歴史としては、国家統制という方向に向かっていくことになるのだが。)
岸信介は、今にいたるまでいろいろと毀誉褒貶のある人物である。私の認識としては、A級戦犯になりそこねた人物、というぐらいに思っている。革新官僚として、どのような国家の経営をイメージしていたか。その実験場になったのが、満洲国であったということは、よく言われていることである。そして、戦前から戦後へと続く日本の政治や経済のシステムについて、その連続性を考えるとき、岸信介の存在が大きく浮かびあがってくる。
かつては、戦前と戦後の断絶、敗戦によって新しく生まれかわった民主主義国家日本というイメージで歴史を語ることが多かったが、このごろでは、むしろ逆に、戦前に構築された社会のシステムが、その後の戦後の日本の経済発展の基礎になったという方向で考えることが多くなってきていると感じる。(このあたりは、近現代史の専門家の意見がほしいところである。もう、今では、八・一五革命説、など言う人はいなくなっただろう。)
電力のことについては、やはり、松永安左エ門のことを避けてとおることはできない。若いとき、慶應の日吉の教養のとき、人文地理の講義を取ったのだが、そのなかで、先生が、松永安左エ門先生、と言っていたのを憶えている。経済、経営の先輩としてのことばであった。
ところで、鹿島茂が言っていたことだが、小林一三のビジネスは、核家族を基本としていた、ということは興味深い。では、阪急が開発した郊外の住宅地は、どのような家族構成で、どのようなライフスタイルを想定していたのだろうかと思う。また、現代では、単身者が多く、コンビニなどのビジネスとして成功しているのだが、いまだに、政府の考えとしては、標準的な家族構成……夫婦と子ども二人、など……を基本としている。このあたりは、どうにかならないものかと思う。
2024年12月14日記
英雄たちの選択 希代の経営者 経済統制と戦う〜小林一三100年先が見えた男〜
小林一三のことは、ときどきテレビで出てくる。近代日本の経済人で、テレビ番組に出てくるトップかもしれない。その他には、新しいところでは、堤清二がいるだろうか。
小林一三と並んで考えるとすると、五島慶太とか、堤康次郎、などが思いうかぶところではあるが、これらの人物名は出てこなかった。
そのビジネスは、阪急電車、百貨店、住宅地、行楽施設(宝塚歌劇)ということを、ワンセットで考えて、近代のビジネスモデルを構築して実践したということになるだろう。これは、これまでに多く語られてきたことである。
この番組であつかっていたのは、それよりもう少し後のこと、近衛内閣のときに、商工大臣として入閣するかどうか、というところでの決断であった。ここに焦点をあてた小林一三を描くということは、珍しいかもしれない。
番組のなかで大きくあつかっていたのは、戦前の電力事情。東京では、多くの電力会社が乱立して、安売り合戦になり、混乱した状態にあった。それを、統合して合理的な電気の供給システムを作る、というのが小林一三のやったことであった。小林一三は、官立民営の主義であった。必要なインフラは公的に整備するが、経営は民間の考え方でおこなう。しかし、政府の考えていたことは、逆で、国家が統制するという方向性のものだった。
商工大臣になったとき、実際に、次官として辣腕をふるったのが岸信介である。
経済を統制しようとする、その時代の政府、特に革新官僚……それは岸信介に代表されれる……との軋轢になる。結果として、小林一三は、なんとか経済の国家統制ということを回避することになる。(しかし、その後の日本の歴史としては、国家統制という方向に向かっていくことになるのだが。)
岸信介は、今にいたるまでいろいろと毀誉褒貶のある人物である。私の認識としては、A級戦犯になりそこねた人物、というぐらいに思っている。革新官僚として、どのような国家の経営をイメージしていたか。その実験場になったのが、満洲国であったということは、よく言われていることである。そして、戦前から戦後へと続く日本の政治や経済のシステムについて、その連続性を考えるとき、岸信介の存在が大きく浮かびあがってくる。
