『カムカムエヴリバディ』「1951-1962」2025-01-19

2025年1月19日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1951-1962」

安子編(岡山)が終わって、るい編(大阪)になった。安子編の終わりまでのことは書いたので、大阪でのことについて思うことを書いてみる。

一九六二年(昭和三七年)の大阪である。ドラマとしては、とても活気に満ちた明るい街の印象である。たしかに、このころまでの大阪は、日本の西の中心であり、あるいは、日本の経済の中枢としても、存在感があったことになる。だが、実際の大阪の街は、ドラマに描かれたよりも、もっと猥雑で混沌とした街だったろうと思う。一方で、非常にモダンな側面も兼ね備えていたはずである。

ドラマのなかに登場する大阪の街は、明るい花やかな面と、クリーニング屋さんのある下町のごちゃごちゃした雰囲気とが、共存している。

大阪でるいはクリーニング屋さんに住み込みで働くことになる。このことの経緯は、店の夫婦の好意ということになるが、実際に人手を探していたこともある。この夫婦が、るいのことを非常に大切に思ってくれることになる。なぜ、岡山の雉真の家から離れたのか(るいは、雉真の縁故者であると言っていた)、詳しいわけは聞かずにるいを受け入れてくれている。このあたりの人の優しさが、たくみに描かれていると感じる。

住み込みで働くと決まった翌日の朝の朝食のシーン。るいが、ちゃぶ台の上のお茶碗と箸を手にするところ。ほんの一瞬のことなのだが、きちんとした礼法にのっとっている。さりげない動作であるが、これで、るいが岡山の雉真の家で、(お嬢さんとして、しつけられ)大切に育てられてきたことが、推測される。

また、クリーニング屋さんの仕事を、どういう仕事であるか、しっかりと描くところもいい。売って終わりの商売ではなく、クリーニングした品を、またお客さんにとりにきてもらわければならない。そして、できれば、お馴染みなってもらいたい。アイロンをかけるところ、衣類を畳むところ、その仕事の様子を写していることは、ドラマの作り方としての本筋をふまえていることになる。(はっきりいって、仕事をする人の、その仕事の様子をきちんと描かないドラマはつまらない。)

2025年1月17日記

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