「地方の時代映像祭2024 いのちを守る災害報道」 ― 2025-01-15
2025年1月15日 當山日出夫
TVシンポジウム 地方の時代映像祭2024 いのちを守る災害報道
テレビのニュースは基本的に見ることにしている。そうすると、午前11:30から、(私の住んでいる地域でいうと)毎日放送、関西テレビ、読売テレビ、とニュースが同時にある。11:45から、朝日放送がニュースになる。12:00でNHKのニュースになる。これらを見ていると、何かの事件などの現場からの中継で、他のテレビ局のカメラと記者が、画面のなかに映っていることが多い。同じような時間帯にニュースを放送しているのだから、こうなっても当然かと思うのだが、同時に、なんだか無駄なことをしているなあ、という気がしてしまう。そして、ニュースの内容が局によってそう大きく違うということもない。(これも、地域によっては見ることのできるテレビ局に制限があるということも勘案しなければならないけれど。)
災害がおきたようなとき、同じ災害現場に、同時に複数のヘリコプターが上空にいることもある。これなど、その音で、救助作業の邪魔になるかと思うのだが、表だった批判は無いようである。
災害と報道ということでは、まず、上述のようなことから考えてみることになるのが、今の普通の視聴者の感覚だと思う。
昨年の一月一日の夕方は、たまたま家にいたので、テレビを見ていた。緊急地震速報があってから、しばらく見ていた。NHKで、途中から山内泉アナウンサーに変わって、そのアナウンスを聞いていた。津波警報が大津波警報に変わったときに、その口調が大きく変わったのを憶えている。
その後、京都に行って、大学院の授業のとき、学生は一人だけだったので、持って行ったパソコンを教室のモニタにつないで、YouTubeに保存されている、そのときのNHKのニュースの映像を見て、次のような話しをした。
私が大学生だったころ、今から半世紀ほど前のことになるが、慶應の文学部の国文科で勉強していて、池田彌三郎先生が何かのおりに次のようなことをおっしゃっていた……NHKで、台風の災害がせまっているニュースを話すのに、女性のアナウンサーをつかってはいけない、こういうときは、男性のアナウンサーに変わらなければならない、と。これは、今から半世紀前の話であるので、アナウンサーが女性か男性かということの判断は、現在とは大きく異なっていることはある。しかし、緊急時の放送のあり方ということについて、どうあるべきかということは、その当時から語られていたことである、ということにはなる。災害時の報道のあり方ということも、日本語学の研究課題の一つである。そして、お正月の能登半島での地震のときのことは、その研究の事例になる。(このことは、私の記憶のなかにのこっていて、その後、国語学を勉強するという方向になったが、報道のあり方ということについては、常に注視してきたことになる。)
昨年の能登半島の地震、津波の報道のことについていえば、テレビの画面で、「逃げろ」と使っていた局が一つだけだった(たしか、読売だけだったかと記憶するが)、他の局は「逃げて」だった。NHKも「逃げて」だったはずである。(もし、次に津波警報が出されるようなときは、どうなるだろうかとは思っている。これは、研究者としての関心である。)
一九五五年の阪神淡路大震災のときの、アーカイブについて説明があったが、できれば、国立国会図書館で行っている、東日本大震災の資料のデジタルアーカイブのことにも言及しておくべきだったかと思う。ここでは、地震の直後の、石巻日日新聞を見ることができる。また、インターネットのアーカイブ資料としては、地震後の自治体のホームページなども残っている。
復興を支援する報道ということについていえば、ニュースが語りたがらないことが、能登半島の輪島市や珠洲市などで、実際にどれほどの人が残っているのか、その人数である。被災地を離れてしまった人が後を絶たないような状況を報道するのは、人口の減少をかえって加速化しかねない、人が住まないようなところには住み続けようとは思わない……ということもあるにはちがいない。しかし、実態として、どれぐらいの人が、どこでどのような生活をしているかという現実を把握しないで、将来の復興計画はありえないだろう。これはジレンマをかかえることにはちがいないが、私としては報道する必要のあることだと考える。
それから、これからの災害報道では、フェイクニュースの否定ということも、既存のメディアの仕事であると思う。何をもってフェイクニュースというかは、難しいところかもしれないが。
2025年1月13日記