かつては、戦前と戦後の断絶、敗戦によって新しく生まれかわった民主主義国家日本というイメージで歴史を語ることが多かったが、このごろでは、むしろ逆に、戦前に構築された社会のシステムが、その後の戦後の日本の経済発展の基礎になったという方向で考えることが多くなってきていると感じる。(このあたりは、近現代史の専門家の意見がほしいところである。もう、今では、八・一五革命説、など言う人はいなくなっただろう。)
電力のことについては、やはり、松永安左エ門のことを避けてとおることはできない。若いとき、慶應の日吉の教養のとき、人文地理の講義を取ったのだが、そのなかで、先生が、松永安左エ門先生、と言っていたのを憶えている。経済、経営の先輩としてのことばであった。
ところで、鹿島茂が言っていたことだが、小林一三のビジネスは、核家族を基本としていた、ということは興味深い。では、阪急が開発した郊外の住宅地は、どのような家族構成で、どのようなライフスタイルを想定していたのだろうかと思う。また、現代では、単身者が多く、コンビニなどのビジネスとして成功しているのだが、いまだに、政府の考えとしては、標準的な家族構成……夫婦と子ども二人、など……を基本としている。このあたりは、どうにかならないものかと思う。
2024年12月14日記
「原爆スパイ 核兵器を拡散させた男」 ― 2024-12-17
2024年12月17日 當山日出夫
フランケンシュタインの誘惑 原爆スパイ 核兵器を拡散させた男
再放送である。最初の放送は、二〇二三年一〇月。
原爆開発については、これまでにいろんな番組がつくられている。マンハッタン計画をあつかったものもあれば、オッペンハイマーをとりあげたものものある。また、日本における原爆開発をあつかったものもある(無論、これは実現しなかったことになるのだが。)
この回では、クラウス・フックスをとりあげていたが、さて、この人物のことについて、詳細に分かるようになったのは、いつごろからなのだろうか。スパイ行為が発覚したときは、まさに冷戦のまっただなかであるので、スパイ活動の全貌が公にされることはなかったろう。やはり、ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結の後のことということになるのだろうか。このあたりのことについて、説明があるとよかったと思う。
原爆開発の是非を、今の価値観から考えるならば、かなり否定的に見ることになるにちがいないが、しかし、その当時にあっては、それが正義にかなったことであると、関係者は確信していたとはいっていいだろう。それが否定的に考えられるようになるのは、日本に投下された二発の原子爆弾が、どれほどの脅威であるか、その惨状が明らかになってからのこと、ということかと思っている。
マンハッタン計画の原子爆弾の設計図がソ連にわたっていた。その結果、ソ連は、アメリカに続いて核兵器の開発に成功することになる。
まあ、だいたい、原爆の開発ストーリーというと、このあたりまでの話しなのであるが、実際には、その後、中国をはじめいくつかの国で核兵器を開発している。近年では、北朝鮮とイランの問題がある。これらをふくめて、二〇世紀から二一世紀にかけての、大きな核兵器開発の流れと世界の歴史……これは、そう簡単に語れるものではないだろうが、特別にシリーズ番組でも作ってやってもらえないだろうかと思う。
そのなかには、朝鮮戦争や、キューバ危機などのこともあるし、一方で、反核運動の歴史ということも、含まれるべきである。
この番組について思うこととしては、フックスは、共産主義の理想に共感することはあったが(これには、私も同意できる)、ただ、人間というもの、それから、人間のつくる国家や社会というものについての、考え方が甘かった、ということになるだろうか。これを敷衍して言えば、科学者や技術者が、どのような人間観、世界観、歴史観を持っているのか……基礎的なリベラルアーツの問題かと思う。無論、これは、人文学研究者にとっても重要で、逆に、現代の科学や技術で何ができて、何が課題かということについて、知って考えるということが求められる。(これが難しくなっているのが、今の時代かと感じる。おそらくフックスの時代なら、人文学的な基礎教養が、理系の研究者でも必須であった時代である。)
軍事や技術というのは、それ自体が独立したものではなく(そういう側面もあるとは思うが)、人間の社会のなかで存在するものである、ということを考えることになる。
