「ラ・シングラ 幻のフラメンコダンサー」2024-12-26

2024年12月26日 當山日出夫

ドキュランドへようこそ 「ラ・シングラ 幻のフラメンコダンサー」

二〇二三年、スペイン、ドイツの制作。

この番組の枠は、他のドキュメンタリー番組で放送したものの再利用が多いかと思っているが、これは、ここだけだったようである。

正直に言って、ラ・シングラというフラメンコのダンサーについては、まったく知らなかった。そして、耳の聞こえない人が、あのような踊りを踊っているとは、とても信じられない。(偏見であるとは、思うのだけれど。)

日本語版のWikipediaには、「ラ・シングラ」についての記事はないようだ。

耳が聞こえなくても作曲することはできる。理論的に頭の中に、音がイメージできれば可能である(はずである)。しかし、踊りは、リズムやメロディーを頭の中にイメージするだけでなく、体のなかでリズムを刻んでいる必要があるのだろうと、推測することになる。

もともとは踊りについての天賦の才があったのかと思う。それが、たまたま耳が聞こえなくなって、孤独のなかで、さまざまな思いが沈潜して凝固し、怒りとして爆発したとき、シングラのフラメンコとして表現された……このように、理解してみることになる。

映像がとてもいい。ラ・シングラの踊りの場面だけで、十分に魅力的で説得力がある。そして、よけいなBGMなどを使っていない。音としては、手拍子、足拍子の他には、ギターと歌声だけである。これで、非常に映像としてすばらしいものに仕上がっている。(これは、映した踊りがすばらしいからであるが。)

ただ、ドキュメンタリー番組の作り方としては、かなり作為のある演出かなと感じるところがある。

最後のところで、語り手が、彼女の芸術は消え去るべきだった……と言っているのは、正解であると、私は同感である。

ことばとしては、「ロマ」という言い方で統一してあった。今日では、この言い方で一般に定着していると考えていいのだろう。

フラメンコという踊りの歴史については、まったく不案内である。スペインの場末の「ジプシー」(私の世代では、このことばになってしまうのだが、人前ではつかわないけれど)の芸能が、第二次世界大戦後にヨーロッパに広まった、という理解でいいのだろうか。

2024年12月24日記

「果たすべきは「国民との約束」〜首相・濱口雄幸 政治家の本懐〜」2024-12-26

2024年12月26日 當山日出夫

昭和の選択 果たすべきは「国民との約束」〜首相・濱口雄幸 政治家の本懐〜

この番組を収録したのは、いつのことだろうか。今年の春の東京都議選、その後の衆議院選挙の後にはなるだろうが、兵庫県知事選よりも後のことだろうか。ここ一年以内の間に、選挙とメディアの関係は大きく変わってきた。これは、民意とは何か、世論(あるいは輿論)とは何か、という問題でもある。

ゲストが政治史やメディア論が専門という人ではなかった。一ノ瀬俊也は近代日本の軍事史が専門だと思うが、浜口雄幸についても詳しいということでいいだろうか。萱野稔人は、肩書が政治哲学とあったけれども、以前は、単に哲学であった。このごろは、政治関係の本も書いているので、これでいいのか。

浜口雄幸のことは、昔、学校の歴史の教科書に出てきていたのを憶えている。それから、なにかの用事で東京に行ったとき、東京駅で、その事件のあった場所に印しがあって、横の壁に説明が書いてあったのを見たのは記憶している。「ライオン宰相」とか「男子の本懐」ということばも知識としては知っていることになる。

この番組として語りたかったことは、政治とはことばであり、どれだけ説得力のあることばで国民に語りかけ支持を得るか、そして、その言ったことを約束として守ることの意味……ということになる。

そして、民主主義というものは、政治家の資質は無論のこと、情報の開示、マスコミの報道、また、それにもとづいた国民の賢明な判断、これらが総合してはじめて実現できるものである。その実現は、かなり困難でもある。

政治とは「国民道徳の最高の標準」であり、「政党政治が衆愚政治になるかそれとも衆賢政治になるかは政治家と国民の進歩を待たなければならない」とは浜口雄幸のことばであるが、まさに国民や社会の進歩があってこその民主主義である。おそらく、磯田道史が番組の最後に言ったことは、チャーチルの言ったことをふまえてのものであるとは、見ながら思ったことである。

浜口雄幸は土佐の生まれで、成績がよかったので、地元の素封家の養子になって、東京帝国大学で学んだ。大蔵省に入る。まさに、明治の学歴エリートということになる。

首相になったころが、日本でラジオが普及し始めた時期になる。ラジオというメディアを使って、国民に語りかけるということは、浜口雄幸のメディア戦略ということになるだろうが、昭和以降の政治とラジオということは、メディア史として研究のあるところだと思っている。(それが、現代ではテレビになり、今ではSNSになってきている。)

