「しろくまピース 命をめぐる25年の物語」 ― 2025-01-11
2025年1月11日 當山日出夫
しろくまピース 命をめぐる25年の物語
とべ動物園のピースのことについては、昨年(二〇二四)に「時をかけるテレビ」で再放送したものがあった。「ピース5歳〜日本初 ホッキョクグマ哺育物語〜」である。そのときに思ったことなど書いている。以下に転記しておく。
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やまもも書斎記 2024年5月30日
2024年5月30日 當山日出夫
時をかけるテレビ ピース5歳〜日本初 ホッキョクグマ哺育物語〜
NHKの動物が登場する番組で、私が一番好きなのは、「ウチのどうぶつえん」である。金曜日の夕方、Eテレでやっている、短い番組である。動物園の人たちが撮った映像を編集して見せるということになっている。飼育員ならではの視点、あるいは、動物に対する接し方など、いろいろと考えるところがある。それから、「ザ・バックヤード」でも時々、動物園が取りあげられることがあるが、これも面白い。
そもそも動物園というものは、人間の身勝手で作ったものなので……という議論はあっていいと思う。だが、そこで現に生きている動物たちのことをどうするか、という発想も同時にあってしかるべきである。
この番組で感じることは、一つには、動物にどうつきあっていくかということの、現代の動物園の試行錯誤の一つとみることもできるが、それよりも、最も印象に残るのは、飼育員のホッキョクグマのピースに対する愛情である。人間は、これだけ愛情を持って動物と接することができるのか、その部分が感動的である。そして、この動物に対する愛情は、広く普遍性をもっている。人間が生きものを育てるというのはこういうことなのか、と再認識させられるところがある。無論、これは、人間にとっての赤ちゃんの子育てをふくめてのことである。
ともかく理屈はどうでも、小さいときのピースが可愛い。そして、現在、もう年取ったピースを見つめる飼育員の高市さんと、それを見つめかえすピースの姿になんともいえないものを感じる。(ただ、動物の姿にあまり感情移入することはよくないことなのかとも思うのだが。)
まさに今の時代にもう一度ふり返って見るのにふさわしい番組だったと思う。
2024年5月27日記
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あれから二〇年が経過したことになる。
今の動物園の方針なら、人工哺育ということになっても、動物園内でのこととなるだおろう。ピースが生まれた二五年前なら、飼育員が自分の家に連れて帰って育てるということもあり得た。
いろいろと思うことは、あるけれども、何よりも生きていることの意味であり、そして、よりよく生きることである。最近のことばでいえば、ウェルビーングということを考えることになる。このことに、人間も動物も関係ないだろう。たまたま動物園で生きることになった動物の生き方を考えるということが、今の社会で人間がどのように生きることになるのか、それを反映するものになっている。これは、動物園というものの存在が、まさに人間の社会のあり方やさまざまな価値観を、時代の変化とともに映し出すものだからだろう。
このようなことをあらためて思ってはみるのだが、テレビを見ていて、小さいときのピースが道路を歩いたり、家のなかで子どもと一緒に寝ていたりするようすは、なんともいえず、かわいいとしかいいようがない。
2025年1月8日記
しろくまピース 命をめぐる25年の物語
とべ動物園のピースのことについては、昨年(二〇二四)に「時をかけるテレビ」で再放送したものがあった。「ピース5歳〜日本初 ホッキョクグマ哺育物語〜」である。そのときに思ったことなど書いている。以下に転記しておく。
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やまもも書斎記 2024年5月30日
2024年5月30日 當山日出夫
時をかけるテレビ ピース5歳〜日本初 ホッキョクグマ哺育物語〜
NHKの動物が登場する番組で、私が一番好きなのは、「ウチのどうぶつえん」である。金曜日の夕方、Eテレでやっている、短い番組である。動物園の人たちが撮った映像を編集して見せるということになっている。飼育員ならではの視点、あるいは、動物に対する接し方など、いろいろと考えるところがある。それから、「ザ・バックヤード」でも時々、動物園が取りあげられることがあるが、これも面白い。
そもそも動物園というものは、人間の身勝手で作ったものなので……という議論はあっていいと思う。だが、そこで現に生きている動物たちのことをどうするか、という発想も同時にあってしかるべきである。
この番組で感じることは、一つには、動物にどうつきあっていくかということの、現代の動物園の試行錯誤の一つとみることもできるが、それよりも、最も印象に残るのは、飼育員のホッキョクグマのピースに対する愛情である。人間は、これだけ愛情を持って動物と接することができるのか、その部分が感動的である。そして、この動物に対する愛情は、広く普遍性をもっている。人間が生きものを育てるというのはこういうことなのか、と再認識させられるところがある。無論、これは、人間にとっての赤ちゃんの子育てをふくめてのことである。
ともかく理屈はどうでも、小さいときのピースが可愛い。そして、現在、もう年取ったピースを見つめる飼育員の高市さんと、それを見つめかえすピースの姿になんともいえないものを感じる。(ただ、動物の姿にあまり感情移入することはよくないことなのかとも思うのだが。)
まさに今の時代にもう一度ふり返って見るのにふさわしい番組だったと思う。
2024年5月27日記
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あれから二〇年が経過したことになる。
今の動物園の方針なら、人工哺育ということになっても、動物園内でのこととなるだおろう。ピースが生まれた二五年前なら、飼育員が自分の家に連れて帰って育てるということもあり得た。
いろいろと思うことは、あるけれども、何よりも生きていることの意味であり、そして、よりよく生きることである。最近のことばでいえば、ウェルビーングということを考えることになる。このことに、人間も動物も関係ないだろう。たまたま動物園で生きることになった動物の生き方を考えるということが、今の社会で人間がどのように生きることになるのか、それを反映するものになっている。これは、動物園というものの存在が、まさに人間の社会のあり方やさまざまな価値観を、時代の変化とともに映し出すものだからだろう。
このようなことをあらためて思ってはみるのだが、テレビを見ていて、小さいときのピースが道路を歩いたり、家のなかで子どもと一緒に寝ていたりするようすは、なんともいえず、かわいいとしかいいようがない。
2025年1月8日記
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