今ではすっかり影をひそめてしまったが、かつては、アメリカの持つ核兵器は悪であるが、ソ連の持つ核兵器は善である……というような主張を、どうどうと、自称平和主義者、進歩主義者、というような人たちが言っていた時代があった。もっとも印象にのこっているのは、吉本隆明の「反核異論」のときである。核兵器反対の道のりも、決して順調に今にいたったわけではないことも、考えておかなければならない。
たしかに、一九四五年以降、世界で核兵器が実戦で使われたことはない。これは、偶然のたまものか、あるいは、人類が少しは賢くなっているということなのか、難しいところかもしれない。
2024年12月13日記
フランケンシュタインの誘惑 原爆スパイ 核兵器を拡散させた男
再放送である。最初の放送は、二〇二三年一〇月。
原爆開発については、これまでにいろんな番組がつくられている。マンハッタン計画をあつかったものもあれば、オッペンハイマーをとりあげたものものある。また、日本における原爆開発をあつかったものもある(無論、これは実現しなかったことになるのだが。)
この回では、クラウス・フックスをとりあげていたが、さて、この人物のことについて、詳細に分かるようになったのは、いつごろからなのだろうか。スパイ行為が発覚したときは、まさに冷戦のまっただなかであるので、スパイ活動の全貌が公にされることはなかったろう。やはり、ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結の後のことということになるのだろうか。このあたりのことについて、説明があるとよかったと思う。
原爆開発の是非を、今の価値観から考えるならば、かなり否定的に見ることになるにちがいないが、しかし、その当時にあっては、それが正義にかなったことであると、関係者は確信していたとはいっていいだろう。それが否定的に考えられるようになるのは、日本に投下された二発の原子爆弾が、どれほどの脅威であるか、その惨状が明らかになってからのこと、ということかと思っている。
マンハッタン計画の原子爆弾の設計図がソ連にわたっていた。その結果、ソ連は、アメリカに続いて核兵器の開発に成功することになる。
まあ、だいたい、原爆の開発ストーリーというと、このあたりまでの話しなのであるが、実際には、その後、中国をはじめいくつかの国で核兵器を開発している。近年では、北朝鮮とイランの問題がある。これらをふくめて、二〇世紀から二一世紀にかけての、大きな核兵器開発の流れと世界の歴史……これは、そう簡単に語れるものではないだろうが、特別にシリーズ番組でも作ってやってもらえないだろうかと思う。
そのなかには、朝鮮戦争や、キューバ危機などのこともあるし、一方で、反核運動の歴史ということも、含まれるべきである。
この番組について思うこととしては、フックスは、共産主義の理想に共感することはあったが(これには、私も同意できる)、ただ、人間というもの、それから、人間のつくる国家や社会というものについての、考え方が甘かった、ということになるだろうか。これを敷衍して言えば、科学者や技術者が、どのような人間観、世界観、歴史観を持っているのか……基礎的なリベラルアーツの問題かと思う。無論、これは、人文学研究者にとっても重要で、逆に、現代の科学や技術で何ができて、何が課題かということについて、知って考えるということが求められる。(これが難しくなっているのが、今の時代かと感じる。おそらくフックスの時代なら、人文学的な基礎教養が、理系の研究者でも必須であった時代である。)
軍事や技術というのは、それ自体が独立したものではなく(そういう側面もあるとは思うが)、人間の社会のなかで存在するものである、ということを考えることになる。
今ではすっかり影をひそめてしまったが、かつては、アメリカの持つ核兵器は悪であるが、ソ連の持つ核兵器は善である……というような主張を、どうどうと、自称平和主義者、進歩主義者、というような人たちが言っていた時代があった。もっとも印象にのこっているのは、吉本隆明の「反核異論」のときである。核兵器反対の道のりも、決して順調に今にいたったわけではないことも、考えておかなければならない。
たしかに、一九四五年以降、世界で核兵器が実戦で使われたことはない。これは、偶然のたまものか、あるいは、人類が少しは賢くなっているということなのか、難しいところかもしれない。
2024年12月13日記