TVシンポジウム 地方の時代映像祭2024 いのちを守る災害報道
テレビのニュースは基本的に見ることにしている。そうすると、午前11:30から、(私の住んでいる地域でいうと)毎日放送、関西テレビ、読売テレビ、とニュースが同時にある。11:45から、朝日放送がニュースになる。12:00でNHKのニュースになる。これらを見ていると、何かの事件などの現場からの中継で、他のテレビ局のカメラと記者が、画面のなかに映っていることが多い。同じような時間帯にニュースを放送しているのだから、こうなっても当然かと思うのだが、同時に、なんだか無駄なことをしているなあ、という気がしてしまう。そして、ニュースの内容が局によってそう大きく違うということもない。(これも、地域によっては見ることのできるテレビ局に制限があるということも勘案しなければならないけれど。)
災害がおきたようなとき、同じ災害現場に、同時に複数のヘリコプターが上空にいることもある。これなど、その音で、救助作業の邪魔になるかと思うのだが、表だった批判は無いようである。
災害と報道ということでは、まず、上述のようなことから考えてみることになるのが、今の普通の視聴者の感覚だと思う。
昨年の一月一日の夕方は、たまたま家にいたので、テレビを見ていた。緊急地震速報があってから、しばらく見ていた。NHKで、途中から山内泉アナウンサーに変わって、そのアナウンスを聞いていた。津波警報が大津波警報に変わったときに、その口調が大きく変わったのを憶えている。
その後、京都に行って、大学院の授業のとき、学生は一人だけだったので、持って行ったパソコンを教室のモニタにつないで、YouTubeに保存されている、そのときのNHKのニュースの映像を見て、次のような話しをした。
私が大学生だったころ、今から半世紀ほど前のことになるが、慶應の文学部の国文科で勉強していて、池田彌三郎先生が何かのおりに次のようなことをおっしゃっていた……NHKで、台風の災害がせまっているニュースを話すのに、女性のアナウンサーをつかってはいけない、こういうときは、男性のアナウンサーに変わらなければならない、と。これは、今から半世紀前の話であるので、アナウンサーが女性か男性かということの判断は、現在とは大きく異なっていることはある。しかし、緊急時の放送のあり方ということについて、どうあるべきかということは、その当時から語られていたことである、ということにはなる。災害時の報道のあり方ということも、日本語学の研究課題の一つである。そして、お正月の能登半島での地震のときのことは、その研究の事例になる。(このことは、私の記憶のなかにのこっていて、その後、国語学を勉強するという方向になったが、報道のあり方ということについては、常に注視してきたことになる。)
昨年の能登半島の地震、津波の報道のことについていえば、テレビの画面で、「逃げろ」と使っていた局が一つだけだった(たしか、読売だけだったかと記憶するが)、他の局は「逃げて」だった。NHKも「逃げて」だったはずである。(もし、次に津波警報が出されるようなときは、どうなるだろうかとは思っている。これは、研究者としての関心である。)
一九五五年の阪神淡路大震災のときの、アーカイブについて説明があったが、できれば、国立国会図書館で行っている、東日本大震災の資料のデジタルアーカイブのことにも言及しておくべきだったかと思う。ここでは、地震の直後の、石巻日日新聞を見ることができる。また、インターネットのアーカイブ資料としては、地震後の自治体のホームページなども残っている。
復興を支援する報道ということについていえば、ニュースが語りたがらないことが、能登半島の輪島市や珠洲市などで、実際にどれほどの人が残っているのか、その人数である。被災地を離れてしまった人が後を絶たないような状況を報道するのは、人口の減少をかえって加速化しかねない、人が住まないようなところには住み続けようとは思わない……ということもあるにはちがいない。しかし、実態として、どれぐらいの人が、どこでどのような生活をしているかという現実を把握しないで、将来の復興計画はありえないだろう。これはジレンマをかかえることにはちがいないが、私としては報道する必要のあることだと考える。
それから、これからの災害報道では、フェイクニュースの否定ということも、既存のメディアの仕事であると思う。何をもってフェイクニュースというかは、難しいところかもしれないが。
2025年1月13日記
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