「『極道の妻たち』 強くカッコいい女の時代へ」2024-12-21

2024年12月21日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 『極道の妻たち』 強くカッコいい女の時代へ

家田荘子の『極道の妻たち』は、出版されたとき話題になったことは記憶している。だが、読んだということはなかった。それが映画になったことも知ってはいたが、ふ~ん、これが映画になるのか、ぐらいに思っていた。

東映としては、女性のお客さんを開拓するという路線で、『極道の妻たち』を作ったらしい。女性を主人公にすれば女性客が来るということではないだろうが、これは家田荘子の本があってのことなのであろう。

東映ヤクザ映画というのは、日本におけるサブカルチャーの歴史のなかでは、重要な位置をしめるものと認識している。私は、ほとんど見るということはなかったが。同時に、今でも(あるいは、今では、というべきか)高く評価されているのが、日活ロマンポルノである。

岩下志麻は、私としては、『心中天網島』が印象に残っている。夫君である篠田正浩の監督作品である。

映画の『極道の妻たち』が作られた時代は、男女機会均等法が出来た時代で、その時代背景において、社会のなかでかっこよく活躍したいという女性たちを引きつけた、ということだったのだが、たしかにそういうところはあったのだろう。

少し時代をさかのぼってみれば、テレビの「必殺」シリーズにおいて、女性の仕事人が登場していたことも、私の記憶にある。山田五十鈴が出ていたはずである。

それから番組の中では触れていなかったが、五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』は、非常によかった。けれんみたっぷりの娯楽作品として傑出していると、感じたものである。無論、原作の宮尾登美子の作品もいい。映画における夏目雅子は印象に残っている。

映画が出来たとき、女性限定の試写会をやって、そこにこれまで例を見ない数の応募があったという話しは、とても興味深い。この時代、女性たちは何を求めていたのだろうか。

ところで、このシリーズは、現代では映画史のうえで、どのように評価されることになっているのだろうか。このあたりのことが、知りたいところでもある。

余計なこととしては、家田荘子の本は「極道の妻(つま)たち」であるが、映画になると、「極道の妻(おんな)たち」となる。「妻」という字を「おんな」と読ませるのは、そうも読めないことはないが、やはり特殊な効果をねらってのことだろう。さらに面白いのは、これを「極妻」と略して言ったときには、「ごくつま」と「つま」になることである。

これまで家田荘子の本は読んでいなかったのだが、見てみるとかなり興味深い本を書いている。いくつか読んでみようかと思う。

2024年12月18日記

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