「天空の放牧 〜パキスタン・カラコルム山脈〜」 ― 2024-12-17
2024年12月17日 當山日出夫
Asia Insight 天空の放牧 〜パキスタン・カラコルム山脈〜
再放送である。最初の放送は、二〇二三年八月。
カラコルム山脈とか、パミール高原という名前は知っていたが、そこでこのような人たちの生活があること、それが変化してきていることは知らなかった。
パキスタンの山岳地帯のこのような人びとの暮らしも、もう終わることになるのだろう。それが、近代化、ということである。近代化を推進するのは、道路などの物流、交通網の整備であり、そして、教育である。村に学校ができて、子供たちが学ぶようになっている。
番組のなかでは映っていなかったが、次にこの人たちの生活のなかにはいりこんでくるのは、スマホとインターネットであることはまちがいない。そうすれば、生活の感覚は劇的に変化することになるだろう。
街で商売をしているという男性がいた。映っていた映像には、JEWELとあったので、宝飾店ということだろうが、店頭の看板には漢字が書いてあった。中国人の客がいるということになるのだろうか。一帯一路の経済圏は、ここまで及んできていると理解していいかもしれない。
パキスタンであるので、宗教的にはイスラムの国かなと思ってみるのだが、番組のなかでは特に宗教について説明はなかった。ただ、ことばのなかに「アッラー」とは使っていたように聞こえたが。だが、学校は、女性も一緒である。そして英語を学んでいる。パキスタンだから全部がムスリムということはないのだろうが。(パキスタンは、かつて英国の植民地だったが、イスラムの国として、独立のときにインドと別れ、その後、バングラデシュとも別れた。)
私は、教育ということには、価値をおいて考える人間である。社会を変え、人びとの意識を変えていくのは、教育である。これは、すこしは時間がかかるかもしれないが、もっとも確実な成果を得られる。(だが、間違えれば人びとに苦しみと混乱をまねくことになる。)
とはいえ、伝統的な村の暮らしが、近代化によって亡びていくというのも、一抹のさびしさがあることは事実である。
2024年12月13日記
Asia Insight 天空の放牧 〜パキスタン・カラコルム山脈〜
再放送である。最初の放送は、二〇二三年八月。
カラコルム山脈とか、パミール高原という名前は知っていたが、そこでこのような人たちの生活があること、それが変化してきていることは知らなかった。
パキスタンの山岳地帯のこのような人びとの暮らしも、もう終わることになるのだろう。それが、近代化、ということである。近代化を推進するのは、道路などの物流、交通網の整備であり、そして、教育である。村に学校ができて、子供たちが学ぶようになっている。
番組のなかでは映っていなかったが、次にこの人たちの生活のなかにはいりこんでくるのは、スマホとインターネットであることはまちがいない。そうすれば、生活の感覚は劇的に変化することになるだろう。
街で商売をしているという男性がいた。映っていた映像には、JEWELとあったので、宝飾店ということだろうが、店頭の看板には漢字が書いてあった。中国人の客がいるということになるのだろうか。一帯一路の経済圏は、ここまで及んできていると理解していいかもしれない。
パキスタンであるので、宗教的にはイスラムの国かなと思ってみるのだが、番組のなかでは特に宗教について説明はなかった。ただ、ことばのなかに「アッラー」とは使っていたように聞こえたが。だが、学校は、女性も一緒である。そして英語を学んでいる。パキスタンだから全部がムスリムということはないのだろうが。(パキスタンは、かつて英国の植民地だったが、イスラムの国として、独立のときにインドと別れ、その後、バングラデシュとも別れた。)
私は、教育ということには、価値をおいて考える人間である。社会を変え、人びとの意識を変えていくのは、教育である。これは、すこしは時間がかかるかもしれないが、もっとも確実な成果を得られる。(だが、間違えれば人びとに苦しみと混乱をまねくことになる。)
とはいえ、伝統的な村の暮らしが、近代化によって亡びていくというのも、一抹のさびしさがあることは事実である。
2024年12月13日記
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