「岐路に立つ東京大学 〜日本発イノベーションへの挑戦〜」2025-01-21

2025年1月21日 當山日出夫

NHKスペシャル 岐路に立つ東京大学 〜日本発イノベーションへの挑戦〜

見ていていろいろと思うところはある。

これまで、東京大学が何か教育にかかわる変革をおこそうとすると、とにかくそれを潰してきたのが日本の社会だったと思うが、どうだろうか。記憶にあるところでは、秋入学という制度に変えようとして、これには猛反対の声があった。(たしかに、司法試験をはじめ各種の試験の日程の問題はあるにはあるだろう。しかし、これも、完全なセメスター制にして、半年ぐらい早く卒業しても、遅く卒業してもかまわないという柔軟性が、社会の側にあれば、なんとかなることのようにも思える。)

興味深かったのは、就職におけるマッチングの技術。これまで、政府で何か問題があったとき、時の首相などは、「人事に関することはコメントはさしひかえる」と繰り返してきた。一番はっきり憶えているのは、学術会議の問題のときである。このとき、管首相は、一切説明しようとしなかった。しかし、人事に関することだからこそ、透明性と説明責任が求められる、このように考えることもできるし、おそらく、これからは、この方向に向かっていくだろう。

東京大学の松尾研究室で勉強するのに、正規に東京大学の入学試験を受けて入学した学生だけ……ということにはなっていない。これが、これからのあるべき姿であろう。

私の学生だったころ、私の師事した先生のもとで勉強していた学生は、普通の慶應の学生であったのは、ほとんど私一人だけで、他は、いわゆるモグリの人たちで、それをなんとも思わず、普通にすごしてきたという経験がある。無論、国語学で師事した山田忠雄先生については、学校などの枠とはまったく関係なかった。

勉強したい人が勉強できるように……これは、ある意味では日本の学問のなかにあった流れであるということができるかもしれない。(ちなみに、学部の学生のとき、先生から誘われて出席していた授業は、カリキュラムのうえでは大学院博士課程のものだった。そのとき、大学の事務に聞いてみたら、先生がOKすればいいですよ、という趣旨の返事だった。さて、今の大学はこういうおおらかさがあるだろうか。)

東大の松尾研究室は、AIの研究であるから、おそらくは、身一つで行って、コンピュータさえ持っていれば、そして、大学のネットワークに繋ぐ許可さえあれば、そんなにハードルは高くないことになるだろう。後はやる気と才能である。(これが、高価な実験器具や材料などを使うような分野だと、ちょっと難しいかもしれないが。)

番組は東京大学に焦点をあてたものになっていたが、同じような試みは、他の大学でもあるかとも思う。いや、あるべきである。東京大学だけが、そのなかの、特定の研究者だけが頑張ってもしかたがないので、大学全体として、また他の大学をふくめて,、柔軟な連携、人的ネットワークが構築できるかどうかが、これからの課題であると思うことになる。無論、大学に限らず、どのような経歴であれ、才能のある人間の活躍の場を作ることが必要である。

マレーシアはイスラムの国であるが、その国よりも、日本の東京大学の方が、女子学生の比率が低いというのは、これは、日本の社会がかかえている宿痾のようなものとしかいいようがない。

番組の中では言っていなかったが、失われた三〇年は、いわゆる選択と集中の結果であることは、確かなことだろう。

それから、これも番組のなかでは言っていなかったことだが、大学院の博士課程まで学んで学位(博士)をとっても、就職先がない、という現実的な問題もある(これは研究分野によっても違うはずだが)。何かやってみたいが、勉強を続けてても将来は見えない、ならば、起業するか……という気持ちも、どこかにあるのかもしれない。

スタートアップ企業が、これから、博士号取得者にとっても魅力的な働き先であるような形で発展していくことが、さらにその先の将来を考えると望ましいといえるだろう。

一般に言われていることなのだが、東京大学の場合、入学する学生の生育や教育環境には偏りがある。圧倒的に、家庭的には裕福で、都市部の中高一貫校出身者が多い。そして、このなかでつちかわれてきた人脈が、大学入学後も、また、起業の場合も、寄与していることはたしかだろう。貸与型奨学金の返済に困ることもあまりないかもしれないし、起業に失敗してもそれで路頭に迷う心配も少ないかもしれない。このようなことも、教育社会学において、研究の対象として考察すべきことになるだろう。

2025年1月20日記

「江戸の怪談 恐怖の秘密に迫る!〜四谷怪談・皿屋敷・化け猫〜」2025-01-21

2025年1月21日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 江戸の怪談 恐怖の秘密に迫る!〜四谷怪談・皿屋敷・化け猫〜

再放送である。最初は、2024年7月2日

去年の放送のときは、なんとなく見逃していた(録画しそこねていた)。見てみて、どうもこの回は、あまり面白くなかった。

日本における怪談、怪異譚の系譜をたどることは、これは、とても興味深いことである。だが、ちょっとこの回は、テーマがばらけすぎていた。皿屋敷、四谷怪談、化け猫、それぞれについては、とても面白いことなのだが、共通して何かが見えてくるかというと、そういうことはないようである。(最後のところで、時代の雰囲気によって怪談がはやったりするということは、言っていたけれど、これも、いまひとつ説得力のある話しではなかった。)

ここは、「四谷怪談」だけに絞った方がよかったのかな、と思うところである。これが、忠臣蔵の外伝であることは、私は知っていることなのだが、あるいは、あまり知られていないことかとも思う。お岩さんが、各時代にどのようにイメージされてきたかということは、面白いかもしれない。また、色悪ということで、悪人がどのように描かれてきたのか、そして、それを好む民衆の姿も、また興味深い。

皿屋敷の話しで出てきた地図をみると、たぶん、海岸沿いに船で移動する人びとによって伝播した物語、という印象をもつのだが、はたしてどうだろうか。

化け猫の話しは、日本における猫の文化史、社会史、というような観点から、改めて考えてみるべきテーマだろう。

2025年1月13日記

クラシックTV「ストラディヴァリウス 名器の響きにひたる!」2025-01-21

2025年1月21日 當山日出夫

クラシックTV 「ストラディヴァリウス 名器の響きにひたる!」

たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいて見た。

ストラディヴァリウスについては、これまでいろんな番組で取りあげられてきている。いくつか見たのを憶えている。

なぜ、この楽器がいい音なのか、それを、現在の科学・技術から解明しようとすることもある。その形状は真似することは簡単かもしれないが、難しいのはその材料となった木材であるにちがいない、といあたりは見当がつく。これも、今では、年輪年代学の知見があるから、その木目を分析することによって、いつの時代に伐採された樹木であるかを特定することは可能になっていると思う。

ストラディヴァリウスが、音が遠くまでとどくということは言われていることだが、これはやはり実物の演奏を生で聴かないと分からないことなのだろう。実験によって、このことは確かめられるようだが。

それよりも、この番組のいいところは、この楽器を愛でる、音楽を奏でる、その演奏者(古澤巌)の表情の良さといっていいかもしれない。そして、それを聞いているスタジオの面々の表情、特に目がとてもいい。

面白いのは、ストラディヴァリウスが作られた時代と、現代とでは、弓の形状が異なるので、おそらく作られた時代の演奏では、違った音であった(かもしれない)ということである。だが、すぐれた楽器は、弓が変わっても、奏法が変わっても、それにこたえてすばらしい音を出すということなのであろう。

2025年1月16日記