浜口雄幸は政党政治家であった。そして、政治に対する国民の信頼こそが重要であると考えていた、ということになる。だが、実際には、政党どうしの非難合戦であり、政党内部の対立であったりして、結局は、昭和の戦前の政党政治は挫折することになる。(このあたりのことについては、現代の政治家が、真剣に歴史をかえりみるべきところだと思う。)

「強く正しく明るい政治」ということを目指したということだが、実際に国家の経綸を考えるならば、その場しのぎの人気取り政策だけやるだけでなく、長期的な視野にたった政治が必要だったことになる。政治というのは、長距離走である。

また、後継者を育てるのも、政治家の仕事である。(このあたり、今の政治を見ていると、次の後継者を育てるということの意味を本当に理解しているのだろうかと思うところがある。政敵、ライバルを倒すことには一生懸命であるが。)

政治家として理想を語るということと、現実の政策において、民意の理解を得るということは、難しいことである。それは、今も昔も変わらない。現代では、国民、有権者の意見、世論、輿論……というものが、細かく分断されてしまっている状況なので、一層難しくなってきていることになる。

政治に対する信頼感というのは、与党とか野党とか、リベラルとか保守とか、右派とか左派とか、そういう立場を超えて、さらに大きな視点で考えなければならないことであるにちがいない。今の与党をたおせば、それで信頼が回復するとでも思っているような、野党のあり方の方が、むしろ問題であるかもしれない。

政治や選挙は法にのっとたものでなければならない、暴力的であってはならない、内戦のかわりにことばで語るものである……このような意味のことを、萱野稔人が言っていたが、選挙で合法的であれば何をすることが妥当なのか、これは、先の兵庫県知事選などで、明らかになったところである。(だが、これは、負けた側が、他の陣営の選挙手法にクレームをつけているだけ、という側面もあるが。)

終わりのところで、民主主義の達成にはまだ時間がかかるが地道な努力が必要である、という意味のことを、磯田道史が言っていたが、こういうところ……穏健な進歩主義……は、塾員らしいところかなと、見ながら感じたところである。

2024年12月24日記

「「こわいマンガ」はなぜ怖い? 〜トイレに行けない!表現進化の70年〜」2024-12-26

2024年12月26日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 「こわいマンガ」はなぜ怖い? 〜トイレに行けない!表現進化の70年〜

再放送である。最初は、二〇二四年六月四日。この間に、楳図かずおが亡くなった。番組のなかに楳図かずおは登場してきているが、その没年が表示されていない。

私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれなので、ちょうど『墓場の鬼太郎』が「少年マガジン」で連載が始まったときに、リアルタイムで読んだ。その後、タイトルが『ゲゲゲの鬼太郎』になり、そのうち映画になり(これは見ていない、実写版である)、テレビアニメになった。この過程で、当初の怪奇性がどんどん薄れていって、鬼太郎が正義のヒーローになっていった。もちろん、だんだんつまらなくなっていったことになる。

また、この時代は、少女漫画で「ヘビ女」が大ブームだった時代でもある。

何度も書いてきたことだが、私の年代が、ちょうど貸本屋というのをリアルで知っている最後の年代になるかもしれない。貸本屋というものは、昭和三〇年代まであり、その後、急速に姿を消していった。

番組を見て思うことはいくつかある。

まず、広い視点としては、日本人はいったい何を読んできたのか、という読書史と文学史、マンガ史、などの融合したところから考えることになる。このなかには、貸本マンガ、貸本小説などもあり、また、週刊誌など雑誌掲載の作品もある。近年では、コンビニで販売された作品などもふくむことになる。

いったいこれらの作品は、いま、どこにどうなっているのだろうか。漫画については、明治大学とか京都精華大学などでコレクションしていると思うが、もっと大規模に収集しておく必要があることになるだろう。国立メディア芸術総合センターが、はたしてこれからどうなるだろうか。また、国会図書館などの蔵書がどう利用できるようになっていくか。これらをふまえて、まさにこれからの研究課題になっていくことだろう。できれば、国文学研究資料館の古典籍のデジタルアーカイブとおなじぐらいの規模で、近代から現代にいたるまでの、いろんな作品を集めていく必要があるとは思っている。はたして、これからどうなるだろうか。

恐怖をどう描くか、ということはまさに日本の文学史や絵画史や民俗学、それから、漫画研究の総合的な研究領域になってくる。これに近年では、ネット怪談ということが加わっている。

怖いマンガは、マンガ史においても周縁の位置にある。だが、そもそも「怪談」というものが、サブカルチャーのさらにその周縁にあり、しかし、途絶えることなく続いてきているものであることを、認識しておくべきことだろう。

さて、どうでもいいことかもしれないが、やなせたかしを読んでおかないといけないし、つづいて小泉八雲も読んでおきたい。『怪談』を、日本の怪異の文学の歴史のなかでどう考えることになるのか、興味あるところである。

2024年12月21日記