ねほりんぱほりん「元詐欺師」2024-12-25

2024年12月25日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 元詐欺師

再放送である。最初は、二〇一九年。今から五年ほど前である。このころは、今いわれている闇バイトというようなことばもなかった。が、実際には、そのような仕事(?)をすることになる、末端の人間はいたことになる。

その後、電話を使った詐欺事件については、海外に拠点をもつグループが摘発されたりしているのだが、これも、ニュースなどで見るかぎりであるが、本当のトップにはたどりつけていないようである。それだけ、手口、犯罪組織が巧妙化しているということになるのだろうが。

別に詐欺師を擁護する気はまったくないのだが、いわゆる非特性の高い通信アプリ……テレグラムとかシグナルになるが……は、それなりの存在意義のあるものかとも思う。国や地域によっては、これらを使っての反政府組織、ということも可能になる。非常に好意的に解釈すれば、独裁政権に対する民主化運動、というようなこともふくむ。無論、テロリストもふくまれるが。

このような地下の組織や通信を、完全に政府や警察などが把握できる、というのも、逆に見れば、これはこれでちょっと怖い社会なのかとも思う。さて、どう考えるべきだろうか。

個人でできることとしては、詐欺の手口を知って、とにかく対策を念頭に暮らすしかないのかもしれない。

2024年12月23日記

「有吉佐和子スペシャル (4)人生の皮肉を斜めから見つめる」2024-12-25

2024年12月25日 當山日出夫

100分de名著 有吉佐和子スペシャル (4)人生の皮肉を斜めから見つめる

100分de名著でとりあげた作品や作家について、読むものもあるし、読まないで済ませてしまうものもあるのだが、『青い壺』は新しく買って読んだ。文春文庫版を買ったが、今の私には、この文庫本の文字の大きさ(小ささ)がかなりつらい。まったく読めないというわけではないのだが、ここは割りきって、Kindle版を追加で買って、Kindleで読んだ。一番新しい機種である。私としては、三台目のKindleにになるが、以前のもの比べて格段に読みやすい。

青い壺をめぐる連作短篇集、ということになるのだが、読んでいくと、この話しのなかでどこで青い壺が登場するのか、ということが気になってしょうがない。そして、その青い壺の登場のさせ方がまた上手であり、また、話しがすすむにつれて、その青い壺の素性や価値についての変化がある。これも、またうまいところである。

この作品が書かれたころは、ちょうど私が大学生で東京に住んでいた時代になる。まさに、昭和の戦前に生まれた人たちが身の周りに普通にいた時代である。無論、私の両親は昭和の生まれである。東京で下宿した家の、ご主人(開業医だった)は、海軍の軍医をしていたと言っていたし、その奥さんは、大連の女学校を出たと言っていた。まさにこの時代の、市井の普通の人びとの生活感覚がどんなふうであったのか、とても生き生きと描かれていて、それを素直に、こういう時代があったんだなあと、感じとる(思い出す)ことができる。

人間が幸福に生きていくこと……番組のなかでは、ウェルビーイングと言っていたが、QOLと言ってもいいかもしれない……このことについて、どの作品を読んでも感じるところがある。

ところで、この有吉佐和子の「100分de名著」であるが、『華岡青洲の妻』『恍惚の人』『青い壺』だった。『恍惚の人』は二回に分けての放送だった。普通に考えると、『非色』が登場してもいいかもしれない。あるいは、『紀ノ川』や『悪女について』であったもいいかと思う。(私は、『悪女について』は計量文体学の研究として面白い作品だと思って、その専門の人にすすめてみたことがあるのだが。)こういう構成になったのは、番組制作者のそれなりの考えがあってのことなのだろう。

2024年12月24日記

「トラック・列島3万キロ 時間を追う男たち」2024-12-25

2024年12月25日 當山日出夫

時をかけるテレビ トラック・列島3万キロ 時間を追う男たち

二〇〇四年の放送である。

物流の二〇二四年問題は、かなり大きく報道されたことなのだが、実際にそれが実現してみると、生活の感覚としては、特にきわだった変化というのは感じないでいる。これは、おそらくは物流業界の人たちが、頑張っているということなのだろうと思う。

見て思うことは、今の日本の産業にとって、ジャスト・イン・タイム、ということは重要なのだろうが、それは、道路を法定速度で走って安全に配慮したものでなければならないはずである。無理なトラックの走り方を要求して、それで、遅延が発生したら賠償しなければならない、というのは、なんとなく理不尽なルールのように思える。だが、このようなシステムのうえに、これまでの日本の産業であり、人びとの暮らしがなりたってきたことは、思ってみるべきである。遅延についての賠償ということは、今の運送業界ではどうなっているのだろうか。このあたりのことは、新しく取材してほしいところである。

物流コストというのは、あらゆるものの価格に反映する、そうならざるをえないシステムに、今の日本の国はなっている。トラックドライバーの待遇改善というなら、物流コストの上昇、価格転嫁、ということを、多くの人びとが受け入れなければならない。

ドライバーの人手不足は、とても深刻なようである。将来的には、外国人労働者(移民)にたよらざるをえないことかと思う。いや、一部ではすでにそうなっていてもおかしくはない。

主要な幹線道路については、自動運転ということも可能かもしれない。しかし、宅配サービスにおける、ラスト・ワンマイルは、人間の手によらざるをえないだろう。都市部の高層マンションなどについては、その構造やセキュリティのシステムが大きな障害になっていることは言われている。

まあ、個人的に思うこととしては、そんなに急いで翌日に届きます、というようなことでなくてもいいと思うことが多いのだが、早く届くことがデフォルトになってしまっている現代社会の価値観は、もう逆戻りはできないのかもしれない。

コンビニなどでも、まさにジャスト・イン・タイムのシステムが動いているからこそのビジネスである。たまに利用することがある程度なのだが、そこまでのサービスを一般の消費者は、本当に求めているのだろうか。少しぐらい不便に感じることがあるかもしれないが、物流で働く人をふくめて、より多くの人びとがよりまともな暮らしができる社会のあり方、というようなことを考えてみる。

2024年12月23日記